「おはようございます、ゼフェル様。育成をお願いします!」
朝一番で執務室に飛び込んできたアンジェリークの、部屋中に響く声。
もともと朝が得意でないゼフェルは、満面の笑みを浮かべるアンジェリークを睨みつけた。
昨夜ゼフェルは、徹夜でメカを弄っていたせいで極度の寝不足。
重い頭にアンジェリークの声がガンガン響いたのだ。
「またおめーかよ…朝っぱらから無駄に元気いいな…」
「はい!それが取り柄ですから」
「たく…」
ゼフェルの睨みをものともせず、アンジェリークは笑顔を崩さない。
ここでの生活が長くなるにつれて、ゼフェルの怒鳴り声やきつい視線にも、ある程度慣れてしまったようだ。
ゼフェルが本気で怒っているのか、アンジェリークも次第に見極められるようになっていた。
それもおもしろくないようで、若干ふてくされたような顔をしたゼフェルは、
デスクの上に置いていたミネラルウォーターのペットボトルを取ると、その中身をあおる。
冷たい水で気分を晴らし、それからアンジェリークと向き合った。
「で?どんくらい力を送ってやりゃいいんだ?」
「たくさんお願いします」
「またかよ。おめーんとこの大陸、そんなに鋼の力を欲しがってんのか?」
「はい!ゼフェル様のサクリアって、大陸が発展する時にとても重要なんですよね?
私の大陸は今すごく順調に発展を続けているので、送っても送っても望みが尽きないんですよ!」
つまり育成が上手くいっている証拠なのだと、アンジェリークはそう言って笑った。
確かに、大陸の発展には技術力が必要だ。
そして大陸が発展すれば、それだけ民の数も増える。
地形条件の厳しいアンジェリークの大陸で人口が増えるということは、
居住場所を確保するためにも鋼のサクリアは欠かせない。
民がゼフェルの力を強く望むのも、理屈では納得できるのだが…。
「おめぇ…鋼の力がどんなもんか、ちゃんとわかってんのか…?」
「え…それってどういう…」
「…別に、なんでもねーけどよ」
ゼフェルはひとまずアンジェリークの依頼を受けた。
しかし彼女が出て行くと、釈然としない頭を乱暴に掻く。
民が望んでいるというのだから、アンジェリークがこうも頻繁に、鋼の力を求めてやってくるのは当然だ。
けれど…
「…にしたって、ちょっと多すぎじゃねーか…?」
先ほど、本当はアンジェリークに言いたかった言葉が、今になって口をついて出た。
すぐに苦虫を噛み潰したような表情で唇を噛む。
唇をかみ締めるゼフェルの脳裏に浮かんでいるのは、かつて自分が暮らしていた故郷の人工惑星。
鋼のサクリアに対する反応が顕著で、他のどの星よりも技術力が発展していたあの星はどうなった?
工業で栄えたあの星は、生産性や機能性を重視して鋼のサクリアを望みすぎた結果、
サクリアのバランスを崩して崩壊寸前の危機に陥ったではないか。
故郷のあの惑星とアンジェリークの大陸では、力を望む目的は違うのかもしれない。
けれど危険なのだ…鋼のサクリアは。
使い方を誤れば、民の命はもちろん、大陸そのものの存亡にも関わる事態がおきかねない。
どの力も、過ぎれば災いを招くけれど。
中でも一番危険なのは鋼のサクリアだと…ゼフェルは思っている。
次の女王が誰になろうと、そんなことはどうでもいい。
試験が始まる前から、あえて口は出さないと決めていたけれど…。
「…だーッ!チクチョウッ!」
執務を放り出して立ち上がったゼフェルは、そのまま部屋を出て行った。
「そっかぁ〜。アンジェの大陸ではずっと豊作が続いているんだね」
「はい!ちょうど今が収穫の時期なんです。生活が潤ってきているので、民たちもとっても幸せそうなんですよ?
