こどもみこし
軽トラックの荷台で太皷が鳴っている。その後ろを小さなみこしがゆらゆら進む。十人近くの大人たちがみこしを持ち上げている。そのみこしをやはり十人くらいの子どもたちが担いでいる。地区の神社のお田植え祭の子どもみこしだ。ドンドン、わっしょい、ドンドン、わっしょい、と掛け声も勇ましく、といきたいところだが、何せ人数が少ないものだから、掛け声はみんな空に吸い込まれてしまう。薄曇の空は明るく、かんかん照りでないだけありがたい。でも、「みこしはやっぱりかんかん照りでなくちゃ」と若者はいう。なるほど、なるほど。
みこしの屋根には稲がくくりつけられて、穂を揺らしている。地区自慢の古代米の稲穂だ。まだ出たばかりだから、垂れずに真っ直ぐぴんと伸びている。私は、みこしの後ろを、10人ほどの、おじさんを終わったばかりの人たちとのこのこついていく。
「私がやったころは、この三倍はいたような気がするな」と並んで歩いているやはりおじさんも終わりに近い人に言った。
「さびしいね」おじさんも終わりに近い人が言う。子どもはみんなで十四人しかいない。大人がその三倍はいる。
「昔は近所の登校班だけでもこれくらいはいたよ」
「そうだよな」
「小学校はなくなるみたいですよ」と青年団の人が振り返って言う。青年団といっても、ほとんどが子持ちだ。青年も少ないのだ。町を出て行ってしまう青年が多いのだ。
「どっかと統合するの」
「噂ではそうらしいです」
「噂があるってことは、やがてそうなるってことだ」長老が言う。
「そんな少ないんだ」私が言う。
娘が小学校のときだから、もう二十年くらい前になるだろうか、私も子供会の役員をしたときがあった。そのときはみこしに触れない子がいたほど子どもはたくさんいた。小さな酒樽で作ったみこしだった。それがいつのまにか小さいながらも立派な本物のみこしになっている。それなのに今度は担ぎ手がいなくなっている。
今年は、なぜか鉦も笛もない。大太鼓ひとつが鳴り物だ。それでも、子どもたちも、青年団も「わっしょいわっしょい」と叫んでいる。
私たち年よりは、ただのんびりついていくだけだ。昔私が担いでいたときもやはり後ろからついてくる年寄りたちがいた。いつのまにか私がついて歩く仲間になっている。
小さなみこしでも重いので、台車に載せ変えて、今度は綱で引いていく。休憩所につくと、お菓子やら、スイカやら、ジュースやらがいっぱい出る。昔と同じようにたくさんのおばさんたちが手ぐすね引いて待ち構えている。私らにも、冷たいビールが出る。私たちはビール片手に田んぼに向かって道の端に腰掛ける。
前の田んぼは、遠くからみどりの川になってやってきて、ずっと遠くへ消えていく。その向こうを涸沼川の土手が続いている。土手の向こうは栗畑や、竹林や、杉林だ。
穂の出だした稲を揺らして遠くから風がやってくる。私たちはのんびりビールを飲む。みんなの明るい声が流れていく。
「いいとこだね」長老が言う。彼はここにもう70年を越えて暮らし続けている。夏も真っ盛りだ。