〜 GTRに辿りつくまでの経緯 part U 〜


 その後も一ヶ月に一度くらいの割合でAL山形に通い始め、Rも少しずつチューニングを
始めました。この頃は何かに手を加える事により変わっていくRに一喜一憂していました。
回りの車を見て影響を受け始めたのもこの頃です。

 それから2年後くらいでしょうか、師匠の勧めでサーキットを走るようになりました。
安全に、そして心おきなく全開でアクセルを踏める。。。それからは毎回AL山形主催の
走行会に参加するようになりました。チューニングに対する熱の入り方もこの頃からヒートアップ
していきました。・・・確か最初の頃は街乗りだけで、足と吸排気系のみチューニングしようと
思っていたはずなのに。。。(^^ゞ

 走る度にタイムも段々と気になり始め、丁度ソコソコのタイムを出せるようになった
頃でしょうか。。。9月のある雨の日の、走行会の出来事です。仙台ハイランドのハイポイント
コーナーで見事にクラッシュ。車両の右側をコンクリートウォールに叩き付けた形で
止まりました。初めての大きなクラッシュ。。。流石に自己嫌悪に陥りました。走り馴れ始めた
頃でもありましたし、ちょっと自分に自惚れていたかもしれません。かなり反省して、一刻も早く
修理からあがる事を願い、2ヵ月後には無事にまた手元にRが戻ってきました。
この時の嬉しさはよく憶えてますね。。。ホントに申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
そして、その冬にまた転機が訪れます。。。

 「川崎師匠が33Rを手放す!!??」 (☆_☆)

 そりゃまあ、ビックリしました。あの派手で目立つ33を手放すなんて勿体無い。。。誰が次に
乗ることになるんだろう。。。その瞬間、ありもしないような考えが脳裏を過ぎりました。

(・・・あの33のオーナーになったとしたら。。。) 

乗っていたBNR32ももはや6万キロを走り、いろいろな部分に問題が生じており、
タービンやクラッチ、ミッション、その他の部分に異常が見られる状態でした。それでこれらを
直すか、又は乗り換えるか。。。悩んだあげくに出した結論は「師匠の33に乗り換える」でした。

こうして1999年2月、AL山形のdemoカーであったBCNR33は私が乗り続ける事になった
訳です。

フルノーマルのエアロが
懐かしい。(笑)

 このLM LIMITEDは期間限定で生産販売され、確かなデータは
無いそうですが、およそ100台生産されたかどうかという事です。
お陰で目立つ目立つ(笑) 悪い事は出来ません。(^^ゞ

 BCNR33に乗り換えて早4年が経ちます。しかしここ数年は仕事
が忙しいせいもあり、以前ほどサーキットには通えなくなってしまい
ました。お陰でタイムも全然伸びない。。。(;_;) いろいろな部分が
壊れたりして出費も嵩む。。。の悪循環でした。そこで2002年は
冬眠し、来期に向けて準備を進める年にしました。

 今年の冬はO/Hならぬ、レストア(師匠弟・雄二さん談・爆)する事になります。仕様はおおよそ
決定となり、その準備にかかっております。折角に機会なので、トコトン作りこんで貰おうと
思っています。

 AL山形に出入りするようになってもうすぐ10年、そろそろ納得のいく結果を出したいと
思っています。そうする事が師匠に対しての恩返しだと思ってます。。。来期は仙台ハイランドで
2分を切るタイムを出す事を目標として頑張ります。

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