見ていると私まで嬉しくなっちゃって」
聖殿の中庭に、アンジェリークとマルセルの楽しげな話し声が響いている。
よく手入れされた芝生の上に座って、アンジェリークが大陸の様子を話しているのだ。
「最初の頃は土地が痩せていて、なかなか草花も定着しなかったのが嘘みたいなんです。
これって、マルセル様のお力が上手く作用している証拠ですよね?」
「あはは、そうだね。なんだかボクも嬉しいなぁ」
アンジェリークの笑顔が見たくて、彼女の大陸に内緒でサクリアを送り始めてしばらくたった。
マルセルの思っていた通り、アンジェリークの大陸は緑の力を少しずつ蓄えて、
ここへきてその効果を大きく見せ始めている。
あれだけアンジェリークを悩ませていたとの差も逆転し、
育成の話をするとき、以前は暗かった彼女の表情も今ではこんなに明るい。
アンジェリークと別れて一日の執務を終えた後、マルセルは王立研究院へと出向いた。
沈みかけの夕日を眺めながら、その足を速める。
女王候補の依頼を受けた守護聖たちがその力を送るのは、日が沈んでしまってからだ。
王立研究院の業務が終わり、当直の職員のみを残して人気がなくなった頃。
静まり返った研究院の最奥の一室で、守護聖たちは女王候補の大陸へ意識を向けるのだ。
今ならまだ、他の守護聖に会う危険性も低い。
もっともっと、アンジェに喜んでもらうんだ!
素直で可愛くて、いつも一生懸命なアンジェリーク。
アンジェリークと過ごす時間は優しくて、不思議と記憶の中にある家族の温もりを思い出させてくれる。
アンジェリークの笑顔は、大好きだった姉たちのそれに似ていて…。
そんな彼女の笑顔を見るのは、マルセルの最大の楽しみになっていた。
はやる気持ちを抑えられず、研究員たちへの挨拶もそこそこに駆け込んだ、「星の間」と呼ばれる部屋。
常に二つの大陸の様子を映し出すスクリーンの前に立ち、マルセルはアンジェリークの大陸をじっと目詰めた。
「…うーん…」
アンジェリークが話していた通り、彼女の大陸は充分な作物の収穫に沸き上がっていた。
けれど…
隣りのスクリーンに映し出されているのは、の大陸。
建物の数も人口も、今ではアンジェリークの大陸の方が申し分なく増えているというのに、
こうして二つの大陸を並べてしまうと、マルセルの目にはどうしても、アンジェリークの大陸の方が劣って見えてしまうのだ。
例えるなら、の大陸は主聖のイメージ。
けれどアンジェリークの大陸のイメージは、辺境の惑星のそれに似ている。
「やっぱりは凄いや。さすがだなぁ。でもこれじゃあ、
アンジェはまたすぐに追いつかれちゃう…せっかくここまできたのに…」
育成の上手さでは、まだまだアンジェリークはに及ばないから。
スクリーンの前を離れたマルセルは、部屋の中央に立った。
表の騒音は完全に遮断された静かな空間に身を置いて、マルセルはアンジェリークの大陸へと精神を集中させる。
閉鎖された室内の空気が僅かに揺れた。
サクリアを感じ取ることができない者にとっては、空調のせいだろうと気にも留めないほどの変化。
けれどアンジェリークの大陸には、確実にまた緑のサクリアが蓄積された。
「応援してるから、頑張ってね」
「マルセル様」
「えっ!?」
心臓が止まりそうだった。
誰もいないはずの部屋の中で突然名を呼ばれ、反射的に振り向いた視線の先にいたのは
この王立研究院の総責任者であるパスハ。
この特別な部屋への出入りを許されている数少ない一人だ。
「パスハさん…あ、あの…」
どの辺りから見られていたのかわからない。
動揺を隠しきれないマルセルは、伺うような視線を送っていた。
しかし、当のパスハは普段と変らぬ様子で、マルセルが立つスクリーンの側へと歩み寄った。
「育成にしては時間が早いですね。それに、最近はよくお見えになっているようですが?」
「え…あ、うん!そうなんです!この頃ボク、大陸に興味があって…それで様子を見に…」
マルセルの様子に、初めは訝しげな視線を向けていたパスハ。
