「ったく…」















土の曜日



大陸の視察から戻ったは、庭園の噴水の縁に腰を下ろしてデータを見返していた。



寮に戻る前に露店を覗いて、何か飲み物でも買って帰ろうと思って立ち寄った庭園だが、



どうしても先に育成のデータを見返したくなるのは、の性格なのだろう。



人口の増加率、建物の規模や数、大陸へのサクリアの蓄積量も、数値は充分上がっている。



けれど、の計算と大陸の発展速度がどうしても合わないのだ。



いや、の大陸だけで見れば、何も問題はない。



ただアンジェリークの大陸と比べた時、計算では追いつけるはずの差が、



どうしてか一向に縮まらないのである。



この試験には速度も求められる。



巻き返しを計るなら、この辺でそろそろ仕掛けたい。



今のまま、更にアンジェリークの大陸が勢いづいてしまおうものなら、



もう追いつけなくなるというところまで来ているのだ。



アンジェリークの大陸の発展速度が上がらないように祈りつつ、



いろいろやってはみているのだが…成果は今ひとつ。

















「どうしようかしらね…」



「とりあえずお昼にする…ってのはどう?」



「…はい…?」

















独り言に返事が返ってきた。



がデータから顔を上げると、不自然なほどの笑顔を浮かべたオリヴィエが



すぐ隣りまで来ていた。



少し後ろから、ルヴァとゼフェル、ランディの姿も。

















「皆様おそろいで…どうしたのですか?」

















4人が揃うのを待って、が言った。

















「今日はオレたち、ルヴァ様の手伝いなんだ」



「本棚の整理の助っ人をお願いしたんですよぉ」



「私はお仕事だけどね」

















ゼフェルは特に何も言わなかったが、不機嫌そうにしているところを見れば、



彼も助っ人に借り出されたのだろう。



手伝いのお礼に昼食をご馳走する約束だったルヴァたちと、



一人で食事に出たオリヴィエが途中で出会い、一緒になったらしい。



するとせっかくだからも一緒にどうかと、ランディが言い出した。



















「そうしなよ。には、私が奢ってあげるからさ」



「いえ、そんな…」



「遠慮しないの。こういうときでもないとアンタ、あのカフェには行けないでしょ?」



「そーいや、あそこは守護聖専用つってたな」

















思い出したように言ったのはゼフェルだ。



皆に誘われて断る間もなく、は彼らと同じテーブルに着いていた。



大勢で囲むテーブルは、少しの休みもなく騒がしい。



その賑やかさに引き込まれ、もう少しでは、この後の予定を忘れてしまうところであった。



その時の話題が一段落ついたところで、は腕時計を見た。

















「あれ、もう行く?」



「ええ。今週のデータをまとめてしまいたいのでそろそろ…」

















時間を気にし始めたに気付いたオリヴィエは、



飲んでいた紅茶のカップをテーブルに戻しながらに言った。



















「そういえば、今日は視察の日だったね。どうだった?大陸は」



「いつも通りですよ。良くも悪くも…」



















テキストの間に挟んでいたデータをが開くと、皆が一斉に覗き込んできた。

















「なんだ、ちゃんと発展してるじゃないか」

















先週との差を示している欄を見たランディは、全ての項目に置いて数値が上がっているのを確認して言う。



















「…アンジェリークに比べりゃ、ずいぶんみみっちい変化だけどな」



「ゼフェルッ!!」

















思ったままに正直な感想を口にしたゼフェルを、ランディが窘めようとして…言い争いが始まるかと思われた。



しかし、ゼフェルの言葉を聞いたが盛大なため息をついたことで、4人の視線はに向けられた。

















「みみっちい…やっぱりそう思われますよね…」



「え…あーいや…」

















悲しそうな視線をデータに落としたの姿。



さすがのゼフェルも言葉を濁す。

















「いいじゃないですか。少しずつでも発展しているんですから。『千里の道も一歩から』ですよ」



「そうだよ!発展が止まってた時に比べたら、ずっといいじゃないか」



「まあ…そうなんですが…」



「んー?何よその顔。不満気じゃない?」

















ルヴァやランディの励ましにも、は言葉の上でしか同意しなかった。



オリヴィエが言うように、悲しそうにデータを見ていたの目が…だんだん据わっていく…。

















「どうせならもっと…景気よくいきたいわけでして…」



「……?」

















