「誰かのために」と思うこと自体が、思い上がりだという思想がある。
なぜならば、尽くした力が必ずしも良い方向に働くとは限らないからだ。
良かれと思って伸ばした手が、逆に状況を悪化させ、誰かを傷つける…。
そうなった時、お前は責任を負えるのか。
守護聖の間に疑惑を残したまま査定会が終えられた日の夜、事態は急速に動き出した。
マルセルが王立研究院を訪れたのは、辺りが闇に包まれてからのことであった。
土の曜日に育成が行われることはない。
いつもならば執務が終ってすぐ、帰りがけに大陸の様子を見に来た風を装っているのだが、
今夜はなるべく人目につかないほうがいいだろう。
当直の担当者を残して人気がなくなった研究院に忍び込み、誰にも気付かれずに奥の間へ入ることが出来た。
本当は、もうこんなことをする必要はないと思っていた。
試験開始当初はあらゆる面においてに劣っていたアンジェリークが、今では大きくリードしている。
この分ならば、まず間違いなく女王になるのはアンジェリークだろうと思っていたのだが…。
「ここで気を抜いたら、またに追いつかれちゃうよね」
もアンジェリークも、女王候補として申し分なく成長している。
どちらが女王になっても、宇宙は更なる発展を遂げることが出来るだろう。
女王候補としての特別教育を受けていない2人は、同じスタートラインから走り出したのだろうけれど。
マルセルにはそう思えなかった。
にはアンジェリークにない何かがある。
それはきっと、がアンジェリークより長く生きていることによって得た経験。
そうでなければ、アンジェリークだけがあんなに苦労するはずがない。
そう考えたからこそ、マルセルは禁を犯す決意をしたのだ。
女王候補の素質ならば、アンジェリークもに負けていないはず。
マルセルが力を貸すことで、アンジェリークがと同じ位置に立てたなら、
きっとアンジェリークもと同等の力を発揮できる。
現に育成においてを追い抜いたアンジェリークは、あんなにも自信に満ちているではないか。
「もうちょっとだけ…力を貸してあげる」
だから頑張って。
に負けないで。
ボクはね、アンジェに女王様になってもらいたいんだ。
アンジェならきっと、優しい女王様になれるよ。
そうしたら、ずっと一緒にいられるよね。
どちらが女王になってもおかしくはない。
最近では、守護聖の間でそんな言葉が囁かれるようになっていた。
どちらでもいいのなら…いつも優しくて笑顔を絶やさないアンジェリークのほうがいい。
時には涙を浮かべながら、それでも必死に試験に向うアンジェリークの姿が
マルセルの心に焼きついてはなれない。
そうまでして頑張るアンジェリークが万が一にも女王になれないなんて…
そんなことがあっていいはずはない。
マルセルは静かに目を閉じる。
ボクの力、受け取って。女王になるのはキミなんだ…
体の前にゆったりと両腕を広げ、マルセルはアンジェリークの大陸へと意識を集中させる。
マルセルを取り巻く空気が微かに震え、その腕から緑のサクリアを解き放とうとしたその時。
マルセルの意識は一気に肉体へと引き戻された。
「…やっぱりアンタだったんだね…」
「ッ…オ…リヴィエ様…?」
扉が開いたことには気がつかなかった。
オリヴィエはいつからそこにいたのだろう。
土の曜日に他の守護聖が星の間を訪れるなど予想もしていなかったマルセルは、
得も知れぬ恐怖に体を震わせていた。
「アンタのそれは…女王候補に頼まれた育成じゃないね。いつからだい?そんなこと始めたのは」
「オリヴィエ様…どうして…」
暑くもないのに、マルセルは口の渇きを覚えていた。
掠れた声で呟くマルセルに、オリヴィエは視線を床に落とし、深いため息をついた。
やがて再び顔を上げたオリヴィエは、なぜだかとても悲しそうな顔をして…マルセルの胸に痛みが走った。
