「わたしのほうが早いから」と久美子が言う。
「エ、ふうん」と私はニコニコする。
一日分の食器がまだ流しの中で片付いていない。それを洗おうとしたら、久美子が言った。
「そっち作ってて」とおかず作りのほうを言う。
今日は、久美子の弟夫婦とうちとが、去年亡くなった義父の誕生日だからといって義母の家に集まって食事会をする。そのために、義弟たちが言っていた、おいしい肉屋のレバーを久美子が買ってき。それを、畑のにらを整理したので山ほどあるのでにらレバ炒めを作るという。この前ピーマンレバ炒めを作って持っていったとき、やけにほめられたので、もう一度作れというのだ。
「いいよ。塩ふってちょっと置いておくから」
二人で台所でごちゃごちゃやる。
時間待ちの間、久美子が洗った茶碗をふいて片付ける。
「もう学校始まったて」久美子が言う。
「へー早くなったんだ」
まだ8月の28日だ。以前からそのうわさは聞いていたが本当だったんだ。
「子どもがいなくなって、親はほっとしてるわね」
「そうかも。でも子どもは大変だ」
「そうね」
「今は何でも学力学力だから」
「学力ってなんなの」久美子が言う。
「親は受験学力。先生も、やっぱりそうかな。マスコミは国際テストかな。要するにペーパーテストの成績だと思うよ」
「テストだけで判断されるなんて子どもはかわいそう」
「大阪の橋本知事が、三年連続45位だったというので怒ってる話が出てたけど。ほんと、子どもを点数だけでしか見ていないもんな、ひどい話だよ」
皿を受け取っては拭いて。棚に重ねていく。昔、アメリカのホームドラマでそんな場面があった。まあ、あのドラマでは一日分の食器が夕方まで流しの中で残っているということはなかったのだろうが、うちは二人で不精している。まあ、一日家にいる私がやればいいのだが、一番の無精者だから。
「そうよね」
と、もうひとつ賛成ではない声だ。久美子はけっこう大阪の橋本知事のファンなのだ。
「どこが変かっていうと、子どもが今幸福かどうかをまるで考えてないとこなんだ」と思いついて言う。
「子どもは子どものときに幸福になる権利があるし、楽しくすごす権利があるって児童憲章に書いてあるのを橋本知事は知らないんじゃないかなあ。大人になったときに、偉くなるとか、立派な人間になるということのためだけに子ども時代があるんじゃないんだ。将来なんの役に立たなくても、ただ楽しいということが子どもの権利としてあるんだ。そのためにテストの点が少しくらい落ちたって、法律なんだから守らなくちゃだめなんだ」
「そうよ。子どもは笑ってなくちゃだめよね」
「そう思う。大人だってそうだよ。笑ってなくちゃ。何ができたかとか、何ができるかなんて成果しか人間の尺度にしない社会になって。みんな必死で働いてる。ところが今の日本は昔の地主と小作みたいなんだよ、株主が、会社員の作った売り上げを濡れ手に粟で持っていってるから給料下がってるの知らずに、良い生活するにはもっと働かなくちゃって思い込まされてるんだよ、絶対届かないにんじん追いかけてる馬車馬みたいなのにさ」
「みんな大変みたいよね」
「『じっと手を見る』時代にまたなってくみたいだ」
「若い人はかわいそうね」
「ほんとな。法に決められたとおり、週40時間働いたら普通に暮らせる世の中にしなくちゃだめなんだよ」
食器が片付いたので、ニラレバイタメにかかる。
家族五人が集まって、食事会になった。
義母は味濃いのが好きだからな、と考えて、最後に追加した塩がちょっと効きすぎて、せっかくのニラレバイタメが、しょっぱくなったけど、みんなで、御飯食べて、お酒を飲んで、にぎやかだった。そう、どの家も、いっしょにニコニコ笑って御飯食べられるような世の中にしなくちゃだめなのにと思う。