それでも、やがてその視線はスクリーンへと向けられた。
「女王の何たるかはもちろん、育成に関してもまるで知識をも持たない二人の女王候補…。
彼女たちの育成はあまりに拙く、時に無謀で、正直見ていられませんでした。
しかし…驚いたことにこの二つの大陸は今、大きな可能性を秘めて成長を続けています。
試験開始当所には予測していなかったほどの速さで…」
「そうですね。…ボクは、大陸の様子を見ていると、いつも二人の姿が頭に浮かんでくるんです。
だって似てませんか?大陸と彼女たち。二人が頑張れば、それだけ大陸も変っていって…。
二人の頑張ってる結果を直接目で見られるから、大陸の様子を見に来たくなっちゃうのかな?」
マルセルが大陸に興味があるというのは嘘ではない。
アンジェリークの大陸はアンジェリークに、の大陸はに。
それぞれの土地やそこに暮らす人々は、育成している主に印象が似ている。
元は一つながりの大地を二つに分けただけなのに、今では全く別の質を持っていた。
マルセルのほかにも大陸そのものに興味を持つ守護聖はいるが、彼らもこの不思議な現象を味わっているのだろう。
パスハの様子から、依頼されていない力を送った現場を見られたのではなかったのだと悟ったマルセルは、
安心したことも手伝ってか、大陸について饒舌に語っていた。
王立研究院から出されている育成の報告書を読むのも楽しみだとか、
暇を見つけては直接大陸に降りて様子を見ることもあるだとか…。
時には王立研究院を仕切るパスハに、質問を投げかけることさえあった。
自然に表情も明るくなるマルセルを、じっと見つめているパスハ。
これまであまり言葉を交わす機会もなかった上に、滅多なことでは表情を変えないパスハの視線に気付いた時、
マルセルは思わずあっと声をあげていた。
「ごめんなさい…ボクばっかりたくさん話しちゃって。パスハさんだって忙しいのに…邪魔しちゃいました?」
調子に乗りすぎたと、マルセルは身を縮めた。
自分よりずっと長身のパスハに見下ろされると、どうしても縮こまってしまうのだ。
水龍族特有の鋭い目も、まるで脅迫されているようで苦手だったことを、
マルセルは今さらながらに思い出していた。
「いえ、構いません。大陸や育成に関して、マルセル様は特に熱心でいらっしゃると、
アンジェリークから何度も聞いています。
彼女の大陸がここまで発展してきたのも、マルセル様が親身になってくださったからだと。
守護聖様が大陸に興味を持ってくださることは、王立研究院を預かる者として、とても光栄に思います。
他にもまだ質問がおありでしたら、またいつでもお答えしましょう」
すっかり小さくなったマルセルに向って、パスハはこう答えた。
しかも、その顔にはうっすらと笑みが浮かんでいる。
簡単な挨拶を交わして星の間を出たマルセルは、館までの道のりを一気に駆けていた。
じっとしていられないほど気持ちが高ぶっていたのだ。
いつもちょっと怖い顔をしてるパスハさんが笑ってくれた。
アンジェだけじゃなくて、パスハさんにも喜んでもらえてる…?
土地が豊かになって民たちも嬉しそうだったし、たくさんの人が幸せになってる。
緑のサクリアを使うって、こんなにステキなことだったんだ!
守護聖であることを、これほど嬉しく感じたことはなかった。
もちろん、だからといって女王候補の依頼もなしに力を扱うことがいけないことだとはわかっているが、
この行為の結果、大勢の人々を笑顔にしていることを知り、後ろめたさが一気に軽くなる。
今日もまた少し、アンジェの大陸に緑のサクリアを注いだ。
彼女の大陸は明日、どんな様子を見せてくれるのだろう。
アンジェは明日も笑ってくれるだろうか。
夜明けが待ち遠しいほど高鳴る気持ちを抑えるのは難しくて、
その夜マルセルは、なかなか眠りにつくことが出来なかった。
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