机の上に外して置いていた腕時計をちらりと見て、は立ち上がった。


夕方の6時。


そろそろ王立図書館の閉館時間だ。


荷物をまとめて席を立ち、司書に軽く会釈をして図書館を出れば…あたりは夕焼け色に染まっていた。


茜色に染まった空は美しく、見る者の心を捕らえるだけの輝きを放つものの…


そんな光景には目もくれず、はまっすぐに寮へと足を進めた。


寮へ帰れば程なく夕食が始まる時間。


アンジェリークはまだ戻っていなかったが、は先に夕食を済ませた。


が食堂を出る頃にようやく現れたアンジェリークと一言二言会話をした後は、部屋に閉じこもる。













女王試験が始まって以来、の生活スタイルはほぼ決まっていた。


朝は5時に起き出して身支度を済ませ、朝食が始まるまでの時間をその日の育成計画のチェックに使う。


朝食を済ませた後は、守護聖たちの執務開始時間に合わせて聖殿へ向かい、午前中は育成を行う。


簡単に昼食をとった後は、王立図書館へ出向いて過去の文献を参考に、育成の方法論を研究するために時間を使うか、


王立研究院に立ち寄って育成地のチェックをする。


寮に戻って夕食を済ませた後は…就寝までの時間を翌日の育成計画を練ることに使う。


そして休日ともなれば、起床時間こそいつもより遅めだが、


一日中部屋でパソコンに向かい、育成のシュミレーションをしているのだ。

















「…やば…もう寝なきゃ…」















午前2時。


パソコンのモニターから顔を上げたは、時計を見てパソコンの電源を落とした。


育成方法を検討しているときは眠気など感じていなくても、


それを止めれば途端に激しい疲労感と睡魔に襲われる。


気分的に、机の上の電気スタンド以外に明かりはなく…それを消せば、部屋は一気に暗くなる。


だるい体を引きずってベッドにダイブすれば、いつもその瞬間に深い眠りへと落ちてしまう。


にとっては唯一の安息の時間。


しかしそれもたった3時間のこと。


目覚ましの容赦ないアラームによって、は再び女王試験へ向かっていくのだ。

































「あ…だ…」













昼下がりの庭園。


天気に誘われて外で昼食をとったマルセルと、午後のひと時を屋外の散策で過ごそうとしたリュミエール。


これから王立図書館に向かう途中のルヴァ。


そして、自作ラジコンの試運転をしていたゼフェルが偶然に会い、なんとなしに立ち話をしていた。


今日の天気のことだとか最近の出来事…とりとめもない雑談に花を咲かせていた彼らだが、


庭園から王立図書館へと抜ける小道を歩いて行くの姿を、マルセルが見つけた。


守護聖たちに気づくこともなく、はそのまま庭園を抜けていった…。
















「あー、はきっと図書館へ向かったのでしょうねぇ。司書に聞いたのですが、


彼女はほとんど毎日図書館へ顔を出しているそうですよ。


なんでも…熱心に宇宙生成学の本を読んでいるとか。勉強熱心なのはいいことですねー」














の姿を見送った後、ルヴァが感心した様子で言った。


ルヴァにとって、の向学心は共感の持てる部分なのだろう。


だが・・・













「ええ、はとても熱心に育成を行っているようですね。あのジュリアス様でさえ、


の育成には一目置いているそうですよ。


ですが…のやり方に、アンジェリークが驚いていました。…あまり気にしていなければよいのですが…」













早い段階から自分なりの育成パターンを完成させ、結果を出しているの姿に戸惑ったアンジェリークは、


何度かリュミエールに不安を漏らしているらしい。


不安げにしていたアンジェリークの姿を思い出し、憂いの表情をみせるリュミエール。














「ボク…のこと、まだよくわかりません。頑張ってるとは思いますけど…


いつも育成ばっかりで、なんだか話しかけづらいし…」


「愛想ねーし、つまんねーヤツだよな」


「ゼフェル、そんな風に言うものではありませんよ。は、試験に集中しているだけなんですからね」


「けどよールヴァ、オレ…あいつが笑ってるとこなんか見たことねーぜ?」


「うん…ボクもです」


「…そういわれれば…私も…。ルヴァ様はいかがですか?」


「それは…あー…ありませんねぇ…」














四人の間に流れる沈黙…。













































