この女王試験に不信を抱く守護聖が現れ始めた。
しかし、真相に迫る者はまだいない。
いや、限りなく真相に迫っているからこそ、彼らは慎重に動くのだ。
何かの間違いであって欲しい。
ただの思い過ごしであって欲しい。
そうでなければ…今ある和が崩れてしまうかもしれないのだから。
何も進展がないまま、あれから1週間が過ぎた。
そして今日は、2週間に1度の監査会に当たる土の曜日。
いつも通り、その内容は両大陸の発展状況の確認。
だたその場の雰囲気は、普段とはまるで違うものだった。
王立研究院から提出された育成データの詳細をジュリアスが淡々と読み上げ、
他の者たちはただそれを聞いているという有り様。
やがてジュリアスによる状況報告が終った時―――
周囲には重苦しいほどの沈黙が訪れていた。
「…報告は以上だ。何か意見のあるものは…?」
――――――――――――――――
場の空気がおかしいことには、誰もが気付いていた。
状況が飲み込めていないランディとマルセルは、こっそりと互いに顔を見合わせて…
それでも軽々しく口を開ける雰囲気でないことはわかる。
意見を求めたジュリアスが全員を見渡している以外、他の者に特別な動きは見られなかった。
「………。特別何もないようであれば、本日はこれまでとするが…?」
監査会が始まって15分。異例の早さである。
だがジュリアスが閉会を匂わせたことで、場に僅かながら戸惑いの空気が流れた。
それまでじっと報告書に視線を落としていたゼフェルが、反射的にオリヴィエを見る。
ゼフェルの動きを察したリュミエールも、つられるようにオリヴィエを見た。
ゼフェルとリュミエールの視線を受けたオリヴィエは、ルヴァに伺いの視線を投げかける。
違うところではオスカーもまた、
何事もないように会を終らせようとしているジュリアスに、視線で問い掛けていた。
試験の様子がおかしいことに、今では気付いていない守護聖のほうが少ない。
ならばそれを明らかにするのは、今ではないのか。
時間が経てば、状況はますます悪くなる…。
しかしジュリアスは、オスカーに視線を返そうとはしない。
ルヴァもまた、微かな息とともに小さく首を振った。
―――確証が、ない。
場の空気が、落胆のそれに変る。
もしくは誰かが、この事態を明らかにしてくれないかと…皆がそう思っていた。
けれど現時点では、誰も行動を起せる者がいない。
「…構わぬ。大陸の状況は以前となんら変っていない。それが結論だ」
「クラヴィス…」
各々の迷いと焦りが交錯していた無言の空気を破り、閉会を承認したのはクラヴィスであった。
つまり、事態は全く好転していない。
そう結論付けたクラヴィスは全員の視線を受けつつ、
今まで手にしただけであった報告書に初めて目を通した。
「しかし…は再び追い上げている。あの者ならば、程なくまたアンジェリークを追い抜くであろう」
「…そうかもしれぬな」
「では、私は下がらせてもらおう」
そういうや否や、クラヴィスは後ろを振り返ることなくその場を後にした。
クラヴィスが去ったことで、正式な閉会宣言はないまま監査会は終了を迎える。
クラヴィスのあとを追うようにリュミエールが退室。
この後予定があるらしいランディとマルセルも、連れ立って出て行った。
ジュリアスとオスカーも、周囲を憚るように小声でやり取りしながら姿を消し。
残ったメンバーを見て、ゼフェルは忌々しげに頭を掻いた。
「…どうすんだよ。いつまでもこのままじゃまずいだろ」
「そうですね。いろいろ調べてみましたが…アンジェリークの大陸が、
行われている育成以上の発展を遂げているのは確かです。が…」
こういった非常事態の原因解明には長けているはずのルヴァが言葉を濁す。
あらゆる可能性を考えてみても、原因となる要素を特定できていないのだと言うルヴァ。
ルヴァの脳裏に浮かんだ可能性の中には、おそらくオリヴィエが導き出したのと同じ仮説も含まれているはずだ。
けれどルヴァの中では、万が一にも守護聖が規定を破ることなどありえないという絶対的な条件が
その仮説を打ち消すのだろう。
ゼフェルとルヴァのやり取りを聞いてきたオリヴィエは、ルヴァと己の人柄の違いを実感して自嘲気味に笑った。
「ッだー!一体どうなってんだよ!原因がわかんねーんじゃ身動きがとれねぇぜ…」
一連の事態に責任の一端を感じているゼフェルの焦りには、ルヴァの慰めも意味をなさない。
八方塞とばかりに俯くゼフェルとルヴァの姿を見て、オリヴィエもため息をつく。が…
オリヴィエはふと、退室間際にクラヴィスが言った言葉を思い出した。
『しかし…は再び追い上げているな。あの者ならば、程なくまたアンジェリークを追い抜くであろう』
よく考えれば、クラヴィスのこの発言はおかしい。
なぜならクラヴィスは、オリヴィエと同様にマルセルを疑っているはずだから。
もし本当にマルセルが女王候補の依頼と無関係にサクリアを利用しているとすれば、
が再びアンジェリークを追い抜けるはずはない。
ではなぜ、クラヴィスはあんなことを言ったのか…。
「陽動…」
オリヴィエが呟いた言葉の意味は、ゼフェルとルヴァにはわからない。
2人は不思議そうにオリヴィエを見ていたが、オリヴィエにはそれに応える余裕などなかった。
もし本当に、マルセルが無断でアンジェリークの大陸にサクリアを送っているとすれば、
それはアンジェリークをこの試験の勝利者にしたいがため。
ではその計画が狂おうとしているならば…マルセルはどう動く?
