「あら…オリヴィエ様…?」



「はぁい☆」



















育成の依頼だけを済ませようと思っていたランディのところで思わぬ時間をすごしてしまったは、



クラヴィスとの約束もあり、ルヴァの執務室へと急いだ。



ノックにわざわざドアを開けてくれたルヴァについて部屋へ入ると、ティーカップを片手にオリヴィエがこちらへと手を振る。



















「いまちょうど休憩をしていたところなんですよ。よろしかったらあなたも一緒にお茶をいかがですか?」



「いえ、おかまいなく。育成のお願いに伺っただけですから」



「いいじゃないか、たまにはさ。ルヴァ、にもお茶よろしくね」



「ええ。さ、座っていてくださいね。すぐに用意しますから」





















ルヴァは新しい紅茶を用意しようと奥の部屋へ行ってしまい、



おまけにオリヴィエに手招きされてしまったこともあって、は応接用のソファへ腰を下ろした。



するとオリヴィエは、待ちかねていたというように話し始める。

















「ちょっと、聞いたよ?この間の話。あんたのおかげで、アンジェリークはジュリアス恐怖症を克服したそうじゃない?」



「は…?…恐怖症って…」




「実は、守護聖の間でもちょっとした問題になってたんだよね。あの子がジュリアスに苦手意識持っちゃってたの。



ジュリアスに育成を頼みに行くのすら、尻込みしてたぐらいだからさ」

















そのせいでアンジェリークの大陸では、サクリアのバランスが崩れてしまうところだったのだとオリヴィエは続けた。



アンジェリークがジュリアスから遠ざかっていたことは、意外にも大きな問題であったようだ。

















「あの子の気持ちもわからなくはないけどね。ジュリアスは厳しいからさ。」



「そうですね。でも…」



「ん?」



「アンジェリークには苦手なタイプなんていないのかと思っていました。あの通り、誰にでも懐いていける子ですから」

















自分に対しても人懐こいところを見せるアンジェリークの姿を思い出して、は言った。


同じ場所で生活しているのだから、一言も話をしないという日はないものの、



それほど親しくしているつもりもなかったというのに。



それでもアンジェリークは、ことあるごとにに対しても打ち解けた様子を見せる。



きっとアンジェリークは誰に対してもそうなのだと思っていたから、



ジュリアスのことが苦手だと打ち明けられたときには正直驚いた。



















「そうかい?私はあんたのほうが、誰とでもうまくやっていけるタイプだと思うけどね」



「私がですか?」

















は本気で驚いたような顔をする。



それが少しおかしくはあったが、あえてそれ以上触れることはせずにオリヴィエは先を続けた。

















「そ。生まれつきのお姫様体質っていうのかな?