『おや…ですねぇ』















あれから、当初の予定通り王立図書館へとやってきたルヴァは、閲覧用のデスクに座るの姿を見つけた。


何冊もの書物を広げ、それらに目を通しながら時折メモをとっているようだ。
















「こんにちは、


「…は…?」















ルヴァに声をかけられ、は弾かれたように顔を上げた。


驚かそうとしたわけではないものの…


声をかけられるまで、はルヴァがすぐそばまで近づいていたことに気づいていなかったようだ。


は一瞬驚いたような顔をして…しかしすぐに立ち上がってルヴァへ頭を下げる。
















「ああ、いいんですよ。そのままそのまま。あー…、少しいいですかねぇ?」


「…はい」













再びを座らせ、ルヴァも隣に腰を下ろした。


ルヴァがのメモに目をやれば、そこにはこれまでに研究されている惑星改造の様々なケースだとか、


惑星の発展とサクリアの関係などが事細かにまとめられている。
















「あー、これはよくまとめられていますねぇ。さすがに、ジュリアスが一目置く女王候補といったところでしょうか」


「…そんなことは…」


「いえいえ、大したものですよー。これまでの育成の結果も、それを証明してるじゃありませんか」


「…恐れ入ります…」



















ルヴァの言葉に、はわずかながらに詰めていた息を吐いた。


地の守護聖…知恵を司るルヴァに自分の育成が評価された。


それはに大きな安堵感を与えたのだ。





















『…努力は認められている…私は間違っていない…』



















安堵感とともに、更なる努力を心に誓う


その瞳には強い意志が感じられる。


しかし…新たな意欲に燃えるは、自分を見つめるルヴァの視線に気づくのに一瞬遅れた。


心配そうにを見つめていたその視線…


がルヴァの視線に気づいたとき、彼はすでにいつもの穏やかな目をしていた。















「…ルヴァ様…何か私に用があったのでは…?」


「あ〜そうですね〜…用…というほどのことではないのですが…」


「?」


「なにか私にお手伝いできることはないかと思いましてね〜」


「…え…?」













ルヴァはがまとめていたレポート用紙を手に、それを再び眺めながらゆっくりとした口調で言った。













「私は…あ〜自分で言うのもなんなんですがね?ここではみなさんの相談役なんて立場にいるんですよ〜。


あ、あなたやアンジェリークにとっては守護聖全員がそうなんですけどね。


時々は守護聖たちの相談にものったりするんですよ。この間もリュミエールに…」


「…あの…一体何を…」


「ああ!すみません。えーと…つまりですね、私は守護聖の中でも古株ですし、


今までそれなりにいろいろな惑星の発展パターンなんかも目の当たりにしてきました。


ですから、あなたの育成にも…なにかアドバイスしてあげることが出来るんじゃないかと思いましてね?」













先ほどを心配そうに見つめいていたルヴァ。


の育成の様子は、王立研究院からの報告書で大方把握している。


女王教育を受けていないがこれほどまでに結果を出している…。


それはが、並々ならぬ努力をしているからであることは、容易に想像できた。


それに加えて周りから聞こえてくるの様子は、そのほとんどが育成がらみで…


彼女がいかに育成中心の生活を送っているのかも、想像するに難しいことではない。









女王試験には、育成に不慣れな者がぶつかるだろう様々な障害があるものだが、


は見事にそれらを自らの力でクリアしてしまう。


女王候補としての下積みがない分、自分で学んで自分で考えて…。


初めはルヴァも、ただ単にの熱心さに感心していた。


だが…先ほど庭園でマルセルやリュミエール、ゼフェルたちと話していたとき、


少しだけのことが心配になったのだ。














には…誰か気軽に相談できる相手はいるんでしょうかねぇ…?』













アンジェリークにはいるだろう。


折に触れて守護聖に育成の相談や、時々は悩み事を打ち明けていると聞くし、


自分のところにも、何度か泣きそうな顔をしながら駆け込んできたこともある。


それがどんなに些細なことであっても、アンジェリークは自分たちを頼ってくれている。


でもは…?













