里山を歩く

 
                              (雑談目次へ)
 山裾の方から、カサカサカサと、木の葉をゆする風の音が聞こえてくる。それがだんだんと近づき、大きくなったかと思うと、ゴーと頭上の木々を揺るがし、枯葉を巻き上げ、ドーッと通り過ぎていく。その音が峰の向こうに遠ざかっていくと、また、はるか下の方から葉をゆする音が近づいてくる。

 服を突き通してくる風がひどく冷たい。今年初めての木枯らしかもしれない、と細い山道を登りながら思う。

 五十人ほどの人たちが、一列になって黙々と登っている。そのまん中ほどで、私も息を切らしている。

 県民大学の主催する「里山歩き」という講座に参加した。その三回目だ。だから少しは顔なじみになっているのでもう少し話し声があってもいいのだが、ほとんど話し声がしないのは登りが急なせいだ。ほとんどの人が還暦を越えていそうなので、息が切れて話すどころではないのだろう。もちろん私もその仲間だ。

 

 いつまでも暖かい今年だが、それでも、十一月も半ばをすぎているので、さすがに高峰山はすっかり紅葉に覆われていた。里の小さな山なのに、珍しく植林されておらず、雑木に覆われているので紅葉狩りにはうってつけの山だ、と講師の先生が話していたとおりだ。その紅葉の中を登るのだが、細く、急な山道だから下ばかりを見ていて紅葉を愛でるどころではない。その上、体力がない。先頭を歩いている七十二歳だという講師は、ゆったりゆったり登っているようなのに、速い。遅れないようについていくだけで息が切れる。

 

 二時間ほど登っただろうか急に視界が開けた。山頂近くの斜面が広く芝生になっている。パラグライダーの出発地だという。

 はるか下には、とおくまで田が広がり、その向こうに、加波山と、筑波山がかすんでいる。

「あれ、富士山じゃない」おばさんが指さした。

「ああ、そう。富士山ですね」もう一人の講師の女性が答えている。

 指差す辺りを見やると、地平の辺りの霞の上に、うっすらと三角の雲のようなものが浮かんでいる。

「ああ」と私も言う。昔勤めていたころ、職場の窓から、年に一度か二度見えたことを思い出す。その富士を正面にして弁当を広げた。 集合場所から、山裾まで乗り合わせできたので、乗せてきてあげたおばさん二人と、おじさん夫婦に挟まれて弁当を食べた。コンビニで途中で買ったおにぎりと、すし弁当だ。手作りでないのがなんとなく肩身が狭い。

 子どものころは大阪にいた。あちらでは、遠足はみんな巻き寿司だ。こちらに来たとき、みんなおにぎりなので、不思議に思ったものだ。今はおにぎりに慣れたが、いまだに出かけるときは、巻き寿司という気がどこかにある。

 もう何十年も前だ。私が子どものころ、弟の、遠足か何かだったろう。母が、その弁当が作れずに、夜近くのすし屋に頼みに行ったことがあった。「頼んだら造ってくれた」と何度もありがたがって話していた。朝早くから、遅くまで仕事に明け暮れていても、私たちのためには労を惜しまなかった母が、弁当を作れなかったのはその一度きりだ。よほど疲れていたのだろうか。不肖の息子たちのために働きずくめでも、何一つ、小言は言わなかった。癌で倒れるまでそれは続いた。心配ばかりかけて、何一つ報いることができなかった。

 

「仲良いわね」

と隣のおばさんが、その隣のおばさんに話している。

「ご夫婦で来ている人が、七組いるわよ」

と数えている。

「おたくもはじめは来ていた」

と私に言う。

「そう。でも、一回目で女房は降参しちゃった」とニコニコ答えた。本当のところは山登りに降参したのではないのだが降参には違いないのだから。

「あらそうなの。来れば楽しいのにね」とそれっきり深くは聞かない。聞くほどの事もないのだが。

 でも、そのおばさんも一人だし、もう一人のおばさんも一人だ。見ると、五十代のおばさんはみんな一人だ。夫婦は、みんな六十をとっくに越えていそうな人たちばかりだ。考えてみれば、木曜日の朝から山登りができる男の人は、退職老人しかいないのだから当たり前か。たしかに参加している男の人は、みんな六十を越えていそうだ。県の職員の、この会の世話役をしている人が、ただ一人の現役みたいだ。

