「私息子に怒られちゃった」と、席に着くか着かないかなのにみちこさんが言う。
今日もほかに誰もいない。平日の昼下がりの田舎の喫茶店はそんなものなのだろう。
「なんでまた」
「この前、息子、田中君連れてきたの。そのとき恵子さんいたのよ」
「あの後恵子さんも来たんだ」
この前来たとき、息子が来るから会っていったらと言われたのだ。そのときはみどりさんもいたのだが、お互い夕方の買い物やら何やらで待たずに帰った。
「あの後すぐ恵子さんが来て、息子も五時過ぎに来たのよ。そしたら、恵子さんテンション上がっちゃって、息子のこと美男子だ、美男子だって誉めるのよ」
恵子さんは、ずっと大きな農家の嫁をやってきたという。自分だけ人間の夫に仕えてきた、といつも愚痴をこぼしている人だ。いつからか詳しいことは分からないけど、ここ数年反乱を起こしていつも外を飛び歩いているみたいだ。夫のそばにいるといろいろ命令されるのが嫌なんだという。
「息子さんイケメンだもんな。恵子さんでなくってものぼせっちゃうよ」
写真だけでしか見ていないけど、みちこさんの息子はかなりのイケメンだ。
「そこまではよかったのよ。そのあと、結婚の話になったのよ。田中君なかなか決まらない話になったでしょ。そしたら、田中君に、男は顔じゃないのよ心なのよ、って言うのよ、それも、何回も顔じゃないよって言うんだもの。田中君むっとしたのよ、それでも気づかずに何度も言うんだもの。私ホローの仕様がなかったわよ」
「そりゃやんなっちゃうわ。片一方に美男美男と言っててはな」
「そうなのよ。それで、あとから息子が電話してきて、田中君怒ってたって、怒られたの」
「大丈夫だよそれくらい。気にしてないよ」
私は、一度ここで田中君にはあったことがある。いたって普通の人だった。
「そうかしら」みちこさんの意見は違うみたいだ。
「だって、ゆっくり、ようく分かるように、男は顔じゃないのよ、って言ったのよ」とみちこさんはそのゆっくりを真似する。みちこさんも何度も言う。
「そりゃ大変だ」私は、もう適当な返事になっている。
「そうでしょ。それで、恵子さんが来たから話したのよ。怒られたって」
みちこさんの話には続きがあるようだ。
「そしたら、忘れたって言うのよ。だから、こうこうで、って思い出させてあげたのよ。そしたら、ああ、そんなこと言ったかもしれない、って、思い出したのよ。それって変じゃない。自分の云ったこと覚えてないなんて」
「そんなもんじゃない。言ったことなんていちいち覚えてらんないもの」
「だから思い出させてあげたのよ。怒るの無理ないでしょ、って言ってやったのよ。そしたら、そんなつもりじゃなかったっていうのよ。だから、そんなつもりじゃなくても考えれば嫌な思いするのわかりそうなものでしょ、って言ったの。かわいそうじゃないって。そしたら落ち込んじゃったのよ」
「こんなふうに下向いて」と指をもじもじ動かすしぐさをしてみせる。
「私もそうだったから。夫に責められたときそうやってたから」
「そりゃ落ち込むよ」
「私も言いすぎかなと思ったのよ。でも、言っとかなきゃ、また言うかもしれないでしょ」
「それもそうだよな。多分初対面で話すことがなかったからちょっと話題にするだけだったんだよ」
「でも、もう少し考えればいいのよ」
「まあ、みんなが言うことだから、元気づける気だったんじゃないのかな」
「そうだと思うのよ。でも何回も言うんだもの」
「そんなもんだよ。良かれと思ってもうまくいかにことよくあるから。ま、彼のほうは大丈夫だけど、恵子さんはしばらく来ないかもしれないな」
「そうかしら」
「わかんないけど、嫌なことがあったところには近づかないんじゃない」
「そうね」
ちょっと心配な顔になる。
二人は、最近よく連れ立って、近くのちょっとした観光地などに出かけていた。同じ境遇で話が合うみたいだ。せっかく仲良しができたのに、ひょっとしてしばらくは残念なことになるかもしれない。
「でも、大丈夫よ」
みちこさんは自信ありげだ。いつも、ぐちを聞きあう仲良しの強みだからなのだろう。
美男子の息子さんも、そうでない田中君も結婚できないでいる。顔でも、心でもないのかもしれない。世の中変わるから、私ら年寄りには分からないことなのだろう。