おそらくは計画を進めるために、サクリアを送り続けるはずだ。
しかもクラヴィスが言ったあの言葉のせいで早急に…あるいは今夜にでも。
「ねぇルヴァ?もしこの件の原因がはっきりしたとしてさ。
アンジェリークの大陸…ううん、違うか。この試験自体…本来の状態に戻ることってできるかな?」
オリヴィエは決意する。
マルセルはまだ、自分が疑われていることに気付いていない。
それどころか、アンジェリークの育成に疑問をもたれていることすら知らないだろう。
今夜にしろいつにしろ、近いうちにマルセルは必ず動く。
止めるなら、今しかない。
調べてわかったのだ。
あの大陸の民たちはもう、予想以上におかしくなっている。
大陸の時間でいえばもう1年以上、夢のサクリアを必要としていないのがその証拠。
ひょっとしてクラヴィスは、オリヴィエが動かずにはいられないことを予想していたのだろうか。
そうだったとすれば、クラヴィスの予想は正しい。
これ以上は…もう待てない。
「…オリヴィエ…?」
「…なんでもない。さて、私たちも戻ろうか。」
「って…んな悠長にしてていいのかよ…」
「ここにいたって始まらないだろ。さ、出た出た」
ルヴァとゼフェルの背を押すように、オリヴィエは1歩を踏み出す。
これから起こる事態は予測できるのに、その結末は…全く見えない。
原因を明らかにすれば、一騒動起きようとも、程なく試験は正常な状態に戻る。…表面上は。
けれど大陸の状態が正常に戻ったとして、マルセルが行っただろう行為を知ったとき
守護聖たちはもとより2人の女王候補は、果たしていままで通り試験に望めるのだろうか。
オリヴィエにはそれだけが気にかかるのだ。
普段どおりの言葉と態度。
けれど2人の背を押すオリヴィエはそのとき、震える手を抑えるのに必死だった。
例えば私がお前を欺いていたとして。
その事実を他の者から聞かされるのと、己の目で確かめること…お前はどちらを望む?