アンジェリークみたいな子はさ、大抵みんなに可愛がられるでしょ。



だから自分に対して厳しくされたり冷たくされると、そうされた経験が少ない分、



それだけで相手のことを無意識に苦手に思っちゃうんじゃない?好き嫌いは別にしてもさ」



「ああ、なるほど…そういう見方もできますね」



「でしょ?だから、あの子が苦手に思うタイプなんてわかりやすいよ。守護聖の中で言うなら



ジュリアスはもちろん、クラヴィスとかゼフェルなんかも苦手と見たね。それと、この私のことも」



「オリヴィエ様も…ですか?」

















多少驚いてがオリヴィエを見れば、彼はルージュに彩られた形のよい口の端を上げて笑った。

















「私のことは、たぶんなに考えてるかわからないとでも思ってるだろうね。



私のところに話しに来ても、最後には妙な顔つきで帰って行くしさ」

















何がそんなにおかしいのか、オリヴィエは声を立てて笑い出した。



おそらくそのときのアンジェリークの表情でも思い出しているのだろう。

















基本的には人当たりのよいオリヴィエだが、時々皮肉めいたことを言ってみたり、



巧みな話術で話をはぐらかしてしまうことがあるのは、も感じていた。



それは、オリヴィエが決めた境界線を相手が踏み越えそうになったときか、



そのときの話題について、それ以上その相手と話していても無駄だとオリヴィエが判断したとき。



そんな時は、話の流れをオリヴィエに合わせて穏やかに会話を終わらせる。



先ほどオリヴィエが、アンジェリークよりものほうがうまく人と付き合えると言ったのは、



がそういうことを察することができる人間だから。

















「でも、さすがですね。オリヴィエ様」



「ん〜?」



「オリヴィエ様の洞察力ですよ。何気ないふりをして、ちゃんと相手のことを見てらっしゃるじゃないですか」



「…や、ちょ、ちょっと、そんなんじゃないって。急になに言い出すのさッ」



「本当の意味で誰とでもうまくやっていけるのは、実はオリヴィエ様かもしれませんね」



「やめてよ〜。私はそんな柄じゃないんだから」



「ふふ」



















話が思わぬ方向に行ってしまい、珍しくオリヴィエは顔を引きつらせている。



照れているのだろうと思うと、は笑いがこみ上げてくるのを抑えられなかった。

















「おや、なんだか楽しそうですねぇ」

















のためにお茶を淹れに行っていたルヴァが戻ってきた。



の前にティーカップを置いたルヴァは、が笑っていた理由を尋ね、理由を知ると笑顔で何度もうなずいた。

















「あ〜、そうですねぇ。確かにオリヴィエには、相手の人柄を見抜く才能がありますからねぇ」



「あら、ルヴァ様もそう思われますか?」



「ちょっとルヴァ。あんたまで何言ってんのさ!」



「照れなくてもいいじゃないですか、オリヴィエ様」



「照れてないっての!ってば…あんた性格悪いんじゃない?」



「あら、ご存知ありませんでしたか?」

















オリヴィエの皮肉にも悪びれることもなく笑顔で答える



これにはさすがのオリヴィエも肩をすくめるしかないようだ。

















「…ったく、さすがの私もあんたには負けるよ」



「恐れ入ります」



「褒めてないっての!」



「まあまあオリヴィエ、落ち着いて」

















そう言って止めるも、とオリヴィエのやり取りを眺めるルヴァも終始笑顔で。



これから出かけるところがあるというルヴァがソファを立つまで、もすっかり長居をしてしまっていた。

















「…いけない…クラヴィス様に呼ばれているのを忘れていました…」



「クラヴィスに?へ〜、珍しいこともあるもんだね」



「あ〜育成の件は承知しましたから、急いでクラヴィスのところへ行ってあげてください。



あまりお待たせするのも悪いですからね」



「はい、お願いします。ではルヴァ様、オリヴィエ様。お邪魔しました」

















急いではいても丁寧に頭を下げて行くと、それを見送る二人。



静かに扉が閉まっての足音が遠ざかっていく。



それを聞きながら、ルヴァは満足そうな笑顔をオリヴィエに向けた。

















「最近のは、ずいぶんと雰囲気が変りましたねぇ。



あ〜なんといいますか…角が取れて丸くなったような気がしませんか?オリヴィエ」



「ほんと。前はあんなにガチガチの女王候補だったのに、変るもんだねぇ。一体何があったんだか」



「なんでもいいじゃありませんか。おかげで他の守護聖たちとも徐々に打ち解けているようですし。



そういう私も、最近ではと話すのが楽しみなんですよ。私はあまり話すのは得意ではないんですがね。



あの人が私に合わせた話題を振ってくれるので、私もついついおしゃべりになってしまうんですかねぇ」



「あー、確かにそういうことろあるかもね。機転が利くっていうか、見かけ以上に頭いいわ。彼女」



