年金暮らし
盆栽の松の芽摘みをしている。五月の朝の風がひんやりと通り過ぎていく。日差しはさすがに強く、汗ばんでくる。
後ろの栗畑で鶯が鳴いた。遠くだ。「おやっ」と手を止めて耳を澄ます。
今年は、いつもの年と違って近くでは鳴かない。去年までは、庭にもやってきて鳴いていたのだが、今年は遠くでしか鳴かない。庭木はうっそうと茂り、消毒もしないから虫もいるはずだがやってこない。
春先は、雉が何度か庭にやってきてこちらの気配に気づくと、大きな羽音を残して飛び去ったし、先日は、こじゅけいが、ひょこひょこ茶色の体を光らせてやってきた。けっこう地味派手で、それなりにおしゃれなんだと感心して見ていたら、やはりこちらに気がついたのか、大急ぎで走り去った。
最近は犬も以前のように吼えて飛びかからなくなった。どうせ捕まえるのは無理だと悟ったのだろうか。ひょっとして、年をとって気づかなくなったのかもしれない。
山鳩も、シジュウカラも、いつもの年のように毎日姿を見せるのだが、鶯は寄り付かない。
耳をすませたのは、鶯の声を楽しみたかったわけではない。昔いた、「ホーバキバキ」と鳴く鶯かと思ったのだ。退職する年のころ、いつも、「ホーバキバキ」と鳴いていた鶯がいた。「バキバキ」というのが口癖だった同僚に話して笑ったことがある。その鶯かと思ったのだ。そういえばその鶯は、いなくなって、ホー何とかと、鳴き方が違う鶯になっていたんだ、と思い出した。でもなんと鳴いていたのか思い出せない。
それで次の一声を待った。ホーと延ばして、ホケキョ、と遠慮がちに鳴いた。
「なんだ」、と思ったが、もう一度鳴いたら、違う鳴き方になるかと思って、じっと待った。待っても鳴かなかった。聞き耳を立てているので恥ずかしくなったのだろう。
私はまた、芽摘みに戻った。
早いものだ、と思う。「ホーバキバキ」のころは働いていた。それがホー何とかになったときに退職した。それからもう五年もたったのだろうか。はっきりわからない。もうすっかり年金爺さんになって、のんびり盆栽いじりである。といっても、盆栽は働いていたころも育てていた。どちらかというと、そのころのほうがよく手入れしていた。あのころは、毎日一日中人の中にいて、人と話すのが仕事だったから、休みのときくらい黙っていたかったのかもしれない。今は一日のほとんどが一人でいるから、盆栽をやる必要はなくなったのだろうか。
ずっと遠くでホケキョと鳴いた。栗の木をザワザワと鳴らして風が通り過ぎていった。光があふれている。