「あら、消えちゃった」

 おばさんが言う。見ると、地平線の向こうは先ほどとそんなに変わらないのだが、富士は見えなくなっていた。

「これどうぞ。すっぱいけれど、珍しいから」

 おじさんが小さなみかんを配ってきた。

「ほんとだ。珍しい。膨れみかん」

「生ったのですか」隣のおばさんが言う。

「ええ、今年は豊作で」おじさんがニコニコ答えている。

「最近は見かけなくなりましたからね」と私も言う。

 風が、ゴーと滑っていき、枯れ葉が舞って、蝶々の乱舞のようだ。

 

 

いまどき 

 

 「娘が帰ってくるの」と、カラオケで慣らした細い声で、歌うように京子さんがニコニコ言う。京子さんはめがねの奥の細い目がいつも笑っている。「そうなの」と、光江さんが、くぐもった声で小さく答えている。光江さんはいつもそんな声だ。

「彼と喧嘩して、しばらくうちから仕事に通うことにしたんだって」

 私は、一生懸命状況を考えている。(帰ってくるからには、一緒に住んでいた人がいる。けれど、夫婦なら彼とは言わない。すると、同棲ということか)というわけだ。でも、聞くのは悪いかなと思って続きを待っている。光江さんも返事の仕様がないのか黙って続きを待っている。

「忘年会が続いて、飲んで帰ってきて、はいたりするんだって。自分も仕事が忙しいのにそれを始末したりして、喧嘩になったんだって」

「それは嫌になるわ」と、私は自分のことは棚に上げて言う。

「飲めない体質なのに、上司の酒を断ることができないから飲んでくるらしいの。そういう職場なんだって」

「ひどいわね」京子さんがぼそっと言う。

「今時珍しいな。昔はいたんだよな、無理やり勧める人。飲めないのに飲むってのは大変だよ」と私も相槌を打つ。

「そうなのよね。かわいそうなのよ」

「少し冷却期間を置けば元に戻るわよ」と、光江さんが言う。

「そう思うの。結婚してないから、帰るの嫌ならそれもいいし」

 やっぱり同棲なんだ、と思ったけれどやはり何にも言わなかった。

「長い春っていうじゃない。相手の嫌なところが見えたら結婚しないかもしれないわね」

 厨房からみちこさんが言う。

「それはそれでいいのよ」

 京子さんは、やはり歌うように言う。

「結婚していなければ、戸籍に傷はつかないからね」と私は言ってみる。

「そうね」

 そのことは考えていなかったんだ、と思う。

「まあ、今時離婚だって普通だから」

「そうでもないわよ。結婚するとなかなか別れられないのよ」

 話に入りたくて洗物どころじゃなくなったのか、みちこさんが出てきて話に割り込んでくる。

「そりゃ、俺たちゃ、古時で今時じゃないもの」と言う。

「あら、私は今時だと思ってた」とみちこさん。

「みんな一年くらいいっしょに生活して、相手をよく知ってから結婚を決めたら、失敗しないのにね」みちこさんは続ける。

光江さんが

「そんなことしたら、だれも結婚しなくなるわよ」と言う。

「あとで後悔するよりいいわよ」

みちこさんは主張する。

「この前テレビ見てたら、ロシアは、結婚前に必ず同棲して、うまくいくかどうか確かめる、ってやってたよ。それでも結婚しているみたいだから、あんがい良いかもしれないよ」とわたし。

「今の人はこだわらないから、結婚しても嫌なときは別れるでしょう」と光江さん。

「そうよ、あっさりしてるのよ。先は長いんだし、少し距離を置いてよく考えるのにいい機会じゃないって娘には言ってるの」と京子さんが言う。

「そうだよな。それに、今は、それ以前の問題もあるから。今の若者は、半分近くが、パートとか、派遣とかで、収入が少ないし、将来もないから、女の人としては結婚に踏み切れないんじゃないかな。けっこうそんなことで別れることもあるんじゃないのかな」

 すぐ社会に結び付けるのは、私の悪い癖だ。

「娘の彼氏は公務員だから、その心配はないのよ」

「そうなんだ。今どき公務員なら堅くていいのに」

「そう思うのよ。でも、嫌なものは仕方ないもの」と京子さんが言う。

「そうだよな。最後は人だよな」

「そうよ、酔っ払いはだめ」

 酔っ払いの公務員と結婚してたみちこさんがきっぱり言う。

「家庭内暴力はだめだけど、酔っ払いはたまにはいいんじゃない」と時々酔っ払いだった私は言う。

「男の人は酔っ払うと人が変わるから」とみちこさんは言う。

 