「…アンジェリークがもう長いこと私のところに育成に来ないからさ。さすがに調べたんだ。
そしたら、アンタの行動が怪しいってわかっちゃってね。
本当は、もうだいぶ前からアンタを見張ってたんだ」
ただ確証が取れなかったから、今まで何も言わなかったのだとオリヴィエは続ける。
誰にも悟られていないと思っていたこの行為が、本当は知られていた。
との差に苦しんでいたアンジェを救うために。
懸命に頑張るアンジェを女王にするために。
そう思ってマルセルが正当化してきたものが一気に崩れ去る。
「ご、ごめんなさいッ!ボク…どうしてもアンジェの力になりたくて…
頑張ってるアンジェに女王になってほしかったから…ッ!」
「だから頼まれもしない育成をしてたって?」
マルセルの言う理由は、容易に想像できていた。
大変なことをしたとは、思っているのだろう。
規定を破り、公正でなければならない試験を妨害した。
けれどその程度の後悔だ。
自分が仕出かしたことの本当の結果を、目の前で震えている年若いこの守護聖は、まだ知らない…。
気持ちを落ち着かせるために、オリヴィエは一度マルセルから視線を外して深く頭を下げた。
けれど顔を覆う長い髪に隠れたその陰で、オリヴィエはぎりりと唇を噛む。
そうでもしなければ、マルセルを相手に大声をあげてしまいそうだったから。
真実は伝える。
けれど怒鳴ってはいけない。
感情を理性で押さえつけ、やがてオリヴィエはゆっくりと顔を上げた。
「ねえマルセル。それが本当にアンジェリークのためになったと思う?」
「え…」
「アンタの力はアンジェの大陸を潤して、民を豊かにさせた。だけど少々度が過ぎたみたいだね」
「………」
「2つの大陸は未だ成長の途中にあるんだよ。
このままでは物質的な豊かさに精神の成熟が追いつかないまま…アンジェリークの大陸は荒廃する」
「そんなッ!」
夢のサクリアは人々の抱く希望。
人々が夢を見るゆとりもなく貧しいか、夢を見る必要がないほど堕落したか…
「私の力が必要とされないのはそういうことだ」
「アンジェ…ボク…ボクはなんてことを…」
望んだのは、こんなことではなかったはずだ。
アンジェリークの大陸に緑のサクリアが溢れて民が幸せになれれば、
それはアンジェリークの幸せにつながる。
そうして近い将来女王となったアンジェリークと、この先もずっと一緒に笑いあっていたかっただけなのに。
謝って済む事態ではない。
しかし、それではどうすればいいというのか…。
取り返しのつかないことをしたのだと、ようやくマルセルが理解した時。
別の声が広間に響いた。
「…そうか…そなたであったか」
「ジュリアス様!」
首座の守護聖の姿をみつけ、マルセルはもとよりオリヴィエにも背中に嫌な汗が流れた。
できればもう少し、事態を抑えておきたかったというのに…厄介な人物が出てきてしまった。
こうなってしまってはもう、オリヴィエですらどうすることも出来ない。
もともと、どうこうできる状況ではないのかもしれないのだが…。
「王立研究院とオスカーからの報告で、女王候補の育成以外の力が大陸に干渉していると踏んでいたが…
まさかそなたであったとはな」
「………ッ…」
「マルセル…」
「は、はい!」
「守護聖はサクリアを使うことを自らの意思で禁じている。
それは女王陛下がそれぞれの力をバランスよく制御して宇宙を導かれているからなのだ。
ひとりひとりが私情にかられて勝手に力を使えばどうなるか、わからぬわけはあるまい!」
均衡の崩壊
その先にあるのは、惑星自体の崩壊に他ならない。
マルセルは最早立っていることすら出来なかった。
血の気の感じられない顔でその場に両手をつき、大きく見開かれた目からは湛えきれなくなった涙が溢れ落ちる。