監査会から戻る途中。
あの雰囲気から抜け出せずにいたリュミエールは、ただ黙ってクラヴィスの後ろを歩いていた。
やけに長く感じる道が、庭園に差し掛かったときである。
不意に立ち止まって振り返ったクラヴィスが、唐突にそんなことを言った。
例え話であろうとも、その内容にリュミエールは表情を歪める。
「…わたくしは…」
視線を足元に落としたリュミエールは、両手で胸を押さえながら苦しげに答えた。
リュミエールが聖地に上がった時から、敬意をもって慕っている相手がクラヴィスである。
そのクラヴィスがリュミエールを欺く。
そんなことは考えられないけれど、もしそうなのだとしたら…どうか最後まで欺き通してほしい。
弱い考え方なのは承知の上で、それでもできることなら知らずにいたいのだとリュミエールは言った。
例え話だというのにリュミエールの表情は暗く。
答えになっていないという一言とともに、クラヴィスの失笑を買う。
クラヴィスの真意を掴みきれず、リュミエールはいっそ不安げにクラヴィスを見詰めていた。
そうして付け加える。
どうしてもどちらかを選べというのなら、リュミエールは第3者から聞かされるほうを選ぶだろう。
それならばまだ、いっそ聞かなかったことにできるから。
事実を知ったところで、リュミエールには気付かないふりをするのが精一杯だからと。
言葉を紡ぐにつれて表情を強張らせていくリュミエール。
これ以上は酷だと判断したクラヴィスは、聞く相手を間違えたなと再び歩き出す。
何も知らずに騙されていれば、それは確かに楽であろう。
己の心を守るために、現実を直視しないことも。
ただしそれは、それに甘んじていられる者ならば。
「さて、あの者たちはどうであろうな」
「アンジェリークと…」
庭園に足を踏み入れたところで再び立ち止まり、クラヴィスは僅かに体の向きを変えた。
それまでクラヴィスの背を見続けていたリュミエールの視界が一気に開け、
クラヴィスの言う『あの者たち』の姿を見ることができた。
視察の帰りであろうか。
庭園中央の噴水の縁に腰を下ろし、和やかに話しながら共に昼食をとる2人の女王候補。
途端にリュミエールの胸が痛んだのは、先程クラヴィスに投げかけられた問いと関係するのだろうか。
いま何かが起ころうとしている。
もしくはもう始まっているのかもしれない。
そのためにもし、あの2人が心を痛めるようなことになってしまったら…。
けれど今のリュミエールに何ができるというのか。
現状を把握しきれていないもどかしさに、リュミエールは唇をかみ締めた。
「我らの中に、あの2人の信頼を裏切る者がいるようだ」
「…まさか…そのようなことが…」
「もとは世話が過ぎただけのこと。とはいえ、これからあの2人がどう動くか…見物だな」
リュミエールの目が大きく開かれる。
クラヴィスが出したあの選択は、2人の女王候補に向けてのものだったのか。
先の質問の意図を、リュミエールは今はっきりと理解した。
「…守護聖の誰かが彼女達を裏切るような真似をしているなど…信じられません…」
「だが事実だ」
「…あの2人に…知らせるおつもりなのですか…?」
「それも1つの手だな」
「ですが…」
その結果、2人が受けるショックはいかほどのものなのか。
そしてまた、その誰かが明らかとなったとき。
同じ使命を帯びて女王の下に集められた、我々仲間たちの関係はどうなる。
多少 不仲はあっても、女王と宇宙に忠誠を誓ったという揺ぎ無い絆で結ばれている9人。
その和が崩れでもした時…女王陛下の下、これまでどおり宇宙を守っていくことができるのだろうか。
様々な思いが交錯し、リュミエールは続く言葉が出てこない。
「…お前が何を憂いているか…わからないではない」
「クラヴィス様…」
「耐えられぬと思うのであれば、当分は目と耳を塞いでおくのだな」
「ッ…」
結局、クラヴィスは2人の女王候補をどうしようというのか。
それを聞き出す前に、リュミエールは1人その場に取り残されてしまった。
目と耳を塞いでおけ…
あの日、確か先週の日の曜日だ。
リュミエールは、オリヴィエにも似たようなことを言われたことを思い出す。
あの時は、試験に関することであればどんなことでも受け入れられると思ったはずだ。
誰も傷つかないようにと願い、もし誰かが傷つくのなら、その傷を癒してやりたと。
確かに今は何も出来ない。
けれど何もしないわけにはいかない。
事態は、もう止められないところまで来ているのだろう。
ならばせめて、自分に出来ることをしたい。
誰かが傷つくのを見るのはもちろん辛い。
けれど真実から目を背け、何もしないことのほうがよっぽど耐えがたい。
リュミエールの視線の先では、まだ何も知らない2人の女王候補が笑っている。
飛空都市に招かれた当初、右も左もわからなかった彼女たちは、気付くと必死な顔をしていた。
けれどそれぞれに努力を重ね、そうして今の笑顔を見せているのだ。
どんなことがあっても、彼女たちのあの笑顔を曇らせたくはない。
そのためには、この先何が起ころうとも、リュミエール自身がしっかりと顔を上げていなければならない。
リュミエールの心は決まった。
守護聖の中に、本気で彼女たちを傷つけようと考える者などいるはずがない。
クラヴィスの言うように彼女たちの信頼を裏切る者がいるのだとしても、それは本心ではないはずだ。
ほんの少し、思いがすれ違っているだけ。
「…大丈夫。きっと全てうまくいきます」
不安がないといえば嘘になるけれど。
自分を奮い立たせるように笑みを浮かべて、人知れずリュミエールは2人の女王候補に微笑みかけた。
top 次のお話