闇の中に、は立っている。



いや、正確には立っているつもりだ。



目の前に手のひらを翳しても、指先さえ見えないようなこの闇の中では、



足が地についているのかすら定かではない。



唯一まともに働くのは聴覚。



大勢の人間がうめいている様な音が、耳鳴りのように聞こえていた。



この音…もしくは声…一体どこから聞こえてくるのだろう。



前進している実感はないが、は歩き続ける。



すると突然、は高みから足を踏み外したような感覚を覚えた。



頭から…どこかへ向って落下していく。



にも関わらず…



ではやはり、今までは地の上を歩いたいたのだろうと、妙に冷静な自分がいた。



そんなことを考える余裕が持てるほどの時間、はどんどん闇の中へと落ちて行く感覚の中にいた。



一体どこまで落ちるのか…ふと気になってが視線を下へ向けたとき…



その目に映った光景に、は…

















「…ッ!…」

















自分の鼓動が嫌に大きく聞こえた。



まるで今まで息をしていなかったのかと思うほどに呼吸が乱れる。



空気に触れて冷えた汗が体温を奪い、は身震いをした。



長さの割りに痛みがなく、普段は少しだけ自慢に思う長い髪も



額や首筋に張り付いて気持ちが悪い…。

















「…なんて夢なの…」

















思い出すだけで震えがきそうだ。



目を覚ます直前に見た光景…



自分の体さえ見えなかったあの闇の中で、が落ち込もうとしていたのは海。



闇の中につき出ていた、青白く光る人間の腕…無数のそれで形成された、あれはまさしく海だった。



伸ばされた腕は、を…もしくはもっと別の何かを掴もうと蠢いて。



その動きは強い風に煽られる波のようであった。



あのままあそこに落ち込んでいたら、もう二度と這い上がってくることは出来ない。



直感がそれを感じ取り、迫り来る腕の波に恐怖を感じた。



が目を覚ましたのは、腕の一本がの顔に触れようとしたまさにそのときであった。

















「……あー…参った…」

















もう一度、はベッドに転がった。



視線だけで時計を見やると、眠りについてから2時間ほどたっている。



昨夜も遅くまで調べ物を続けていたから、あと1時間もすれば起きなければならない時間だ。

















『…あれはきっと…大陸の民たち…』

















ぼんやりと天井を見上げて、は思った。



あの夢は…大陸の民たちが自分に見せたものかも知れない。



日が昇ってしまえば、今日は定期審査の日だというのに、相も変らず変化を見せないの大陸。



を引き込もうとしたあの不気味な海は、民の不満が形となって現れたものなのだろう…。



寝る前に報告書で確認したとき、とアンジェリークの大陸に差はなかった。



けれど・・・

















「…抜かれたわね…きっと…」

















ここよりずっと時の流れが速いあの大陸では、一晩で結果ががらりと変る。



あの夢はその予兆だったのかもしれない。



予想は…覚悟はしていたけれど…。



やりきれない気持ちのまま、その後再び眠りにつくことも出来ずに。



やがて容赦なく訪れた定刻、は静かに部屋を出て行った。































建物の数で競われた今回の定期審査の結果は、の思った通りであった。



アンジェリークの大陸には、のところよりも2つ多く建物が生まれていた。



純粋に育成の結果を比べる審査で、初めてを凌いだアンジェリーク。



その努力を認められて、女王補佐官より賞賛を受ける彼女はとても嬉しそうで、表情は自信に満ち溢れていた。

















「おめぇやったな!マジであいつを抜かしやがった」



「はいッ、ゼフェル様。ついにやりました!」



「よく頑張ったね。あんたのこと見直したよ」



「これからもその調子で頑張ってね。ボク応援してるから!」



「オリヴィエ様、マルセル様…ありがとうございます!私、これからも頑張りますね」

















アンジェリークを囲んで、女王候補としての彼女の成長を喜ぶ守護聖たち。



はそれを、意外に穏やかな気持ちで見つめていた。



悔しいことは悔しいけれど…



嬉しそうにしているアンジェリークを見ていることは、不思議と苦痛ではなかった。



アンジェリークを見て、自分ももっと頑張らなければと思えるのは



にとってアンジェリークは、よい好敵手になっているということなのだろう。



ともすれば笑みさえ浮かべそうな表情で、アンジェリークを見つめていた



不意に名前を呼ばれて顔を上げれば、そこには厳しい表情をしたジュリアスがいる。



これから何を言われるのか…にはジュリアスの顔を見ただけでもうわかってしまい、