「…ボク…そんなつもりじゃ…ただアンジェに喜んでほしくて…」
けれど結果は裏目に出た。
マルセルの純粋な気持ちは痛いほどよくわかる。
だからこそジュリアスもオリヴィエも、
泣き叫ぶようにアンジェリークへの謝罪を繰り返すマルセルに、すぐには言葉をかけられないのだ。
オリヴィエは悲痛な面持ちで、マルセルを直視することが出来ずにいる。
ジュリアスは首座の守護聖として然るべき処置をとらざるを得ないにも拘らず、マルセルを見下ろしたまま。
その場に更なる来訪者がなければ、きっといつまでもそのままであったかもしれない。
「マ、マルセル様!?一体どうして泣いてらっしゃるんですか!」
「ア、アンジェ…」
一も二もなく、アンジェリークは床に座り込んで泣きじゃくるマルセルに駆け寄った。
驚きのあまりに発せられたアンジェリークの声に皆が視線を向ければ、クラヴィスとの姿も。
ただならぬ雰囲気に息を呑むと、表情のない顔でマルセルを見下ろすクラヴィス。
反射的に声をあげたのはオリヴィエであった。
「ッ!アンタどうして…」
「…クラヴィス様に…面白いものを見せてやると…。それより一体これは…」
「クラヴィスにだって…?」
がクラヴィスの名を口にした途端、オリヴィエがクラヴィスを睨みつけた。
こんな場所に、こともあろうかを連れて来たクラヴィスの神経が信じられない。
アンジェリークや他の者ならまだいい。けれどはダメだ。
今すぐ、この場からを立ち去らせなければならない。
そうしなければ、がひどく傷つくことは明白ではないか。
「少々、出遅れたようだな」
「クラヴィス!アンタ一体何考えてんのよ!」
「あ、あの…ジュリアス様。…差し支えなければ説明していただけませんか?」
いつになく真剣な表情で声を張り上げたオリヴィエに圧倒されつつ、それでもは状況を把握しようとした。
に話してもいいものかどうか、ジュリアスですら一瞬戸惑う。
しかしが女王候補である以上、いずれ話さなければいけないのも事実だ。
と、そしてアンジェリークと。
この場に2人の女王候補が揃っている今が、話すべき時なのかもしれない。
「、そしてアンジェリーク。2人ともよく聞くのだ。…そなたたちの女王試験に不正が発覚した」
「「え…」」
ジュリアスは淡々と語る。
アンジェリークの大陸の様子がおかしいという報告を受けたこと。
調査の結果、女王候補の育成とは別の力がアンジェリークの大陸に関与していた事実が発覚したこと。
マルセルが密かにアンジェリークの大陸へ力を送っていたこと。
更には、民たちの精神が全く成長していないこと…。
「マルセル様が…ずっと私の大陸に力を送ってくださっていたんですか…?」
「アンジェ…」
ずっと、アンジェリークの知らないところで。
大陸の育成が順調だったのは、マルセルが力を貸してくれていたから…?
「…ごめんアンジェ…。キミを喜ばせたかっただけなんだ。
でも…ボクの力はキミの大陸に悪く作用しているかもしれない…」
「マルセル様…」
アンジェリークたちが現れたことで収まっていたはずの涙が、またマルセルの頬を濡らし始めた。
マルセルが密かに力を送ってくれていた。
それが悪く作用しているかもしれないとマルセルは言う。
けれど…
「ジュリアス様お願いです。マルセル様を叱らないでください!マルセル様は私のために…」
「アンジェリーク…」
マルセルの力が大陸にどう作用しているのか、詳しいことはまだわからない。
けれど今は、アンジェリークのために力を尽くしてくれたマルセルをこれ以上泣かせたくはなかった。
うな垂れるマルセルの肩を抱き、アンジェリークはジュリアスに懇願した。
できることならば、ジュリアスもアンジェリークの意を汲んでやりたい。
しかし、首座という立場はそれを許さない。
