「…だいぶ落ち着いてきたわね…」
遊星盤の上に立つは、時折吹く風に舞い上げられる前髪を抑えながら息を吐いた。
大陸の発展に伴って、そこに住む人々の間には様々な問題が起こることもある。
一昨日様子を見にきたときは、そのせいでちょっとした騒動が起きていた。
誰かの成功を妬んでみたり、利益をめぐって争ってみたり…。
だがそれは、人間の自然な姿だろう。
野心は簡単に捨てられるものではない。
自分を高めたいと思う意識の源も、実は 人より少しでも優位な立場に居たいという心理が働いているのではないだろうか。
そしてそういった欲求も、裏を返せば大陸の発展につながるのだ。
もちろん、育成のやり方によっては、民同士の争いを抑えることも出来るのだが…。
「それじゃあ、人間味がないじゃないねぇ?」
つい数時間前
は、発展に伴う民たちの争いを起さないような育成を検討したらどうかと
首座の守護聖によって提案されていた。
その時のジュリアスの生真面目な表情を思い出し、は肩をすくめる。
確かに、争いは起きないに越したことはないけれど、競い合うのは悪いことではないはずだ。
誰かと衝突して、そこから学ぶものがあるのもまた事実だろう。
自分にないものを求めて誰かを責めるのは間違っている。
けれどその間違いに気づき、自らその行為を正すことが出来ているうちは…
多少の争いには目をつぶってもいいではないか。
ここの大陸の民たちは、まだ大丈夫。
の手を借りずとも、起こる争いを自分たちで治められている。
彼らは、目的を見失わない強い心を持っているのだから。
大陸の様子から、ジュリアスの提案をあっさりなかったことにして、は遊星盤を動かした。
王立研究院へ戻り、視察の結果をパスハへ報告する。
の報告を受けたパスハが、そのデータを書類にまとめてくれている間に…。
は端末を借りて、ライバルの大陸のデータを立ち上げてみた。
ある時期から急激な発展を遂げているアンジェリークの大陸。
の大陸との差は歴然で、この頃では偵察に向う気すら起きていなかった。
けれどこちらも、発展のスピードを取り戻しつつあることだし、
その差を正確に把握し、対抗手段を講じてみてもいいかと思ったのだ。
「…なによこの人口増加率…冗談みたい」
見なければ良かったと…はその目を閉じた。
そろそろあの爆発的な発展の勢いも落ち着いてきたのではないかとも思っていたのだが…甘かったらしい。
椅子の背もたれに背中を預けたが、目を閉じたままの天井を仰いだ。
その姿勢のままで、かすかに声を上げて唸っているのは、頭の中を整理している証拠。
どんな勢いも、いつかは必ず衰えるはず。
盛者必衰の理は真実なのだから。
けれどアンジェリークの大陸は、その理から外れている。
世の中の真理を凌駕するほど、あの大陸は特別なのか?
もしくは、育成主が特別だとか…。
「どうなってるのよあの大陸…どこかおかしいんじゃないの?」
不作法だとはわかっていたが、はテーブルに頬杖をついてデータを睨んだ。
育成主が特別?
一瞬頭に浮かんだ考えを払拭したくて呟いた独り言は自分らしくなくて、直後には苦笑いをするしかなかった。
ライバルの結果を羨ましいと思う気持ちを、こんな言葉で誤魔化すなんて馬鹿げているにも程がある。
けれど…不意に口をついて出た言葉に、はふとあることを思い出した。
最後にアンジェリークの大陸を訪れた時に感じた違和感。
アンジェリークに忠告してからは、こちらもそれどころではなくなって忘れていたが、あれはどうなったのだろう。
あれ以来アンジェリークは何も言って来ないし、
守護聖たちの間でも特に問題として持ち上がった様子もないところを見ると、の思い過ごしだったのだろうか?