 去年二十五万組の人たちが離婚したとテレビでやっていた。昔はどれくらいだったのか知らないけれど、きっと増えているのだろう。

 ここによく来る女の人も、男の人も、みんなちょこっと家族の愚痴を言ってみたりする。でもほんとにちょこっとだけだ。特に妻や夫の悪口を言う人はあんまりいない。よく言うのはみちこさんくらいだ。

 みんなそれぞれに少しは事情を抱えているのかもしれないが、良いところもあるのだろうから、それなりに楽しく暮らしているのだろう。

 

 

夢の話

 

「午前中草取りして、花植えてきたのよ」とみちこさんが言う。

ここのところしょっちゅう出かけているようだ。

 

 三か月ほど前だったろうか、

「土地買ったのよ」と嬉しそうに話していた。

「土地なんかどうするの。使わないんだったら税金ばっかりかかって損だよ」

と私は分かったようなことを言う。

「そうよね。でも欲しかったの。本家の土地だったところなの。昔は駅まで本家の地所を通っていけたのよ」という。

「その庭の隅に昔小作が住んでいた長屋があったの。そこに私たち住んでたの。本家の従姉妹といっしょの学校でね。ミッちゃんはうちの納屋に住んでるのよって、言われたのよ。いつか四谷を買ってやるって、ずっと思ってたの。そしたら売りに出てたの。昔なら売りになんか出なかったのにね。本家が切り売りしたのを買った人が、年をとって、売りに出してたのよ。バブルのときは45万もしたから、それじゃとても手が出ないけど、12万ていうのよ。それを9万しかないといったら、ミッちゃんならいいよ、って売ってくれたの」

「そうか。なるほど。そうだよな」と私は相槌を打つ。

 その日はほかの客はいなかった。だから話したのかもしれない。

「あの辺りはずっと田んぼだったのよ。それが少しずつ切り売りして、買った人が家を建てたから今は住宅地になってるの。駅前の一等地だったから、金持ちしか買えなかったのよ。だから立派な家ばっかり」

「へー」

「あっちに店出そうかな」

「いいんじゃない。ここより絶対いいよ」

「でも、お金ないのよ。ここ買ってくれる人がいればね」

「ここ買う人か。買っても元取れなさそうだからな」

「東京で退職した人で、趣味で喫茶店やりたいって人いたら買うと思うの」

「そうか、それならいるかも。田舎暮らしがはやってるみたいだから」

「そうなのよ。女の人ってけっこう喫茶店やりたい人いるのよ」

「そうな」

 でも、そんな人どうやって見つけるのだろうと思ったけど言わなかった。

 

 その日のように、今日も客は私一人だ。

 「花植えてると、あらミッちゃんって、昔の知り合いが話しかけてくるのよ。買ったんだって、って。みんな知ってるのよ」

「店出すと、はやるわ。昔の知り合いが来て楽しいんじゃない」

「コーヒー飲みに来るような人たちじゃないわよ。店はよしたの。隠居にするの」

「隠居か。それもいいな」

「隣が本家の庭になってるの、きれいなのよ。春は枝垂桜で、秋はもみじがきれいなのよ。でもね、周りがみんな立派だからみすぼらしい家建てられないのよ」

「そうか、たいへんだな。金持ち見つけなきゃ」

「そうなの、やさしくて、金持ちで、家族がいなくて、そんな人いないかしら」

「無理だな。そういうのとっくに売れてるから」

「今日はひまわり植えてきたの。全部ひまわりにしたらきれいじゃない」

「そうだな。一生花畑だな」

「いいの、そのうち建てるんだから」

 窓の外のしゃらの木も葉を広げ、みちこさんの喫茶店は春の盛りだ。

 

 

 

野菜はヘルシー

 

 「これって栄養あるでしょ」と子どもが聞いた。

「どうして」と私は聞き返した。

「だっておいしくないもの」

 昔、給食をいっしょに食べていたとき隣で食べていた子どもが言った言葉だ。メニューは野菜料理だった。

 世の母親の苦労が目に浮かぶ。

 ところで、野菜は、本当に栄養たっぷりなのだろうか。ちょっと考えて見たい。

 私は学校で、三大栄養素というのを習った。血や肉になるたんぱく質。体を動かすエネルギーになる、炭水化物と脂肪。体の働きを調整するミネラルと、ビタミンが必要だということである。 

