好み
著者 高田 敞
庭を見ていた妻の久美子が、「菊がきれいね」と言う。
「ウンいっぱい咲いた」と答える。
「菊って珍しいんじゃない」
「初めてかな」
「好みは変わるの」
「ウン。変わる」
私はそらっとぼけて答える。
去年遅く、園芸店を見に行ったときに苗を買った。春に芽を指して、いくつかのプランターに植えた。庭は、木が大きくなっていて、春から夏にはたいがい日陰になるから、日当たりのいいところは、プランターに植えて日当たりに移動できるようにしなくてはならない。その菊が大きくなった。
夏の花もそろそろ勢いをなくした十月に入って、つぼみがやっと大きくなって次々に咲き出した。みんな小菊だ。ボール状の白いぽんぽん咲き、ビー球くらいの黄色は、花が群がって鮮やかだ。花芯が緑で縁取りの花びらがピンクの花、細い花びらが噴出すように枝垂れた、白い花と、どれも華やかだ。
ところが、ひとつだけ、十一月になっても咲かないのがあった。もう木枯らしが吹こうというのにつぼみは小さく固いままだ。銀杏が黄色くなりかかったころ、やっとつぼみの先から赤紫の花びらが伸びてきた。出し惜しみするように何日もかけて花びらが開いていく。開くのにつれて花の色が変わっていく。よく見ると、花びらは一枚一枚建てに細く巻いていて、それがほぐれながら開くので、花びらの内側の色が上になり、それまで見えていた赤紫が裏側になるから色が換わるように見えるのだ。内側は白だ。それに裏側の赤紫が透けて、薄紫の花になった。三重くらいの重ねの花だ。開いてみると、薄ぼんやりした色は、目立たない色だ。ずいぶん待たされたものだから、どんな花が咲くか楽しみにしていたのに、形も普通で、色も薄ぼんやりで、ちょっとがっかりだ。
「どこかから飛んできた種が出たのかも」と久美子に言う。
散歩に行くと、それとよく似た菊によく出会う。
「野菊みたいね」と久美子が言った。
「この前、おかあちゃんに持っていったら、菊は、お墓に持っていくのにいいから、増やしてってお母ちゃんが言ってたわよ」と久美子が言う。
「いいよ、春差し芽すればいくらでも増えるから」
本当は知っていたかな、と思う。菊の苗を買ったときも、「菊なんて珍しいわね」と久美子に言われた。そのときは、「ここまで大きくなっていると、中は癌になってますね」と医者に言われたポリープの手術待ちのときだった。いざというときは、墓に持ってきてくれるかな、と少しは思ったのだ。けっきょくは何事もなかった今、大騒ぎした手前恥ずかしくてそんなことは言えない。
木枯らしが吹き、霜がおり、銀杏があっという間に散った。師走になって、さすがの菊もしぼんできた。その冷たい風の中で、野菊のような菊だけは平気で揺れている。色が薄くなり、いよいよ野菊のようだ。
それを見ながら、来年はこの菊は1本でいいか、と思う。まあ、ほかのも、自分ちのは少しでいいや、と思う。
今まで、鮮やかな西洋の花ばかり育ててきた続きだ。なかなか、好みはそうはころっとは変わらないみたいだ。