「アンジェリーク…この件は最早それだけに留まらぬ。マルセルのしたことは女王試験への妨害行為。
ひいては女王陛下に対する反逆に値する!」
「そんなッ…」
マルセル様は…私のためを思って…それなのに…
女王陛下への反逆
そんな言葉を現実に突きつけられる日が来るなんて。
言葉の意味の重さに、マルセルの肩を抱いたまま、アンジェリークは顔を伏せてしまった。
育成が順調だと、ずっといい笑顔を見せていたアンジェリーク。
できることならば、アンジェリークのこんな姿を見たくはなかった。
しかたのないことでは…あるのだが。
「…処分は追って知らせる。それまでは館で謹慎しているように」
「…はい…ジュリアス様…」
力のないマルセルの返答に、誰もが胸を痛めた。
結果はどうあれ、マルセルに悪意などなかったのだ。
それなのに…
「…マルセル様は悪くないのに…どうしてこんなことに…」
アンジェリークは顔を上げて、その場の者たちを見回した。
自分のために力を尽くしてくれたマルセルがこんな仕打ちを受けるなんて納得できない。
マルセルが悪いわけじゃないと、誰かに同意してほしかった。
けれど守護聖たちは何も答えてはくれない。
最後にアンジェリークはを見つめる。
事実は覆らなくても、味方がほしい一心で。
「…さん…どうしよう…私のせいでマルセル様が…」
「違うよアンジェ!キミのせいじゃない…ボクが悪いんだ…やってはいけないことをしてしまったんだもの…」
「でも…」
誰が悪いわけではない。
にもそれはわかっている。
女王に対する反逆などと、いささか言い過ぎだとジュリアスに意見することだってできた。
けれどは、ただじっと事の成り行きを見守っていた。
口を開いたら…何かとんでもないことを口走ってしまいそうだったから。
だからこのまま、黙っているはずだったのだ。
アンジェリークさえの名を呼ばなければ。
互いに庇い合うアンジェリークとマルセルの姿を見ているうちに、
は全身から血の気がひいていくような感覚を覚えた。
この感情は…一体何であろうか…
「…責任は…あなたにもあるのよ…?」
「え…」
思いがけない言葉をかけられたアンジェリークはもちろん、
ジュリアスとオリヴィエ、そしてマルセルも驚きを露にを見つめた。
一体は何を言い出すのか。
皆の視線を受けたせいだろうか…は自分でも驚くほど感情のない声で話し続ける。
「私…言ったわよね?あなたの大陸、どこかおかしいって。あなたはどうしたの?」
「あ…わ、わたし…」
「ちゃんと調べたの?育成のデータを見直すだけでも、
あなたの大陸でマルセル様の力がおかしな動きをしていることは確認できたはずよね」
「…それは………」
これ以上はダメだと、は自身に言い聞かせる。
けれど俯いて言葉を濁すアンジェリークの姿に、の足は勝手に動いていた。
クラヴィスと共に、少し離れた場所で傍観していたが、アンジェリークを見下ろす位置まで歩み寄る。
「あなたがもっとしっかり大陸に目を向けていれば、事態はここまで悪化しなかった」
黙りなさい…。これ以上…何を言うつもりなの…
「こうなった責任は、あなたに…」
「やめて!!」
マルセルの叫びは、悲鳴のようでだった。
アンジェリークに庇われていたはずのマルセルが、涙を隠そうともせずにを見上げている。
悲痛なその姿に、は口にしかけた言葉を飲み込んだ。
「ボクが勝手にしたことなんだ。だから…アンジェを責めないで…」
「…………」
「なかなかキミに追いつけなくて…それでも頑張ってるアンジェを助けてあげたかった…。
アンジェを女王様にしてあげたかったんだ…」
「ッ……」
人間の感情というものは、こうも簡単に変化するものだったのか。
アンジェリークを助けたかった?
アンジェリークを女王にしたかった?
