ラ バ ト (Rabat)


 2001年10月10日に、マルタ島のほぼ中心にある「ラバト」と「メディーナ」を訪れました。
 ラバトは、紀元前200年頃、古代ローマ人が首都としたところで、ここがちょうど島の中心であり、ラバトの高地は、防御施設を建設するのに適しており、人々が定住するのに理想的な場所であったためと聞いております。
 9世紀後半に、アラブ人が、城壁と長い堀を建設し、この砦の中を「メディーナ」(街)、砦の外を「ラバト」(都市周辺)と呼ぶようになり、現在でも名前はそのまま使われています。 (メディーナは、「NEXT」にあります。


「カタコンベ1」

 古代ローマでは、死者を街の中に埋葬することが禁止されており、「カタコンベ」は、城壁の外に建設されております。
 写真は、「聖パウロのカタコンベ」の入口です。

「カタコンベ2」  正面の扉からすぐ地下に降りるとカタコンベがあります。
「カタコンベ3」  ラバトの観光名所となっているカタコンベです。
 このカタコンベは、聖パウロが3ヶ月間監禁されていたという古い洞窟に造られたものです。
「カタコンベ4」  写真の人と比べると如何に大きなカタコンベかが判ります。
 中は迷路のように続いています。

2001.11.25

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