ひょうたんかぼちゃ

 著者 高田敞

「ア、11時、心たびやってるよ」と、久美子が言う。

先ほどまで盆栽の松の葉を切っていたのだが、飽きて家に戻ってくると、フランス対日本のサッカーを久美子が見ていた。といっても、ごろんと寝転がって、半分テレビ、半分本を見ている。久美子は、もとはサッカーを見なかった。それが、私が見ていた国際大会の試合で長友を見てから、彼のファンになり、サッカーを見るようになった。今は香川のファンでもある。

で、本を見ながら、私が声援をおくるたびに、テレビの画面をちらちらっと見たりしていた。ところが試合途中なのに、急に思い出したように言うと、チャンネルを変えた。今日は、永友も、香川も出ているのにである。サッカーもいいのに、と思ったが、そのままにしていた。私が、「心たび」をよく見ているからだ。でも、放送時間が変わった最近はいつも見逃している。久美子はよく覚えていて、私がいるとかけてくれる。

 主人公の火野正平が高知を自転車で走っている映像が出た。浦戸大橋に向かっているという。以前私も半分だけ登ったことがある。渡るというより、登るという方がぴったりの橋だ。

「あれ渡れないよ。すっごく高いから」と久美子に言う。久美子はもう完全に本の中だ。

「俺も途中まで行ったけど、引き返しちゃった」

私も、火野氏と同様、かなりの高所恐怖症だ。

「普通の橋は渡るとこほぼ平らだろ。あの橋、普通の橋だと上のアーチになってるところあるだろ。あれが渡るとこになってる感じかな。それが長いから、真ん中はすごく高くて。一応歩道あるけど、狭くて、脇バンバントラック走るから、欄干にくっつくように歩くしかないから、怖い怖い」

「どうしてそんなに高いの」

「湾の出口で、大きな船が通るから高くしてるんだ」と知ったかぶりをする。まあ、とにかく目もくらむ高さだった。

 火野正平も、やはり橋を目の前にしてコースを変えた。

「渡しに乗るんだよ」と自慢げに話す。

「自転車乗れるの」

 久美子は本に戻りたそうな声だ。私の遍路話は、もうすっかり聞きあきているのだ。

「うん。大きいから。渡しまで1時間ぐらいかかったかな。一緒に出たほかの遍路は、最初から渡しに向かっていたから早かったみたいだけど。俺、道間違えたから」

渡し場が映った。船が来るまで、1時間はそこで座っていた。うららかな日だったのを思い出す。渡し場の前の小さなロータリーで、高校性が3人、バレーボールで遊んでいたのを思い出す。男だったっけ、女だったっけ、ともうすっかりぼやけてしまった記憶をたどる。

 後編は、高知市から、四万十川に向かって自転車で走っていく。山と、田んぼと、田舎道だ。「こんなん見るとまた行きたくなるなあ」という。久美子は、ちらっと見て「そおお」と、こんな田舎道の何がいいのという顔で本に戻る。私もしばらくテレビを黙ってみる。

「ほらすごい、見てみな」とまた久美子に声をかける。

「え、なにあれ。オッホッホッホ」と笑いだす。

「瓢箪かぼちゃだって」

「へちま見たい」

「半分へちまで、先っぽが瓢箪だ」

 露店に毛の生えたような道端の野菜直売所で、火野氏がひやかしている。その野菜の中に、見かけない野菜があった。彼が訊くと、八百屋の主人が「瓢箪かぼちゃ」と言った。へちまのように太長くて、先が瓢箪のように膨らんで、見るからに堅そうだ。大きな瓢箪を引き延ばしたような形だ。とてもかぼちゃには見えない。

「変なの。オッホッホッホ」と、火野氏が、その瓢箪かぼちゃを手にとってためつすがめつしているのを見て久美子は大喜びだ。

「駄目だよ変な想像しちゃ」と私も笑う。

 火野氏がそのかぼちゃをもらって、自転車の荷台のかばんに入れようとしたのだが、大きすぎてチャックがしまらない。両端がかばんからはみ出している。

「オッホッホッホ」とそれを見てて久美子が笑う。お上品で有名な名門女子高を出てるだけあって還暦を過ぎても笑いは上品なのだ。

 番組の最後にいつも読む視聴者からの手紙を読み終えて、「102日なのに、蝉が鳴いてる」と火野正平が言った。かすかにツクツクホウシの声が聞こえる。

「今日何日だっけ。13日だっけ」とカレンダーを見る。「そ」と瓢箪かぼちゃが終わったら本に戻っていた久美子は目を上げずにいう。

「昨日ここでもツクツクホウシ鳴いてたよ」と久美子に言う。

「そう」上の空だ。

「もう雌なんかいないのに。鳴いても誰も来てくれないのに」

退職の前の年になるかな。やはり寒いころにツクツクホウシの声を聞いたのを思い出す。

「生き残りが、ヨロッ、ヨロッて、這っていくかも」久美子が言う。そして、

「わ、怖い、て逃げ出したりして。オッホッホ」と自分で言って自分で笑う。

 せっかく人が感傷にふけっているのに、と思ったが黙っていた。

「おれも鳴いてみるかな」と言う。

「そうよ、もしかして、ヨロッ、ヨロッて来てくれるかもよ」

「やだ。鳴かない」と笑う。

この前から、久美子はウォーキングを再開した。でも、4日目からは1日置き、2日置きと、間があいている。「どうせ3日坊主だ」と言った私の予言は外れてしまった。少なくとも3日坊主ではなかった。久美子はまだ、ヨロッ、ヨロッには遠い年だ。1時間は歩いていると言っている。でも私だって30分は歩いている。それも毎日だ。まだ少しくらいは鳴けるかも、と身の程知らずだ。