ではマルセルにとって、の存在は何なのか。
ぎこちなかった関係を修復できて、普通に話して笑い合えるようになって…
は素直に嬉しかった。
マルセルもそう感じてくれていると思っていた。
けれどマルセルの言葉の意味は…
アンジェリークを女王に即位させるため、の存在は邪魔だと言っているのと同じではないのか。
マルセルの言葉を聞いた途端、先程とは逆に、今度は全身の血が逆流した。
ああでも、この感情なら知っている。
私はいま、激しい怒りを感じている…―――――――――
マルセルの言葉がにどう届くのか。
今の精神状態では、マルセル本人にもわからないのかもしれない。
「アンジェリークを女王に」
だからといって、マルセルが女王候補としてのを否定しているわけではない。
けれどの前で、マルセルの口からそれだけは言わせてはいけなかった。
マルセルの言葉を聞いた途端、は息を呑んでいたではないか。
がマルセルの言葉を誤解したのは決定的だ。
先程見せた、アンジェリークへの態度を見てもわかる。
マルセル同様、今はも普通の状態ではない。
気付くのが遅れたと、オリヴィエは忌々しげに小さな舌打ちをしていた。
マルセルのためにも、のためにも。
やはり一刻も早く、をこの場から連れ去らなければ。
無理矢理引きずり出すことになっても構うものか。
を連れて、とにかくここを出よう。
そう思い立ったオリヴィエは、すかさずに歩み寄ってその腕を取る。
しかし…掴んだの腕をひくより先に、オリヴィエは一瞬その場を動けなくなっていた。
ここにいてはいけないと、そうに伝えようとしたオリヴィエが見たものは、
マルセルに向って柔らかく微笑むの姿。
笑顔を向けられたマルセルは、が自分の思いを理解してくれたとでも感じたのか。
涙を流したまま、それでもに笑い返そうとしている。
の微笑みは、いつも見せているものよりずっと優しい笑顔なのだけれど…
間近でそれを見たオリヴィエの背筋を、冷たいものが走る。
この微笑の意味は寛容の表れなどではない。
は諦めたのだ…マルセルを。
「…そんなに私が嫌いですか…不正をするほど…」
「ッ!」
笑顔とは裏腹に抑揚のないの声はごく小さかった。
すぐそばにいたオリヴィエ以外、聞いた者はいない。
他の者たちがこちらを見ているのは、オリヴィエが声を荒げたせい。
違う、そうじゃない。
ただマルセルが幼いだけ。
常に結果を考えて行動できるほど、マルセルはまだ大人じゃないんだ。
思いつきで行動しちゃうガキなんだから!
をどうこうなんて、そんな悪意なんかないんだよ。
いつものアンタならわかるだろう…!
の両肩を強く掴み、オリヴィエは訴える。
オリヴィエが覗き込んでいるの顔から、さすがにもう笑顔は消えていた。
の視線は、まっすぐにオリヴィエを見つめ返しているものの…
オリヴィエの訴えに、ついにからの応えはなかった。
「…、アンジェリーク、2人とも寮へ戻れ。今後のことは月の曜日に知らせる。
朝一番に、2人揃って私の執務室まで来るように」
「…はい…」
オリヴィエの必死の訴えが空しく響き、その声の余韻が消えた頃。
ジュリアスから女王候補へ退室命令が出た。
アンジェリークは涙で震える声で返答したが、はジュリアスを見つめたまま…。
それでも先に歩き出したのはの方であった。
もう力を失っていたオリヴィエの手から離れ、扉へと真っ直ぐに歩いていく。
「…部屋まで送ろう」
すれ違いざまにそう言ったクラヴィスにさえ、は何も答えない。
しかしクラヴィスはそれが当然であるかのように表情1つ変えず、アンジェリークを呼び寄せる。
未だ床に座り込んだままのマルセルを気にしながらもアンジェリークが立ち上がると、
急いでの後を追うでも、アンジェリークが来るのを待つでもなく、
クラヴィスは普段と変らない様子で足を進めた。
うな垂れて座り込んだままのマルセル。
女王候補が出て行った扉を見つめるジュリアス。
オリヴィエもまた、その場で自分の手を見つめていた。
さっきまでの肩を掴んでいたオリヴィエの両手。
ゆっくり握れば、当然その手の中に、今は何もない。
当直の研究員が定時の見回りに来るまで、3人の守護聖はその場に留まっていた。
ジュリアスの指示で、その研究員がマルセルを緑の館まで送り届けることとなる。
「…私も館へ戻るが…そなたはどうする?」
研究員に連れられて出て行くマルセルの後姿を何となしに見つめていたオリヴィエに、ジュリアスが言った。
その声で我に返ったオリヴィエは、ため息と共に髪をかき上げる。
「…そうだね、私も帰るよ。なんかどっと疲れた…」
「…本当に大変なのはこれからだ」
「ああ、わかってる…」
それがこの日、この場で交わされた最後の言葉だった。
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