ツマグロヒョウモン

 

 わが家の石塀の角を曲がると、石塀は途切れて椿の生垣になる。その前で、朱色の羽が目に入った。

 生垣の前は、今は、義父が亡くなったので使わなくなった、義父の車庫に続く細い私道になっている。その道の脇、生垣に沿って、以前から三十ほどのプランターを並べて草花を植えている。南側なので日当たりがよく、何でもよく育つ。今は、インパチェンスと日照り草が咲いている。日照り草は、あまり伸びていない。春から咲いていたペチュニアが夏に枯れてしまったので、急きょ植えたものだからあまり育っていないのだ。反対に、インパチェンスは今年はあたり年だ。水遣りなどしていると、犬の散歩の人たちが誉めていく。人ばかりではなく、蝶もよく来ている。夏の盛りは黒いアゲハ蝶がひっきりなしに訪れていた。

 

 もう夜はコタツの話が出るようになったこのごろ、さすがのインパチェンスも花が少なくなってきた。黒いアゲハ蝶も見かけなくなった。

 そのインパチェンスの前に、この前から並べてある、パンジーの苗を育てている箱に蝶がいる。朱色の羽に黒い点が散らばっている。羽の先と、後縁は濃い紺色だ。その中の白い点が鮮やかだ。残暑のころからよく見かける蝶だ。住み着いているかのようによく見かけていたが、最近姿を見なくなったので、死んでしまったのかと思っていた。

 

 最初に見かけたのは、義父の車庫の前だった。伸びた草を刈った後のむき出しの砕石交じりの地面を這っていた。蝶が地面を這っているので変な蝶だなあ、と思って見ていたら、小さな菫の葉のところで尻尾を曲げている。ああ、卵を産むのだ、と気がついた。少しするとまた這って行く。その後も這ったり少し飛んだりしながら、菫をさがしては卵を産んでいるようだ。踏みつけられた砕石交じりのところなのに、菫がいたるところに小さな葉を出している。痩せ地だからかいくらも伸びていない。モンシロチョウを少し大きくしたぐらいはあるから、こんな小さな葉でも育つのかなと少し心配になる。

 たった1年だけれど高知市のはずれに住んでいたことがある。住んでいたアパートの前の畑の端に植わっていた花に、この蝶がいつも群れていた。黄色い花と、朱と濃紺の羽でひらひら舞う姿を思い出す。その畑の持ち主の子どもの中学生が蝶好きで名前を教わった。ツマグロヒョウモンだと言う。あれから四十年を越えている。よく覚えていたものだ。

 次の年茨城にきた。茨城にきてから見かけたことがなかったのが、ここ何年かときたま見かけるようになった。

 さすがに自信がなかったので、図書館に行ったついでに調べてみた。間違いはなかった。

 図鑑によると、暖かい地方の蝶だということだ。このところの温暖化で、棲むところが北上しているという。このあたりでも見かけるようになったのはそのためのようだ。だが、たいがいは北上しても冬が越せない、と書いてある。この蝶も、生まれはもっと暖かいところなのだろう。

 パンジーの苗の周りに卵を産むしぐさをしているのは、パンジーも菫の仲間だからなのだろう。「お前なあ、パンジーは食べないでくれ」と思ったが、少しはいいかと追い払わなかった。

 ひょっとして、小さな菫に卵を産むのは、春になって菫が大きくなってから幼虫に食べさせようということなのかもしれない、と思いついた。すると、卵のまま冬を越すのだろう。だけどここの冬は寒い。高知では土まで凍ることはなかったが、ここは冬中土は凍りつく。多分卵でも冬を越すことはできないだろう。

 蝶は、小さな苗のそばの土にしりを押し付けては這っていく。すこしそうしていてから秋風にふわりと乗った。秋の日差しに朱色がひかった。軽く羽ばたくと、生垣を越えていった。

 

 遠い昔のことだ。不安ばかりの当てのない生活をしていた。南国の暑い夏の中でこの蝶が乱舞していた。数年前、四国遍路の途中寄り道して尋ねた。住んでいたアパートは駐車場になっていた。蝶のいた畑は住宅になっていた。

 日差しは暖かいけれど、風はもう冷たい。夜はコタツがほしいくらいだ。寒くなければいいのだが。  21,10,25 高田敞

 

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