「えぇッ!?アンジェってばそんなこと言ってたの?」



















緑の守護聖の執務室には、マルセルの明るい声が響いていた。



穏やかな笑みを浮かべてそれを聞くのは



少し前まではマルセルの執務室に5分といたことがないが、ここ数日はこうしてマルセルの話を聞いていた。

















大陸の発展が止まった原因を、マルセルとの相性が下がってしまったせいだと確信したあの日、



はどうやって事態を改善すべきかずいぶんと頭を悩ませた。



マルセルがの大陸に送ってくれるサクリアに、彼の心が伴っていないと…



正直に打ち明けることも考えたのだが、おそらく無意識のうちにそうしてしまっているだろう彼を



ひどく傷つけてしまうことは明らかで…。



結局はマルセルとの相性の回復を図りつつ、緑のサクリアが作用してくれるのを待つことに決めた。



ジュリアスにはあまり猶予はないと言われているが、それは十分承知の上での決断。



人間関係はそれほど簡単に変るものではないのだし、結果を急げばさらに状況を悪化させかねないのだ。



それだけはなんとしても避けたい。



事態の改善に時間がかかれば、それだけ大陸の民たちに負担をかけてしまうことになるのだが…。



は大陸の民たちの強さを信じている。



今まで以上に民たちの生活に目を配り、次の発展へと焦る精神状態をうまくなだめてやれば、



彼らはきっとが結果を出すまで持ちこたえられるはずだ。



大陸の民を信頼することで自身の焦りを押さえ込み、はマルセルへ、次の話題を提供する。

















「そうえいば、この前の日の曜日はアンジェリークとお出かけになられたそうですね?



とても楽しかったと、あの子嬉しそうに話してくれましたよ」



「本当!?森の湖までピクニックに行ったんだぁ。急に誘っちゃったんだけど…そっかぁ、アンジェ喜んでくれてたんだ!」



「ええ、とても」



「そうだ!聞いてよ。その時アンジェってばね、こんなに大きなケーキを…」

















楽しい思い出を次々に語るマルセル。



タイミングよくが相槌や問いかけをすることで、マルセルはますます饒舌になっていった。

















マルセルとの相性を回復させるためにがとった方法は、少しでも長くマルセルと時間を共有すること。



ただしマルセルがそれを苦痛に思ったのでは意味がない。



そこでマルセルが喜んでくれそうな話題での会話が必要だった。



大陸のこと、動植物のこと。



様々な話題で彼との会話を成功させてきたが、中でも彼が一番喜ぶのはアンジェリークについての話題であった。



マルセル自らがアンジェリークと過ごした時間を語ることもそうだが、



がアンジェリークの頑張りを褒めてやると、マルセルの表情は特に輝くのだ。



もちろん自身のことも話題には上るが、マルセルの嬉しそうな顔を見たくて、



最後はどうしてもアンジェリークについての話題をマルセルに振ってしまう。



マルセルの関心をのほうへ向けなければならないことを考えれば、マイナスになるのだろうけれど…

















「そうなんですか?あの子らしいですね。



…ああ、そろそろ失礼しなくては。つい長居をしてしまって申し訳ありません」



「かまわないよ。とお話するのは楽しいもの。時間が出来たら絶対また来てね!」



「はい、是非。それでは、失礼します」

















手を振るマルセルに微笑みかけ、は部屋を出た。



扉が閉まってマルセルの視線が遮られると…それまで浮かべられていたの笑みは消え、



代わりに本人さえ意識していないほど小さな溜息が漏れる。

















「また来てね…か…」

















マルセルとの相性を上げるというの努力は確実に成果を上げていた。



占いの館に行けば、問題の数値は僅かながら変化を見せているし、



何よりもがマルセルを訪ねて行った時、彼は戸惑うような素振りを見せなくなった。



そして別れるときには、今日のように「またね」と言って笑いかけてくれるのだ。



けれど…

















は常に矛盾を感じていた。



確かに「仲良く」はなったのだろう。現にマルセルがアンジェリークや他の守護聖たちに、



とおしゃべりできるようになった」と話しているらしいことはの耳にも届いている。



円満のように見えるとマルセルの関係だけれど…



それはが、そうなるように仕向けただけではないか。



好みの話題を持ち出されて、語られる言葉の全てを肯定してもらえれば、誰だって嫌な気はしないだろう。



相手が幼ければ幼いほど、効果は上がる。



にとって、所詮マルセルは世間知らずのお坊ちゃん。



そんな相手を手懐けることなど、言ってしまえば造作もない。



にっこり笑って、好きなだけ甘やかしてやればいい。



しかし…そうして上がっていく相性に、どれだけの価値があるというのだろう。



女王試験が始まって以来、嫌というほどその重要性を痛感させられた守護聖との信頼関係。



が欲しいのはそれだったはずなのだ。



時には諍いになろうとも、本音で相手にぶつかっていかなければ、築くことなどできるはずがない。



頭では分かっているのだ。



それなのに…

















マルセルは、と話のは楽しいと言った。



それはが、うまくマルセルの機嫌をとるからだ。



アンジェリークを餌にして、会話が盛り上がっているとマルセルに錯覚させているだけ。



その証拠に、お互いを理解し合えるような話などほとんどしたことはないのだから。

















「…騙して…いることになるのよね。きっと…」

















大陸を発展させるためとはいえ、マルセルを傷つけるのは嫌だった。



だから原因を話すことはせず、彼との相性を上げていく方法を選んだはずなのに。



結果はうまくいっているにもかかわらず気持ちがすっきりしないのは、



そのためにとっている手段が卑怯なものであると分かっているからだ。



マルセルとの信頼関係を築きたいと思っていながら、より簡単で確実なやり口で彼を懐かせようとしている自分が嫌になる。

















「…嫌な女…」

















呟く言葉とは裏腹に、は口元に笑みさえ浮かべていた。



マルセルのもとを訪れる度に湧き上がる矛盾には心が痛む。



けれど悩んでいても先へは勧めないのだ。



















もともと自分を「いい人」だなど思ったことはない。



だからこの心の痛みも…大陸を発展させるための代償と思って良しとしよう。



私は女王候補なのだから…

















マルセルの執務室の前から立ち去る折に、が見せた笑みの裏にあるのは



おそらくそんな思いだったのだろう。



笑む口元とは対照的に悲しい眼をしていることに、自信は気づくはずもなかった。








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