 栄養たっぷりの野菜はどこに入るかというと、主としてビタミンのところだ。

 これから考えると、野菜は補助的役目をするものであって、どうも栄養の中心ではないようだ。

 たんぱく質や、カルシウムや、脂肪が体を作っているので、体を作って成長している子どもには、このたんぱく質や、脂肪や、ミネラルであるカルシウムが、とても必要なのだと思われる。だから子どもは肉を食べたがるのではないだろうか。仕事や、運動で体を使うと、甘いものがほしくなるようにたんぱく質を必要としている子どもは、野菜より肉をおいしいと感じるのじゃないだろうか。子どもの胃は小さいから野菜をいっぱい食べている余裕はないのじゃないだろうか。

 

 では、成長の止まった大人にはたんぱく質は必要ないのかというとそうでもないようだ。体の細胞は、つねに新たなたんぱく質やカルシウムで置き換えられているという。だから、つねに体の材料である、たんぱく質を補充することが必要なのである。

 以前、日本人の平均寿命が延びだしたのと、日本人が肉を食べだしたのが一致しているという話を聞いたことがある。平均寿命が延びていくのと、肉の消費量が伸びていくのが一致しているということだった。

 昔の日本人は野菜中心の生活だった。肉は食べなかった。そのころの日本人は人生50年といわれていた。40や50になると、とてもおじいさんやおばあさんに見えた。今の50の人はとてもおじいさんおばあさんとは言えない。

 長生きできるのは、健康であるためと考えれば、平均寿命が延びることと関係がありそうな肉は、野菜に比べてヘルシーな食品といえそうである。

 ではなぜ、肉はヘルシーな食品といわれずに、野菜はヘルシーな食品といわれるのかを考えて見たい。

 昔、日本がまだまだ貧乏だったころは肉は贅沢品であった。すき焼きをすると肉を真っ先に取り合いになるというようなことがお笑いのねたにさえなっていた。「たんぱく質が足りないよ」というコマーシャルがはやったりしたのは今から40年ほど前になるだろうか。そのころ、肉より野菜のほうが健康にいいということは親の知恵だったのかもしれない。あるいは、「貧乏人は麦を食え」と言ったとかで失脚した総理大臣がいたというので、貧乏人は野菜を食え、とはいえないから、野菜は健康にいいんだよ、と言って野菜を食べることを奨励したのかもしれない。

 しかし、今はそういう時代ではない。反対に、飽食の時代である。肉は今は取り合いするほどのものではなくなった。ダイエットの時代でもある。太ることは悪の時代である。国は、太った人がいる健康保険組合に罰金を貸すという噂さえある。そこで、メタボにならないようにするためには、体の成分になる、肉や、脂肪を食事の中から減らして、それらの栄養素の少ない野菜をたくさん食べさせるのが健康に貢献することになったのだろう。

 私が二十歳のころまでは、肥満は庶民には関係のない話だった。時代は変わったものだ。先日、市の健康診断の結果がかえってきた。メタボ予備軍と書いてあった。コレステロールも上限をはるかに越えている。野菜ヘルシーに宗旨替えをしなくてはならない。トホホ。もちろんその気はないのだけど。

 

 

 

ゆとろぎ

 

 みちこさんの喫茶店は、今日も松田さんと二人だ。平日の昼間から喫茶店にいられるのは年金おじいさんくらいだから仕方がない。この前までは、外回りの外交をしているという青年が時々来ていたのだが、区域が遠くなったとかで来なくなった。みちこさんに言わせれば、「お金持ってる人はここには来ないのよ。スナックに行くのよ」だ。いくら金があっても昼間からスナックもないだろうが、たしかに夜になっても飲みに行かない。「家庭不和にならないわ、健康的だわ、最高だろ」と答えている。

 でも、いつものように松田さんとは話すことはあんまりない。そこで「この前、ゆとろぎって話聞いてきたんだ」と話してみる。受け売りだし、面白い話にはならないみたいだからあんまり元気な声ではない。

「それ何」と松田さんも一応応じる。

「イスラムの人の考え方で、ゆとりと、くつろぎをくっつけたものなんだって。この前、イスラムを研究している人が来て話していったんだ。あっちの人は、仕事や遊びも大切にするけど、ゆとろぎを一番たいせつにするんだって」

