「怖いよなあ」と言う。
「食えねえよ」と義弟が言う。
義母が、ジャガイモを蒔けと言った。3月末になったし、種芋も買ってあったしだからどうしようか迷っていたところに言われたから、一応蒔くことにした。地震の前に買っておいたから、例年通りの量買ってある。それも、味を試そうといろいろな種類を買った。
「まあ、どうなるか分からないから」と私は未練がましい。
小っちゃな耕運機を義弟が押していく。私は、そこに種芋を並べていく。義母は、縁側に座って種芋を次々に切っていく。久美子がそれに灰をつけていく。
彼岸過ぎの日が高く上がりぽかぽか陽気だ。梅の花はもうほとんど散ってしまったが、変わりに姫こぶしがつぼみの先からピンクの花びらをちょっぴり突き出している。いい春なのに。
「できたらやっぱり食べたくなるよな」と耕し終えた義弟にまだ未練ぽく言う。
「すぐ野菜も蒔けって言うよ」と続ける。
「少し、ほんの少し。ばあさんのだけ」笑いながら義弟が言う。義母は、「私は、もう長くないから、関係ないよ」と先ほど言っていた。
「んだな。少しだけ蒔くか」
ジャガイモの種を買ったとき、野菜の種も買った。ナス、ピーマン、ミニトマト、トーモロコシ、ポップコーン。子どもたちがお盆に来たらいっしょに食べようと買った。だからやっぱり未練がましい。
「今宇宙人が食料探しにきて俺たちを見たら、『あれは止めとけ、食用禁止だ』って、ほか行くな」と私は言う。
「塞翁が馬だ」と義弟が笑う。
「灰がなくなったから何か燃すものない」と点火バーナーを持った久美子がやってきて言う。
「あれ、足りなかったか。あれ燃やしたら」と畑の端に積んである松の枝を指す。
マスコミは食べても安全だ安全だといっている。しかし、4月になって、食用禁止は、千葉や、群馬にまで広がっている。うちの上を通り越して、ずっとはるか先まで行った空気が食べられないほどの汚染を拡げている。放射能も、煙のように薄まりながら飛んでいくのだろうから、うちにはもっと濃い放射能がとんでいるはずだ。それを一日中吸っている。ヨウ素は気体だから肺から直接血液の中に入るだろう。それを毎日毎日1分の休みもなく吸っている。半減期8日という。1週間すると、今日の100と、昨日のが減って93になったのと、おとといのが減って86くらいになったのと、それから、79と、72と毎日休みなく吸ったのが体の中に蓄積されていく。
それ以外にも半減期が何十年とかいう放射能が地面に降り積もっている。
雪なら解けて流れてノーエで、消えてしまうけど、放射能は解けて流れていかない。
いくら食べても安全だという学者さんたちよ、孫を連れて茨城に来て、畑からじか摘みしたほうれん草を家族で食べてみな、それなら少しは信用してあげよう。スタジオなんかじゃ、だめだよ。きっと、中国産のほうれん草に茨城のカバーをして、産地偽装なんて古くて新しい手を使うのだろうから。
さわやかな春風が通りすぎていく。いつもなら、盆栽の植え替えや、花の手入れや、種まきと楽しい春だ。寒いから、何もすることがなくてつまらなかったのが、やっとできると楽しみにしていた春なのだ。でも、この春風の中に放射能があるという。色もない、匂いもない、痛くも痒くもない。いくら吸ってもくしゃみ一つでない。ところが、この春風がそよそよとほうれん草畑をすぎていくと、それだけで食べられないほどの毒が付くという。その空気を吸わなくてはならない肺は、空気と効率よく接触するように作られている。そこに毎日大量の空気を吸い込む。タバコの煙はからだに付いたくらいでは害はないけど、この春風はそれだけで危険なのに。春風が、息をするたびに肺に毒を残していく。
今日は何もない。明日も何事もない。痛くも痒くも、くしゃみさえない。ひとっつも怖くない。しかし、5年後や10年後に、白血病や、癌になるという。もう歳だから、どっちにしろ大差はないと笑っている度胸はない。なのに、毎日そよそよと、春風が私の体をすぎていく。逃げるったって、たくさんの友達と、この生活を捨ててどこにいけるところがあるだろう。