「…ルヴァ様…」


「はい?」


「…私の育成には…なにか問題があるのでしょうか?」


「へ…?い、いえいえ、そういう意味ではないんですよ!ただ…」


「………?」


「あなたはこうして、わからないことを自分で解決できる人です。それは決して間違いなんかではありませんし、


とても大事なことだと思いますよ?でもですね…あ〜…地の守護聖である私がこんなことを言うのは



おかしいかもしれませんけど…書物で調べるだけでは、わからないこともあるんじゃないでしょうかね〜?」


「…・・・ …」














思いもよらなかったルヴァの言葉。


様々な文献をもとに自分なりの育成パターンを確立させ、はそれに手ごたえすら感じているというのに…。














「自分の力で疑問を解決しようとする姿勢はとても大切なことです。


でも時には…誰かに助言を求めることも悪いことではありません。


アンジェリークだって、度々私たちに育成の相談に来るんですよ〜。


ですから、あなたももっと、私たちを頼ってくれていいんですよ?


いろいろな意見があるほうが、より良い方法が見つかるかもしれませんしね」


「…はい…」












の返事を聞いてにこやかに笑ったルヴァは、一足先に図書館を出て行った。


再び一人になった


だが…先ほどまで熱心にメモを取っていた手はすっかり止まってしまっていた。


そしてその視線は・・・ じっと宙を見つめている…。














女王試験を、はうまくやっているつもりだった。


ルヴァもそう言ってくれたはずだ。


なのになぜ…ルヴァは最後にあんなことを言ったのか…?


































『…私の育成は…所詮は独りよがりだった…?


ルヴァ様の…守護聖様の目には、私の育成に何か欠点があるように映っているということなの?


私の育成の欠点…?』































その日は、いつもより早い時間に帰宅した。


そして部屋に帰るとすぐに、これまでの育成データを全て見返す。















『書物で調べるだけでは、わからないこともあるんじゃないでしょうかね〜?』




『誰かに助言を求めることも悪いことではありません。』

















ルヴァの言うことも一理ある。


だって、自分の育成に手ごたえは感じているものの…これがベストだとは思っていない。


だからこそ毎日、育成の方法論を検討しているのだ。


誰かに助言を求めるにしても、自分の育成のどこが悪いのか…


それを把握してからでなければならないだろうと、は考えていた。


どこが悪いのかを聞くのでは…試験の答えを誰かに求めることになる。


それはただの甘え。


自分の育成の欠点は、自分が見つけなければならないはずだ。


育成の改善点を自分なりに導き出して、それを検討してもらう…


助言を求めるならばその程度の範囲でとどめておかなければ…試験を受けている意味がない。





















『…私の育成…欠点ってなに?…出来るだけ早く改善しなきゃならない気がする…。


それが出来ないようじゃ…私は到底…アンジェリークには及ばない…』
























ルヴァの言葉の真意は、そんなことではなかったはずだ。


ともすれば育成を頑張りすぎて、少々周りが見えなくなっているに、少しは肩の力を抜いてほしくて…


そんな意味をこめたつもりの言葉だった。


それはルヴァの優しさ。




















自分たちを頼ることで、にもっと心のゆとりを持ってほしかったルヴァの思いは


の思いとは重ならなかった。


言葉の意味を取り違えたにとって、ルヴァの言葉は自身の焦りを増大させ…


さらに余裕を失わせる結果に繋がってしまった。


















午前3時30分


未だの部屋には明かりがついていた。


やがてあたりが白み始める時間になっても…その日その明かりはついに消えることはなかった。











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