「そりゃどこだって同じだよ。誰も夢だよ」

「そうか、そうかもしれないな」

「そりゃそうだよ。ゆっくりくつろいでみな。会社くびだよ」

「そうだよなあ」

「一生懸命働いて、遅く帰ってきて、今度は家庭サービスがなってないって言われて、男はたいへんだよ」

 やはり年上は違う。スパッと言い当てる。

「まあ、遊びより上はすごいけどね。だけど、会社は、ちょっとした遊びはよくても、ゆっくりくつろぐのはだめだね。会社人間で、仕事が生きがいでなきゃだめ人間なんだよ」

「そうだよなあ。おれは公務員だったけど、それでもサービス残業しない奴は怠け者だったからなあ」と言う。

「民間も同じだよ」

「寅さんになるしかないか」と私は言う。

「あれは映画だよ。実際あんなことやってたら苦しいよ。あれじゃあ家庭はもてないし、金もないし、気ままといっても、漂泊じゃあね。そのゆとなんとかってやつは無理だね」

「そうだよな。派遣とかパートとかの働き方は新しい働き方で、自由でいいとか何とか、大宣伝してたことがあったけど、実際は働けど働けどわが暮らし楽にならざり、をごまかすための宣伝だったみたいだし。かれらは現在も貧乏で、未来も貧乏で、一生貧乏で、健康保険も、失業保険も、年金もなくて、働けなくなったら、ホームレスが待ち受けてるしかないんだよな」

「ホームレスとか言ってるけど、ありゃ乞食だろ。ひどい世の中になったものだ」

「うちの周りも、泥棒に入られた話ばっかりだよ。ここ5,6年だよ。実際にドロボーに入られた人が身近にでたなんて。それがあっちもこっちもなんだから」

「ゆとなんとかってのは夢の夢だろうね。おれたちゃ年金暮らしでしのいでいるけど」

「今度は年金改革で、税金で賄うとか、そのために消費税を上げるという話がでてるだろ。おれたちゃもう払い終わったんだよ。高かったんだから。それが今度はまた消費税という名前に変えられて、もういちど年金保険料を払うことになるんだよ。今まで払ってきた金はどこに消えたんだといいたいね」

「まあ、年金がなくならなきゃいいよ」

「わかんないよ。企業は年金を廃止したいんだから。年金税方式は、厚生年金を廃止することなんだから。年3兆円の企業負担が浮くそうだよ。今までも、正社員から派遣やパートに切り替えて、厚生年金払わなくて済むようにして儲けてるのにだよ。その3兆円はどこ行くと思う。株主のふところだよ。株いっぱい持ってる人間は超金持ちだよ。その金持ちがまたいっぱいもうかるってことだ。その3兆円分を上乗せして普通の国民や、払い終わったはずのおれたちが払うってことになるんだよ」

「いやだね」

「止めようがないんだよね。政治家は金持ちの政治献金でやってるし。それに自分らも金持ちだし。マスコミだって金持ちがやってるし」

「選挙があればな」

「そうだよな」

 

 おじいさん同士が、愚痴をこぼしても仕方がないが、愚痴もこぼしたくなるほど状況はよくないのだ。私の周りでも、芸術では食っていけなくなってパートに出だした陶芸家が何人かいる。みんな食うためだけに一生懸命になってきている。これが世界第2位の生産を誇る国だというのだからあきれる。福祉を削り続けている金が誰の懐に消えているのかだけでも、しっかり見つめるべきなのだと思う。

 

 

 

環境破壊

 

 怖い写真見る、と私はこの前撮った写真を見せる。

「わーすごい。どうしたの」とみちこさんが言う。

「撮ったの」

「高田さんが」

「そう。この前犬の散歩に行っていたら、犬が見つけたんだ」

 蛇が鷹に撒きついて、がんじがらめに締め上げている写真だ。まだ両方生きていたが、鷹のほうは口が開いて、目をむいている。かなり苦しそうだ。勝敗は決していた。鷹はなすすべがないが、蛇はそのまま締め上げていれば、そのうち鷹は死んでしまうだろうと思われた。しかし蛇は小さいから、一気に鷹を締め上げるほどの力はないようだ。引き分けとしたいところだろうが、残念ながら話し合いのすべはないようだ。

