鳴門大橋はいい春だ。

著者 高田敞





 そうだ、渦潮、と覗くと、はるか下に、何箇所か白く波立っているのが小さく見える。「渦は出来てない」と隣で運転している弟に言う。

 大阪の弟のところに二泊して、さて鳴門に行こうとすると、「乗せてってやるよ」と言う。高速バス乗り場が分からないので困っていたところだから、渡りに船で乗せてもらった。「高知で、桜が満開らしいから写真撮りにいくから」と言う。弟らしい。

 車はポルシェだ。真っ赤なポルシェではなく、グレーなのが少し残念だがポルシェはポルシェだ。そうなんだけど、小さくて、スプリングが硬いので、なんだか軽トラックに乗っているようなのだ。ウーン。それがポルシェなのだ、とひとりで納得して上機嫌だ。でも、高速道をそんなに飛ばしているという感じではないのにもう目の前は四国だ。春の瀬戸内を眺めている。

 「四万十まで行くなら、足摺まで足を伸ばしな。四万十はたいしたことないけど足摺はきれいだよ」と以前歩いたときの経験を話す。四万十川に沿って歩いたときは細い道なのにダンプが次から次に通ってひやひやしどうしだった。ほかはどうだか分からないけど噂ほど景色のきれいなところとも思えなかった。うちのそばの川と大差なかった。

 「海の色が違う」足摺を廻ったときは元気になっていたと思い出す。弟は黙って運転している。

 あっさり1番札所の霊山寺前に着いた。車はありがたい。でもこのありがたさが失敗の始まりだった。

 門前の店で、遍路笠と、杖と、納経帳を買った。納経帳は、普通は前に回ったのを持ってきて、その上にまた判を押してもらうのだが、今回は、甥の病気回復を願うために来たので、納経帳は甥に上げるつもりだったから、新しく買った。

 風に飛ばされないように笠の紐の左右を輪のように付け直し、まず霊山寺におまいりした。あれ、こんなに小さかったっけ、ときょろきょろした。前来たときは最初だったから大きく思えたのだろう。その後大きな寺にずいぶんと出会ったから、それが普通だと思うようになったのだろう。

 意気揚々と歩き出した。風は冷たいが春の陽が暖かい。幸先上々だ。道のほとんどは覚えがなかった。途中大きな木がある神社があって、ああ、と思い出した。前来たとき、そこで、若い女性のお遍路さんが、携帯でその木を写していたのを横目で見ながら通り過ぎたのだ。その人とは、高知市を過ぎるところまで、時々、出会っていっしょに歩いたりした。歩く速度が偶然同じだったのだろう。高知市の先で、「また会えるよ」と言われて別れたのが最後だった。その後も最近まで年賀状をやりとりしていた。

 もう一箇所、四番の大日寺への道に入るところも思い出した。たどってきた畑のわきの細い農道から、少し上って、舗装道路に出たところは、一度、大日寺へお参りしてから、スイッチバックのように引き返して、五番の地蔵時へ行く道だ。その畑の中の道の端に腰掛けて休んでいると、その女の人に追い越されたところだ。そんなことしか覚えていない。何のことはない舌なめずりしそうなおじいさんだ。

 まあ、春も盛りで、歩くにはもってこいの日は、恋にももってこいなのだ。今日も歩きの遍路にときおりであう。けっこう女の人もいる。先ほどお参りした三番の金泉寺では、おばさんのお遍路と、若い女性のお遍路がベンチに座り込んで話し込んでいた。おっとっと、女人禁制と女人禁制と、大急ぎでお寺を後にしてきた。われながら立派なものだ。大日寺におまいりしてから引き返して五番に行く途中で、先ほど若いお遍路さんと話していたおばさん遍路とすれ違った。お疲れ様と挨拶してにこっと笑い顔を作って先へ行く。若い人はいなかった。ちょっぴり残念。おじいさん遍路は少し足を引きずりながらも、元気いっぱいなのだ。