あったかい
愛宕降ろしが3日前に降った雪の上でキリキリ踊っている。その雪をカリカリ踏みながらみちこさんの喫茶店に逃げ込む。
「あら、珍しいわね」と吉江さんがきらきら目でいう。
「やあ、ほんと珍しい。ここで合うのは何年ぶりだろ」とおおげさに答える。
「高田さんは、みどりさんが行っちゃったから来ないのよ」とみちこさんがさっそくかまう。
「へへ」と、わたしは笑う。
「美人だったから、残念だったよなあ」と藤田さんが言う。
藤田さんは、美人がいる喫茶店巡りをしている、とみちこさんが言い言いしているお爺さんだ。
「ほんと残念」私は即座に同意する。
「結婚するのよ。相手は70よ」とじいちゃん話には付き合ってられない、と吉江さんが言う。話は私が来る前に戻ったようだ。
吉江さんはみちこさが尻尾を巻くくらいおしゃべりだ。そして、いつもニコニコしている目がキラキラだ。そのうえ、誰もその目を見たら自分に気があるのかと勘違いするくらい情熱的なのだ。
吉江さんはいつも私がウオーキングしている道の途中で美容室を開いているから、時々店の前で出あったりする。東京から来た人らしく、とてもおしゃれで、いつも奇想天外な服を着ている。みどりさんも東京で学生をしていたというだけあって、とてもおしゃれだったが、そのみどりさんさえ感嘆したほどだ。田んぼと栗畑と杉林だけのこの小さな町ではとても目立つ。吉江さんは、若いころに離婚して、独りで子供を育ててきた、とみちこさんが以前言っていたことがある。苦労したのよ、と。でも、そんなことはおくびにも出さない、いつも明るくて、笑う門には福来るのような人だ。
「幸三さんは私より下だから、六十、七、八よ。このまえも仲良く芹摘みしたのよ。それなのに、私の上を通り越してほかの人と結婚するなんて許せないわよ」と憤慨している。憤慨しててもニコニコ顔のところを見ると、よそに取られてもそんなには惜しくはない人なのだろう。
「私だって、これでもまだまだ魅力あるのよ」とそれでも闘志満々だ。でも、「どう」、と聞かないのは遠慮しているのかも。
「そうだよ、まだまだいけるよ。男なんてそこらにいくらでも転がってるから、頑張りな」と私は無責任にけしかける。
「いるようでひとり者はいないのよ。知ってたら紹介して」と、一転弱気だ。
「だよなあ。男はいないなあ。近所のひとり者は女のひとばっかりだわ」と私もまるっきり無責任だ。
「転がってるのにいい男はいないわよ」とみちこさんが持論を出す。
「じゃあ、転がってないの藤田さん知ってる」と振る。
「いないね。だいたい男は先死ぬから。邪魔にされて、隅に縮こまってるうちに、寿命縮めるんだな」
「ほんと邪魔にされてんだよなあ。1人もんはいいよな」とわたし。
「何言ってるの。2人ともホイホイ好き勝手に女のひと追いかけて、飛び歩いてるくせに」みちこさんがあきれる。
「あれ、ばれてた」と私。
「ママさんにはかなわないなあ」と藤田さんも笑う。
「じゃあ、みんなで合コンやる」これまた適当だ。
「アラ還合コンとか、アラ土俵際合コンとか」
「何言ってんのよ。スケベなじいさんばっかり集まってどうしょうもないわよ」
みちこさんが憤慨してる。
「だからいいんだよな。じいさんからスケベとったら後は墓しかないもんな」
藤田さんに同意を求める。
「はは、俺は違うぞ。爺さんじゃないから」
「あれうらぎる。じゃ、スケベ爺さんと合コンしよ」
すぐそばの、吉江さんの肩に手を置く。
「あったかい」と吉江さんが言う。
「人のあったかさっていいわね。独り暮らしだと、人のあったかさがないのよ。結婚してる人には分からないでしょ。なくても生きていけるけど、それじゃ淋しいものなのよ」
「こんな手でもいいんだ」私はニコニコする。
「暖かいわよ。みちこさんは分かるでしょ」
「相手によるわよ。だれでもいいってわけはないわよ」とみちこさん。
「そう、ヒトによるよ。みどりさんは、こう逃げるよ」と肩を引く真似をする。
「彼女は夫がいるでしょ」とみちこさんが憤慨する。
「みちこさんだってこうだよ」と肩を引いて見せる。
「奥さんのいる人はだめに決まってるでしょ」と返り討ちにあう。
「そうだよ。ピシだよ。ママさんは厳しいから」と藤田さんが笑う。ピシッとやられたのかもしれない。
「当たり前でしょ。奥さん以外の人になれなれしく触っちゃだめなのよ」とみちこさん。
年金じいちゃんと、まだまだ現役のばあちゃんのたわいない話だ。
私なんかずっと独りにあこがれてるけど、独りもいいことばかりではないみたいだ。2人は独りにあこがれ、独りは2人にあこがれるのかもしれない。それぞれにままならぬものだけど、こうやって馬鹿話できるのは恵まれていると感謝しなくては。でも、男は年金で暮らせるけど、女の人はそうはいかないみたいだから独りになると働き続けるしかないのかも。日本はまだまだ男女平等ではないのかも。そのうち平等になったら、男も死ぬまで働かなくては生きていけない世の中になってたりして。困ったものだ。
中はにぎやかだ。吉江さんの独り舞台だ。さすがのみちこさんも吉江さんにはかなわない。上には上があるものだ。