Anotherside Stories

〜 GTRに辿りつくまでの経緯 part T 〜


 1988年、当時大学生だった私は発売されたばかりだったS13シルビア(NA・しかもオートマ・
苦笑)に乗っていました。その頃はまだ車にも左程興味も無く、音楽中心の活動(バンド等)が
主でした。

 大学2年の頃のある日、高速道路を140〜150km前後で気分良く走っていた時です。後ろから
凄い勢いで迫ってくる一台の車両。。。異様とも思える程の雰囲気で、あっと言う間に後ろに
張り付かれました。その瞬間、鳥肌が立った様な感覚を今でもよく憶えています。。。
走行車線に移ると、凄まじい加速で走っていく車。。。それがガンメタのBNR32でした。
 後ろから追いかけようとしましたが(今考えればスゴイ無謀な事。。。(^^ゞ )、当然追いつける
訳も無く、丸いテールランプ姿を私の脳裏に焼き付けて去っていきました。この時の記憶がトラウマに
なっているのかどうかは?ですが、それ以来、例えフルノーマルの車両だったとしても、ガンメタの
BNR32だけは苦手意識を感じてしまい、サーキットでは絶対に競りたくない車両になって
しまいました。(爆)

 この直後からBNR32を購入する為の貯金が始まりました。
当時のバイト代(ガソリンスタンド・コンサートのADやPA,水商売等)を殆ど貯金に注ぎ込み、
食事についてもパン屋さんからパンの耳を貰って食べて(マジ・笑)、24歳までの5年間で約300万の
貯金に成功しました。
そしてBCNR33の発表を目前に控えた時1994年7月、BNR32のオーナーとなった次第です。

貴重な生産最終年度の白色でした

ブーストアップで約380馬力仕様

 納車されて約一ヶ月後の事です。馴らしがてら蔵王山頂にドライブに出掛けた時の事です。
見知らぬ山形ナンバーの白いZ32の方に声を掛けられました。「新車?何処でチューニング
するの?山形市内なんだけど「オートランド山形」ってとこがあるから、そこに行ってみたら?」と。
後から聞いた事ですが、お店には白のZ32に乗っているお客さんはいないとの事。。。
一体何方だったんでしょう。。。?

 その1週間後、実際にオートランド山形(以下AL山形)に足を運びました。誰しも経験する事と
思いますが、初めてお店に入る時って、結構度胸がいるんですよね。実は私もお店の前を一度
素通りしてしまいました(爆)
 覚悟を決めて(笑)、お店に入ると1人の男性が迎えて下さいました。この方が後に多大な影響を
受けてしまう事になってしまった(笑)、AL山形代表の川崎 俊英師匠でした。(勝手に師匠と
呼ばせて頂いております。(^^ゞ

 この頃は全然知らなかったのですが、師匠はAE86スキンフルカップやミラージュ東北では常勝の
方で、あの土屋圭一さんの一番弟子(!)でもありました。・・・そんなにスゴイ方だったとは!
( ̄∇ ̄;
 「何かお探しですか?」と声を掛けられ、思わず「いろいろとチューニングしたくて来ました」と答えて
しまいました。 (・・・変な奴。)って師匠も思ったろうな。。。・・・今でも思ってたりしてね。(爆)


BNR32〜BCNR33への軌跡