「あはは。オリヴィエにそこまで言わせるなんて、さすがはというところでしょうかねぇ」



「何言ってんだか。ほら、急がなくていいの?出かけるんでしょ」



「あ〜!そうでした。忘れるところでしたよ」



「やれやれ…」































ルヴァの執務室を出たあとで、残った彼らが自分についてこんなことを話していたとは夢にも思わず



はクラヴィスの執務室へ急いだ。



オリヴィエの言葉ではないが、クラヴィスに呼び出されるなんて珍しいことである。



心当たりはないが何か大事な用件だろうと、は足を急がせた。



いつも通り硬く閉ざされた扉の前に立ち、ノックをすること二度…三度…



しかし、中からの返事はない。

















「…です。クラヴィス様…いらっしゃいませんか?」

















やはり返事はない。



部屋を出ているのかもしれないが、執務終了までにははまだ時間がある。



クラヴィスの用件も気になるは、クラヴィスが戻るまで待つつもりで静かに中へと入った。















『…相変わらず暗い…』

















カーテンなのか暗幕なのか、ここはいつも外の日差しとは無縁の場所だ。



明かりを供給するのはデスクや壁に備えられている燭台の蝋燭。



その炎が揺れれば、薄明かりに照らし出される様々な影も微かに揺らめいて



良く言えば幻想的。悪く言えば・・・

















「…ん…?…ああ、お前か・・・ 」



「ッ…!」

















自分以外誰もいないと思っていた部屋の中で、どこからともなく聞こえてきたクラヴィスの声。



驚いた拍子に出そうになった声を飲み込んで、は声のしたほうを振り向いた。

















「…い、いらっしゃったのですか…」





「ここは私の部屋だ。私がいても不思議なかろう」





「それはそうなんですが…」

















極端に暗いせいで気付く者は少ないが、クラヴィスの執務室の一角には、カーテンで仕切られた場所があった。



その奥にはカウチが置かれていて、クラヴィスはたまにそこで惰眠をむさぼる。



今日もそうしていたようで、がそちらを向いたとき、



クラヴィスはカウチの上に体を預けたまま、腕だけを伸ばしてカーテンを開けたところだった。

















「…声をかけたのですがお返事がなかったもので…。留守中にお邪魔するのもどうかとは思いましたが、



ご用件を伺おうと…お帰りをお待ちするつもりで入らせていただきました」





「…よい。お前とは約束をしていたのだからな」





「はぁ…。それで…私に何か…?」





「…お前に渡したいものがある」

















眠りから覚めたばかりなのか、いつも以上に気だるそうな動きで、クラヴィスはカウチを立った。



そのままデスクに歩み寄り、その上に置かれていた小さな籠をへ差し出す。

















「…これは…?」



「お前のグラスだ。持っていけ」

















掛けられていた布を外せば、そこには確かにのものであるワイングラスが入っていた。



割れないようにという配慮なのか、籠の内側は布を貼って綿を入れ、ちょうどグラスが納まるように作られている。



しかし、が驚いたのはそればかりではない。



籠の取っ手には可愛らしくリボンがあしらわれており、



美しく磨かれたグラスの中には、おそらくキャンディかチョコレートと思われる小さな包みが詰められていたのだ。



これはクラヴィスの演出なのか…?



知らずには、クラヴィスの顔を凝視してしまっていた。

















「…館の者が、お前が育成の帰りにでも持って歩けるようにしたらしい。



私は、お前に返す物だと言付けただけだ」



「…ですよね」



「…ん?」



「いえ…。ああ、でも…おまけがついてますね。よろしいんですか?いただいてしまっても」



「かまわぬ。ワインの礼には、そぐわぬかもしれないがな」



「では、遠慮なくいただきます。館の方に、ありがとうございますとお伝えください」



「…ああ」

















庭園でクラヴィスと会ったあの夜、グラスを置いてきてしまったことなど忘れていた。



それがこんな形で手元に戻ってきたのだ。



もともと自分の物であるにせよ、思わぬプレゼントをもらった時のような気分になる。



クラヴィスが再びカウチに戻ってしまったこともあり、それ以上何かを話したわけではないのだが、



寮に戻ったは、しばしそのグラスを眺めている。



やがてはそのまま棚へ飾られたグラスだが、その時は一度だけ籠からグラスを取り出した。



そしてグラスの中の包みを一つだけ取り出し、すぐにまた籠に収める。

















その夜、いつものように育成のデータをまとめ始めたの口の中には



ラム酒の効いたチョコレートの程よい甘さが広がっていた。











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