「帰りに通ったらまだそのままだったんで、家からカメラを取ってきて撮ったんだ。この目怖いだろ」

 鷹は黄色い目を見開いてカメラ目線だ。蛇も、カメラをにらんでいる。

「蛇はだめ。写真でもいや」

「それでどうなったの」

「逃がしてやったよ」

「どうせ鷹を殺しても、この蛇じゃ食べられないし。カラスの餌になるだけだから。野良犬でも来たら、両方とも食べられるし。棒で蛇をつついて、離してやったんだ」

「すごいんだ、鷹に巻きついたまま棒に噛み付こうと、シュッととびかかるんだ」

「おおやだ」

「蛇を傷つけないように離すの大変だったんだよ。蛇って案外デリケートで、ちょっとしたことですぐ死じゃうから」

「そういうのって人間が助けちゃだめだって言うじゃない。自然に任せて、人間は手を出したらだめだって聞いたわよ」

「そう言うね。でもそれが正しい意見だって証拠はないからいいの。だって、毎日交通事故に合う野生生物は日本中で、百匹はいるんじゃない。昆虫を入れたら数百万匹になるよ。いつだったか、バスツアーで、高速を走ったとき、フロントガラスにいっぱいトンボがぶつかって死んでるの。往復で30匹は当たってたな。すると、日本中で1万台のバスが走ったら、300万匹のトンボが死ぬんだよ。車はものすごい数走ってるから、交通事故にあうトンボはものすごい数だよ。魚だって、毎日何百万匹も魚屋に並んでるし。日本中で助けられてるほうは、せいぜい百匹くらいじゃない。おれが鷹の1匹助けたくらいで何ちゃないと思うよ。大体、そういうこという人は、殺すほうには何にも言わずに、助けるほうだけだめだっていうんだよ」

「そうね」

「多分生き物嫌いの冷血な立身出世しか頭にない人が、言い出したことだと思うよ。立身出世主義だから、偉くなってるから、周りの人が、へーこらその主張を押し戴いて、広めたんだよ」

 みちこさんは何もいわない。立身出世主義との関係がわからなかったのだろう。まあ、こじつけもいいところだから当然か。

「なんとなくかっこいいことばって、よく考えないで通るから、中身は怪しいんだよ。いけ面はそれだけでもてるけど、中身はわからないだろ。顔ばかり見てて、中身まで気が回らないから」

「そうよね」

「だんなさん、美男子だったんじゃない」

「そう。でもそれだけじゃないはよ。先生だから、いつか校長夫人になれると思ったのよ。私は、大学行ってないから、あこがれたのよ」

「そうか、そうだよな。昔から永久就職って言うからな」

「そればかりじゃないわよ。しっかりしてて、頼れそうで、性格的にも引っ張っていってくれそうだったから」

「そうか、けっこう見てたんだ」

「そうよ。理想の人だったのよ」

 みちこさんはうっとりした顔になる。

「でも、蓋をあけたら違ってた」

「そうね」

 みちこさんは考える。全面的に、そうね、ではない顔だ。

「思い出した」

「わあ、やだ。もうごめんだわよ」

 

 

 

 

 

親子

 

「あれじゃ、結婚できないわよ」とみちこさんが言っている。時々この店に来る節ちゃんの話だ。節ちゃんはクリットした目をして、ダイエットに気を使っているとてもきれいな娘さんだ。

 その節ちゃんのお父さんの恵比寿呉服店に十二月からみちこさんは日曜だけ臨時のパートに出ている。

「中学生の制服の予約を取るのに忙しいからって、頼まれたのよ」とみちこさんが言っていた。日曜日は喫茶店が休みだからちょうどいいだろうと誘われたという。

「ことわれないでしょ」とみちこさんが言っていた。私も、「そうだよな。いろいろ気にかけてくれてるもんな」と言う。節ちゃんのお父さんは町の商工会の会長などをやっていて、新参者のみちこさんのことをいろいろ取り立ててくれていた話を聞かされていた。まっすぐな人だから、みちこさんの事情を知って、少し手助けしたのだろう。

 

「二人で、『お昼何にしよ』なんて相談して、お弁当買ってくるのよ」

とみちこさんは二人のことを話す。

「それで、おれが買ってくるって、お父さんが買ってきて、二人で食べてるの。あれじゃだめでしょ。節ちゃんは、おつゆぐらい作るべきなのよ」

 みちこさんは、女の人は御飯をちゃんと作るのが役目だと心底から思っている人だから、大きな娘がいて、お昼も作らないというのが許せないのだ。

「仕方ないんじゃないの、二人で店やってるんだから。三度三度ちゃんと作るなんてとてもむりだよ。あんなに大きくなって、父親と仲良くお昼食べてるなんて、うらやましいかぎりだよ」

 恵比寿呉服店の白井さんは、若いころ奥さんをなくしたという。みちこさんにいわせればすごく仲のいい夫婦だったという。喫茶店をやっているから、そういう話にはとても詳しい。その後、おばあさんと娘とで暮らしてきたそうだ。