「でもそんなはずは…」
出来ればもう見たくはなかったが、は再びアンジェリークの大陸のデータに目をやった。
こうして見る限り、あの嫌な感じが育成に支障をきたしているとは思えない。
大陸に送られたサクリアが正しく作用していることは、目の前の数値が実証していた。
やはりあの違和感は、信じられないほどの勢いを持つ大陸のエネルギーを感じただけだったのかもしれない。
こちらの大陸では未だに感じることのできないほどのエネルギーだったから、
これ以上差をつけられたくないと思う気持ちが、恐ろしいものに感じさせたのだろう。
自分の思い違いだったのだと結論を出したは、画面をスクロールさせた。
データはここ一ヶ月のサクリアの蓄積量の変化を示す資料に変る。
その日アンジェリークが育成を依頼しただろうサクリアは、一日で大きく数値を変え、
それ以外のわずかな変化は、サクリア同士の相互作用によって自然に増加したものだと思われる。
「やっぱり炎と鋼のサクリアを多く送っているのね。あれだけ発展が続いていれば当然でしょうけど…」
どちらのサクリアも大陸の発展には欠かせないものだということは、育成のテキストにも載っている初歩的な知識。
けれど、常に大陸の発展と民の心の成長のバランスを考えて育成しているは、
これほど長期にわたってこの二つのサクリアを大量に送り続けたことはない。
大陸の発展とは、つまり文化レベルの向上。
どちらかといえば大陸そのものの発展はわざと一歩遅らせて、
民がそれをなんとかしたいと思い始めるのを待ってから、時期を選んで大陸を発展させてきた。
大陸の成長があまりにも先走ってしまえば、そこに暮らす人々の向上心が失われそうだったから。
そのせいなのかもしれないのだが、の目にはどことなく、
アンジェリークの育成は、大陸を成長させているというより、大陸に育成させられているように映った。
育成主の予想以上に発展し続ける大陸に振り回されている…とでもいうのだろうか…。
「…あら…?」
日ごとにサクリアの増加量を追っていたが、ふとマウスを操作していた手を止めた。
思い違いかと思って、もう一度月初めからデータを見直す。
「この数値…やっぱりおかしいわ」
が注目したのは、緑のサクリアの増加量を示す数値。
一日ごとに数値を追えば、増加量の総数は計算が合う。
けれどそれは、アンジェリークの育成方法では到底届くはずがないほど多いのだ。
この一ヶ月で、アンジェリークが緑のサクリアを依頼して送ってもらったと見られるのは、ほんの2〜3回。
あとは自然に増加したのだろうが…そうだとすればこの数値はあり得ない。
仮に一ヶ月、毎日少しずつでも緑のサクリアを送り続ければこんな結果も出るだろう。
けれど庭園で会った時も寮で顔を合わせたときも…
アンジェリークが育成を依頼したと言っていたのは、マルセル以外の守護聖。
その言葉を信じれば、この数値は多すぎるのだ。
女王試験において、王立研究院が試験に関わる大事なデータの記載を誤っているとは考えにくい。
だとすればアンジェリークの大陸では、何かの原因で緑のサクリアが、通常の倍以上の速さで増えているということになる。
「…親密度のせい…かしら?」
アンジェリークの大陸で、マルセルの力が想像以上に作用している。
守護聖との関係が育成に多大な影響を及ぼすことを経験しているには
その原因が、アンジェリークとマルセルとの親密度の高さとしか思えなかった。
親密度が低すぎて大陸の発展が止まったりするのだから、逆のパターンもありえるのだろう。
だんだん上がってきているとはいえ、とマルセルとの親密度は、まだ充分とはいえない。
緑のサクリアは、人々の生活の基盤となる大地を育てる。
マルセルとの親密度が高いアンジェリークは、その恩恵を余すところなく受けらるのだろう。
なんとなく…アンジェリークの大陸がなぜこれほど発展し続けるのか、わかったような気がした。
「待たせたな、。これが今回の育成データだ」
「あぁ…パスハさん。ありがとうございます。」
「ん?アンジェリークの大陸のデータか…」
「ええ…。何か参考になればと思いまして」
今日の育成データを受取ったは、端末の電源を落として立ち上がった。
王立研究院を後にしながら自分のデータに目をやれば、やはりアンジェリークとの差は歴然だ。
今後のことを考えても、これ以上差がつくのは避けたい。
こちらもしばらくは、集中的に大陸そのものを育てる育成に切り替えてみようかと考えをめぐらす。
育成方法の検討と同時に、マルセルはもちろん他の守護聖たちとの親密度も見直す必要がありそうだ。
データをテキストに挟んだは、次の目的地を占いの館に決めて歩みを速めた。
『…リュミエールに、オリヴィエのところにも育成には来ていない…か…』
オリヴィエの執務室から出たオスカーは、ここ数日で聞き込んだ情報を思い返した。
それぞれの守護聖たちに声をかけては、それとなく聞き出したアンジェリークの行動。
厳密な回数にすれば差はあるだろうが、アンジェリークはほぼ満遍なく守護聖の部屋を訪ねていた。
しかし、その主な目的は挨拶回り。
育成の依頼はどうかと訪ねれば、ほとんどの守護聖が以前と比べて回数は減っていると答えたのだ。
唯一の例外はゼフェル。
彼だけは、回数が増えたと言っていた。
『…ゼフェル…鋼のサクリアか…。ん?…そういえば…』
昨日話を聞きに行った時、ルヴァが気になることを口にしていたのを思い出す。
執務室を訪ねてきたゼフェルに、アンジェリークの大陸は様子がおかしいのではないかと聞かれたらしいのだ。
ゼフェル曰く、何か嫌な予感がするのだと…。
オスカー相手には直接言わなかったが、ゼフェルもまた、急に増えたアンジェリークの育成依頼を不審に思っているようだ。
炎のサクリアと鋼のサクリアは、大陸が成長する時に多く必要な力。
ゼフェルへの育成依頼も増えていると聞いた時は、単純に大陸の発展が著しいだけなのかもしれないとオスカーも思った。
しかし、全ての守護聖に話を聞き終わった今わかることは、闇や水、夢のサクリアといった、人の精神に大きく作用する力を、
アンジェリークはこの一月、ほとんど送ってはいないということ。
アンジェリークの育成は、土地そのものを育てることに偏っているのだ。
『…サクリアのバランスを無視して…それでも大陸は発展するものなのか…?』
「あ!オスカー様ー!やっと見つけました〜」
ここ数日で集めた情報を思い返しながら歩いていたオスカーを呼ぶ声。
振り返ると、オスカーに向って手を振りながら、廊下の向こうからアンジェリークが駆けてくる。
歩みを止めて立ち止まったオスカーに追いついたアンジェリークは、肩で大きく息をしながらも
育成の依頼をしたいのだと言った。
「ずっと探してたんですよ?でもどこにもいらっっしゃらなくて…。お会いできてよかったです」
「そうか…それは悪いことをしたな。育成の話をするのにここじゃなんだ。オレの部屋へ行こうか?」
「はい」
執務室へ向いながらも、オスカーはアンジェリークの不自然な育成が気にかかっていた。
急激に速度が上がった大陸の発展。
その速度に合わせて、人々の暮らしも楽になっただろう。
だがそうなると、そこで暮らす人々の精神状態はどうなる?