データを見据えたまま、が呟く。



初めて見るの不機嫌極まりない表情に、ランディは目を見張った。

















「今ごろはアンジェリークに追いつくか、追い抜くかしているはずなんですよね…理論上は…。



それを…こうもグズグズしてられると…無茶の一つもしてみたくなったり…」



「なんだよ…無茶って」

















ゼフェルの問いかけに、は顔を上げた。

















「サクリアの乱用…?。この際バランスは無視して、手当たり次第送ってみるとか…」



「「「「え…????」」」」



「いえ…いっそサクリアの供給を完全停止というのもなかなか…」



「「「「はい…????」」」」

















どこか遠くを見つめて、は呟いた。



らしくないその発言に、4人は耳を疑う。

















「やだ、ちょっと!がおかしくなった!」



「そんなこととしたら、大陸がメチャクチャになっちゃうんだぞ!?」



「は、早まってはいけませんよ?ど、ど、どうか落ち着いてッ…!」



「おめぇ、アタマ平気か!?」

















彼らの反応は様々である。



の言葉に焦りを隠せない4人の守護聖たち。



空ろな目をしているの様子が、彼らの動揺を煽る。



が…

















「ふっ…」



















不意に上がった笑い声はのもの。



















「冗談です」



















まさか彼らがここまで本気にするとは思っていなかった。



は4人の拍子抜けした表情に、笑いがこみ上げてくるのを抑えきれず肩を震わせている。

















「ったくよ…おめーってそういうヤツだったか?」



「ふふ」

















ゼフェルの言葉に笑ってみせるは、すっかりいつもの彼女。



安堵の息をついた彼らが見守る中、は綺麗に整えられた右手の爪先で



テーブルに広げていたデータを2・3度叩いた。



















「自棄を起しても仕方ないですから。焦ってまた発展が止まっても本末転倒ですし」



「そうですね。ここまでもあなたの努力はちゃんと実を結んでいるんですから。



焦る必要はないですよ」



「ふふ。だよねー。マルセルとの親密度も上がって、止まってた発展がまた動き出したんだから?



まだまだこれからってね」



「ええ。先ほどの話は冗談ですけど、とりあえずいろいろやってみるつもりではいます。



アンジェリークもちょっと普通じゃないやり方してますけど…結果はうまくいっているわけですしね。」



「普通じゃない?」

















オリヴィエが聞き返すと、はちょっとだけ肩をすくめた。

















「ええ。なんだかこの所、ずいぶん偏った育成してるみたいなんですよ、あの子。



大陸自体を育てるのに夢中で…ちょっとそれに気を取られすぎじゃないかとも思うのですけど…



かといって、民たちの精神面に問題があるなんて報告はないみたいですし。



だったら私も、少しは冒険してみようかと…。これ以上アンジェリークに差を広げられるのは避けたいですから。



はぁ…さて。じゃあ、今度こそ本当に失礼しますね」



「あ〜、そうですか?残念ですねぇ」

















そう言ってくれるルヴァに笑みを返し、は席を立った。



するとなぜか、ランディまでもが慌てて立ち上がる。

















「あ、オレ、寮まで送るよ」



「え…いえそんな。まだ昼間ですし、わざわざ送っていただかなくても…」



「いいんだ!ちょうどオレ…そう!散歩しようと思ってたところだし。ついでだよ。ハハ…」



「…はぁ…そうおっしゃられるのでしたら…」



「うん!」

















最後に軽い会釈を残して、ランディと共に去っていく



そんな二人の後姿を見送りながら、オリヴィエが呟く。

















「…ねぇ…アンタたち…どう思う?」

















滅多に見せないオリヴィエの真剣な眼差しに、ゼフェルは息を呑んで身構えた。



ずっと自分の中で燻っている嫌な予感が、一気に色濃くなって感じられる。



すぐには答えられないゼフェルから、オリヴィエはルヴァへと視線を移した。



さすがにルヴァはオリヴィエの雰囲気に飲まれることなく、いつもと変らない穏やかな笑みをそのままに残している。

















「そうですねぇ。ランディは、あ〜…ずいぶんとを気に入っているみたいですねぇ」



「「…はぁ?」」

















質問の意味を取り違えていたルヴァのせいで、3人の…



いや、正確にはオリヴィエとゼフェル2人の間にしか存在していなかった緊張感が一気に萎える。

















「あのねぇルヴァ…誰もランディが色ボケしてるって話なんかしてないの!