「おとうさんこんなにやせてて。少しは気を使ってやらなきゃだめなのよ。おばあさんはもう年なんだから、節ちゃんがちゃんと御飯作らなきゃだめなのよ」とみちこさんは憤慨している。みちこさんは、白井さんが痩せてるのが気になるみたいだ。もうそれで3回ぐらい聞かされている。

「うちの娘だって帰ってきたって、台所に行きもしないよ。御飯は、食べてやるもんだって顔してるよ」

 私は、正月に帰ってきた息子と娘のことを思い出して言う。

「高田さん家が変なのよ。普通はそうじゃないの。いつも二人で、お弁当食べてるの見てらんない。いやなの」

「だから、面倒見てあげたらって前から言ってるだろ」

 私はいつものように冗談交じりにニコニコ言う。みちこさんや、白井さんの気持ちはわからないけど、少なくとも年恰好はちょうどいいのだから。

「いやよ。毎日二人してお弁当食べてるのよ。とても入れないわよ」

「節ちゃんは、さっさとお婿さんもらって押し付けちゃえばいいんだよ」

「あれじゃ無理。私の出番はない」大げさに手をふる。

「どんな仲良しでも、親子は親子だよ」

「知らないからよ」本当にそうみたいだ。

「奥さんなくしたあとその分も愛情かけてたんだろうから、べったりになったのかな。多分奥さんに似てるんだろうからなあ」

「おおやだ」

 みちこさんは大げさに、肩をすくめて見せる。

 大事な人をなくしてしまったらどんなだろう、と思う。でも考え及ばない。私の近くにも、連れ合いをなくしたおじいさんおばあさんがいるが、けっこう元気にやっている。でも一人で、部屋にいるときはどうなのかは分からない。早くなくすのと、遅くなくすのではひょっとしたら違うかもしれないけど。もう、十分満足したのと、まだし残したことがあるのとでは。ほかにもいろいろあるだろうし。

 

 

 

 

 

 

すばらしい人たち

 

 松田さんが、お風呂の話をしている。松田さんはもう70に近いから、あんまりやることがない。だから、あっちこっちのお風呂でのんびりしている。今日も、お昼から、市営の温泉に行ってのんびりしてきたみたいだ。だから、歳に似合わず顔はつるつるで、いつもにこにこだ。

 だけど松田さんとはいつもあんまり話すことがない。松田さんと二人のときはみちこさんがいつも喋り捲っている。いつものとおり、風呂の話はすぐに終わって、みちこさんが喋りだした。

「あっちのは捨てたのよ」と庭の生垣代わりに植えてあったコニファーの話になった。

「もうはやらないのよ。大きくなったらイメージが暗いのよね」

とコニファーの悪口を言ってる。

「うん、たしかに明るいイメージはなかったな。花も咲かないし」

と私はいう。といっても、数日前、「これいらない」といわれるまでほとんど見もしなかったのだが。「買うと高いのよ」といわれたけれど、もらっても植えるところもないし、あんまり趣味でもないのでことわった。

「そしたら、安江さんが通りかかって、入り口の両側に置くと、客が入ってくるんだっていうのよ。だから、のこりを鉢に植えて、置いたの」

「いいね。いっぱい来るわ」

とニコニコ言う。

「ほら早速お客さんよ」と、みちこさんは外を見て立ちながら言う。

 森田さんが入ってきた。森田さんは、肥料や、雑貨の店をやっているおじさんだ。最近は道徳を中心にした経営コンサルタントみたいなのもやっているらしい。

 私は挨拶をしたが、山田さんは会釈をしただけだ。森田さんは時たましか来ないから会ったことがないのかもしれない。私は二度ほど会った。

「節ちゃんが、お墓参りに行ったって言ってたわよ」とみちこさんが水の コップを置きながら言っている。

「いつ行ったんだって連絡ないな」

 森田さんが大きな声で言っている。

「いつだったかしら。今日じゃない。さっき話していたから。すっきりしたって言ってたわよ」とみちこさんが答えている。

「そりゃそうだよ。誰だって墓参りすればすっきりするよ」

「森田さんが墓参りしろって言ったから、行ったって言ってたわよ」

「そうだよ、俺が勧めたんだ。墓参りして、ご先祖さんを大切にする気持ちが現れれば、商売は繁盛するんだ。みちこさんもちゃんと墓参りするといっぱい客が来るよ」

「そうよね」

「そうだよなあ。おれもしばらく行ってないなあ」と私も言ってみる。

「節ちゃんは俺の言うことを聞いて、がんばってるよ。この前もうこれ以上廻るところがないと言ってきたから、あと二軒がんばれば五十軒になるんだから、がんばれってメールしてやったんだ。そしたら、ちゃんとがんばってやりおおせたんだから。森田さんのおかげです、ってメールが来たよ。おれは、挫折しそうになったらちゃんと手を打って応援してやるんだ。人間は弱いところを必ず持ってるからな。おれが応援したからセッちゃんは50軒という目標が達成できたんだ」