それまでの表情は崩さないまでも、心の中では舌打ちの一つもしたのかもしれない…。

















「ついにやられたな。なにか弁解の余地はあるか?」



「…いいえ、完敗です」



「そうか。そなたが試験に手を抜くとは思わぬが…この状況が長く続くようでは困るぞ。



育成が滞っている原因は調べているのであろうな?」



「それはもちろん」



「では、そろそろ報告があって然るべきだな。途中経過でも構わぬ。月の曜日、私の執務室まで来るように」



「承知しました」

















そう言っては、ジュリアスに向って丁寧に頭を下げた。



この話はもうおしまい。



からの無言のメッセージを受取ったジュリアスは、頭を下げたままのに向かって苦笑の表情を浮かべる。

















「あなたの言いたいことはわかっています。だからこれ以上、あれこれおっしゃらないで下さい」

















の心の内はおそらくこんなところだろう。



は常に最善を尽くそうと、日々自分の育成を省みている。



そんな彼女だから、守護聖の誰かに言われるまでもなく、自分の欠点に気づくこともできる。



誰だって、自覚している欠点を繰り返し指摘されるのは嫌なものだ。



口に出さずとも、ジュリアスにはが頭を下げた意図がしっかりと伝わる。



丁寧な態度で、はやんわり会話を打ち切った。



これはなかなか…洗練されているではないか。



決して褒められた態度ではないのだけれど、



その鮮やかな拒絶の仕方に、ジュリアスは思わず口の端を上げてしまう。



の態度を咎める気も起こらず、月の曜日に部屋で待っていると最後にもう一度告げたジュリアスは



あっさりとに背を向けて歩き出した。

















「あ〜、ちょっといいですかね?」



「え、はい?」

















ジュリアスの姿が部屋から消え、密かにため息をつこうと思っていたは、またしても急に声をかけられた。



今度の相手はルヴァである。その傍らにはリュミエールの姿も。

















「今回は…残念でしたね、。あなたの大陸は…まだ停滞したままなのですか?」



「ええ…。実のところ、まだ原因がつかめていませんので…」



「うーん、一体どうしたんでしょうねぇ。私が見る限り、あなたの育成にも大陸にも



育成が止まってしまうような原因は見当たらないんですけどねぇ」

















リュミエールの言葉に答えたの返事を聞き、ルヴァは首をひねる。



守護聖となって長いルヴァ。



過去にも様々な原因で発展が滞ってしまった惑星を見てきた彼であるが、今回のようなケースは初めてだと言う。

















「そうですね…。、占いの館を訪ねてみたことはありますか?」



「…占いの館…ですか?」

















すっかり考え込んでしまったルヴァとを見ていたリュミエールは、



あくまでも試しにであると前置きをした後でに言った。

















「占いの館では、あなたと大陸の相性を調べることが出来ます。



もしかしたら、もともとの相性が悪いのかもしれませんし、一度行ってみてはいかがですか?



結果によっては、相性を上げるという方法もあるわけですから」



「ああ、そうですねぇ。あなたは熱心に大陸へ通っているようですから、新密度という点では問題ないでしょうが、



土地との相性も案外重要なんですよ。相性がいいと、発展もしやすいでしょうし」



「…占い…」

















女王試験のために聖地を訪れたときに渡された数々の資料の中に、



そういえば守護聖や大陸との相性を数値化したものがあったような気がする。



けれどはっきり言って、にとって占いとは眉唾もの。



その資料を活用したことはなかったし、



この飛空都市に占いの館があることを知っていながら、一度も訪ねたことはないのはそのためだ。



しかし今は、ほかに当てがあるわけでもなく…。



半信半疑ではあるものの、はリュミエールの提案に乗ってみようと思う。

















「わかりました。来週にでも、一度行ってみようと思います。」



「そうですか。何かわかるといいですね。」



「あー、頑張ってこの事態を乗り越えてくださいねぇ。私たちの力が必要であれば、いつでもお手伝いしますから」



「はい。ありがとうございます」

















ルヴァとリュミエールのおかげで新たな可能性が見えた。



アンジェリークと彼女を取り囲む守護聖たちはいまだ喜びに沸いていて、



まだしばらくはこの状態が続くだろう。

















一足先に寮へ戻ったは、月の曜日を待って占いの館へと足を運ぶことにした。












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