努力することなく与えられた豊かな生活は…人間を堕落させてしまうのに充分な要因となるはずだ。
もしくはすでに…?
その兆候はある。
アンジェリークが人々の精神を成長させるのに必要なサクリアを送っていないということは、
大陸の民が、己の成長を望まなくなったということではないのか…。
「さて…炎の力が必要だと言ったな?」
「はい!私の大陸に、オスカー様の力をたくさん送って欲しいんです」
オスカーの執務室に入り、アンジェリークは再びオスカーのサクリアを求めた。
女王候補からの正式な育成依頼。
本来であれば、守護聖であるオスカーは、女王候補の求めるままに力を送らなければならない。
だが、アンジェリークの依頼に、オスカーはすぐにはうなずかなかった。
「依頼を受ける前に、お嬢ちゃんに一つ聞いておきたいことがある。」
「なんですか?」
「お嬢ちゃんの大陸には、本当にオレの力が必要なのか?」
「はい、もちろんです。民の望みもすごく多くて…」
力強くそう答えたアンジェリークに、オスカーは首を横に振った。
「そうじゃない。お嬢ちゃんの目から見て、どうなのかと聞いているんだ」
「え…」
質問の意味がわからず、アンジェリークは首を傾ける。
大陸が発展するあの勢いを見て、なぜこんなことを聞かれるのか。
誰が見ても、オスカーの力は必要なはずなのだ。
「なぁ、お嬢ちゃん。どんな力も、過ぎれば毒にしかならないんだぜ?」
「は、はぁ…」
「オレの力は特に危険だ。あまり欲張ると、火傷するだけじゃすまなくなる」
「…………」
「悪いが、今日はお嬢ちゃんの依頼を引き受けるわけにはいかないな」
「え!どうしてですか?」
アンジェリークの脳裏に、炎の力を切望していた民たちの姿が浮かぶ。
大陸が発展していくたびに活気を帯びてきた、民たちの暮らし。
大陸を訪れるたびに見かけた民の笑顔。
それらはオスカーの力があってこそ得られたものだというのに…ここへきてなぜ…。
不満を隠せないアンジェリークを見て少し笑ったオスカーは、なだめるようにアンジェリークの頭に手を乗せた。
「もう一度、大陸の…いや、民の様子をよく見てくるといい。オレの力が本当に必要なのか、よく考えるんだ」
「きゃっ…オ、オスカー様!」
髪が乱れるほどの勢いでオスカーに頭を撫でられ、アンジェリークは急いでオスカーの側を離れた。
その反応に声を上げて笑い出したオスカーから逃れるように、アンジェリークは身を引く。
お嬢ちゃんらしい反応だなどとからかわれ、反発した勢いで執務室から出たアンジェリーク。
なぜ力を送ってくれないのか…その理由は、結局オスカーの行動にはぐらかされてしまった。
「オスカー様は…どうしてあんなことをおっしゃったのかしら…」
アンジェリークも、暇をみては様子を見に行っている。
以前とは打って変わって、活気に溢れる大陸を見るのは楽しいから。
ただ、王立研究院から送られてくる望みの予測を見るだけでも、民たちが炎の力や鋼の力を望んでいることは見て取れる。
その望みを叶えるための育成に忙しくて、毎日のように大陸に降りているほど頻繁でないことは確かだ。
それがいけなかったのだろうか?
炎の力を送ってあげたら、民たちは喜んでくれただろうに…
依頼を受け入れてもらえなかった不満を抱えつつ、それでもアンジェリークは王立研究院へと向った。
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