私が言いたいのは、さっきが言ってたことよ!聞いてなかったわけ!?」



「へ?あ、あ〜、はいはい。もちろんちゃんと聞いてましたよ。アンジェリークの育成が偏っていると…」



「そう、それよ!…ッたく…まあいいわ。とにかく私が言いたいのはね、



さっきのの話、ちょっとおかしいんじゃないかってことよ」

















ようやく本題にたどり着けたオリヴィエは、一度言葉を切って紅茶を口に含んだ。



そのカップとソーサーをテーブルに戻すと、再び口を開く。

















「私はあまり大陸とかに興味ないからさ、アンジェリークがどんな育成してるかなんてそんなに気にしてなかったけど…



の言葉が本当ならよ?偏った育成してるアンジェリークの大陸が順調に発展してるのって…変じゃない?」



「そうですねぇ…程度にもよると思いますけど、サクリアのバランスを無視しているなら、



それなりの歪みは生じるはずですねぇ」



「でしょ?ちゃんとした手順を踏んでるの育成がそれに追いつけないなんて…ありえるわけ?」



「う〜ん…」

















普通に考えれば、答えはNOだ。



けれどサクリアというものは、守護聖のものはもとより、特に女王のそれは未だ多くの謎に包まれている。



特異な現象が起こっても不思議ではないのだ。



一概に否定もできず、ルヴァはすっかり考え込んでしまった。



ルヴァの答えを待つオリヴィエは、彼が得意の長考を始めてしまったのを見てすぐには返事がもらえないことを悟ると、



苛立たしげに爪を噛むゼフェルへと視線を戻した。



ゼフェルが爪を噛むのは、彼の心がざわめいている証拠。



その癖を知るオリヴィエは容易にゼフェルの心理状態を悟ってしまい、無意識に眉を寄せる。



ゼフェルも今のオリヴィエと同様、不穏な気配を感じているのだろう。

















「…なんかしんねーけどアイツ、最近やけに鋼のサクリアを欲しがってんだよ…」



「それは…大陸を育てるにしても過ぎた量…ってわけ?」



「ああ。女王候補に言われりゃ断るわけにもいかねーから、とりあえず送ってやってるけどよ…



ちょっと普通じゃ考えらんねぇ量だぜ?ありゃあ…」



「なるほどねぇ…」



「今はまだ大丈夫みてーだけど…そのうちしっぺ返し食らう…なんてことになりかねねぇぜ…」

















過剰な鋼のサクリアの量が引き起こす結末は、オリヴィエもルヴァも承知している。



サクリアは時に、素晴らしい奇跡すら起してみせる未知数の力。



だからこそ、今の状態がおかしいと即答できなかったルヴァであるが、ゼフェルの様子から



そうも言っていられない状況であることを理解した。



ほかならぬサクリアの主が危険を感じ取っているのだから…

















「…アンジェリークの育成と、それに伴って現れるはずの結果が若干ずれている…ということでしょうかね…」



「そうだね。これはちょっと…無視できないかな…?」

















アンバランスな育成で起こるはずの歪みが現れず、誰もが順調だと思っていたアンジェリークの育成。



けれど本当は、その順調さこそが歪みなのかもしれない。



ふとオリヴィエは、数日前に自分の元を訪ねてきたオスカーのことを思い出した。



ただの世間話と思っていたあれは…その裏でアンジェリークの行動を探っていたのではないのか?



そして、もしオスカーが本当にアンジェリークの行動を探っていたとなれば



その裏には間違いなくジュリアスがいるはずだ。

















「チッ…やられたぁ…」



「あ?」



















そんな場合ではないのだが、



オスカーにまんまとしてやられた事実に気付いて忌々しげな舌打ちをしたオリヴィエは



さも不満げな顔で乱暴に頭を掻いた。



















「どうやら、本当にただ事じゃないみたいだよ。おそらく…ジュリアスはもう気付いて動いてる」



「…マジかよ…」

















予感的中。



もともとこのままで済むとは思っていなかったぜフェルではあるが、できることなら当たって欲しくはなかった。



鋼のサクリアがもたらす災厄…ゼフェルのせいではなくても、激しい自己嫌悪に襲われた。



女王候補のやることに口は出さないと言っておきながら、



こうなることを恐れて、何度アンジェリークに忠告しようと思ったことか。



そして、思っただけでなぜ、こういう危険性を教えてやらなかったのかが悔やまれる。



アンジェリークはこれからどうなるのか…。



唇をかみ締めて悶々としてみたところで、何も変らないのはわかっているのだが…

















「あ〜…アンジェリークの大陸にどうして通常の歪みが起こらないのか…まずはその原因を突き止めてみましょうかねぇ」



「そうだね。私もちょっと気になることがあるから、調べてみるよ」



「お、おい…おめぇら…」



「ん〜?なによ」

















ゼフェルが考え込んでしまっている間に、連れ立つようにして席を立つルヴァとオリヴィエ。



これからどうしていいのか見当もつかなかったゼフェルは、遅れを取ってしまったらしい。



深刻なゼフェルに比べてずいぶんと前向きな二人に、ゼフェルは不思議な頼もしさを覚えていた。

















「…今からでも…なんとかなるもんなのか?」



「さあね。でも、なんとかするしかないんじゃない?」



「そうですねぇ。まだ駄目と決まったわけではないんですからねぇ」



「…そーか…!」

















こうなってしまったものは仕方がない。



けれど幸い、まだあの大陸には何事も起きてはいないのだ。



これから起こる「何か」を回避することはできなくても、最小限に食い止めることならまだできる。



起こる災厄の原因が鋼のサクリアであるかもしれないのだとすれば、余計にこうしてはいられない。

















「おっしゃ!行くか」

















どんな時でもマイペースで前向きな「センパイ」たちに感化されたゼフェルが、



持ち前の負けず嫌い精神を取り戻すのにそう時間はかからなかった。



ルヴァとオリヴィエの後を追うように、ゼフェルは駆け出した。







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