 森田さんの声が大きくなる。

「そうだよな。一生懸命がんばるのはいいことだよな」と私は相槌を打つ。

「今度はオーナーとしての仕事に精を出せって言ってやってんだ。そしたら、2年後には、年商二億とか三億の商いができるようになるんだからがんばれって」

「すごいな」

「なる、必ずなる。おれはそういってやってんだ。誰だって、弱気になってあきらめたり、壁に突き当たったりするからな。そのとき、ホローしてちゃんとやれるようにしてやるんだ。おれがしっかり面倒見て励ましてやるから、二年後彼女は成功してるよ」

「すごいね。たしかに一人ではくじけることがあっても、誰かに励まされたりすると、またがんばろうという気が起こるものな」

「それだけじゃないよ、おれはちゃんと、どうやれば成功するか指導してやってるんだ」

 とつぜん、松田さんが、「パーマンて漫画昔やってたの知ってるかい」と私に言う。森田さんは隣のテーブルだし、話すのに夢中だから聞こえなかったかもしれない。

「ああ、知ってる」と私は答える。

「あれは英雄じゃないんだよね。失敗ばかりしている、普通の人間なんだよね。だからいいんよ」と私だけに言う。森田さんは大きな声で、続きをみちこさんに話している。

「そうだよな。ドラえもんのノビタも、0点とって怒られてる主人公だよな」

と答える。

「そういう人間くささがいいんだよ。何でもかんでもがんばって、成功に向かってがむしゃらにいくだけの人生なんて、好きじゃないね。成果主義とか、競争社会とかになって、人間を金を作り出す道具としか考えてない世の中はいやだね」

「たしかにそうだよな。でも節ちゃんが成功するのはいいんじゃない。仕事が生きがいだというのはいいことかもしれないから」

「そうかね」

 松田さんは財布を取り出して、お金を数えている。で、私も、財布を取り出した。

 森田さんはみちこさんに大きな声で話し続けているけど、お先に、といって、二人して、店を出た。

 松田さんとはそれじゃまた、といって、店の前で別れた。今日はお客が増える話が二つあったからみちこさんにはよかったかな。でも、私たち年金おじいさんにはきつい話だった。でも、あとで、みちこさんに「二人で逃げ出して」と怒られた。

 

 

怒る大人

 

 みどりさんが、喫茶店に入ってくるなり、「このごろの大人は切れるって」と言う。

 「席を譲ろうとして、おばあさんといったら、私はおばあさんじゃないと、がみがみ言われたってよ」

 来る途中、車のラジオででも聞いたのだろう。ついこの前までは切れる子どもがずいぶんと騒がれたが、今は切れる大人だそうだ。

 よく、昔の大人は子どもをしかったけど、今の大人はしからないということを聞く。子どもは怒らなければ善悪の判断がつかないというのが前提なのだろうか。それに近い意味に、小さいうちに厳しくしつけないから、今の子どもは悪い事をする、というのがある。

 横丁の雷親父や、ガキ大将はよき時代の昔語りである。最近の、コマーシャルに、恩師と元生徒が居酒屋で酒を飲んでいるのがある。もと生徒が「私は、先生が嫌いでした」という。そして、「私も嫌われる先生になろうと思います」という名せりふを吐きます。これは、子供のころは怖い先生が嫌いだったけど、先生になってみて、怖い先生のすばらしさがわかったという意味なのでしょう。

 また、「こころ、知らない人にしかられたの」ということから始まるコマーシャルもあります。

 本当にそうでしょうか。拳骨でしつけられた子は、拳骨の有無で、物事を判断する子にならないでしょうか。厳しくしかられる子は、おこられるかおこられないかで物事を判断する人間にならないでしょうか。その結果自分より強い人が怒るか怒らないかを判断の基準にする人になり、上役の意向をいかに汲み取るかが、一番の判断基準の人間になってしまう大人にならないでしょうか。

 子どもを信じて、やさしく見守る。子どもだから、いろいろな失敗や、判断ミスはします。それを注意するのではなく必要ならば教えてやる。それも、自分で解決できそうなことはヒントくらいにして、自分でやらせる。そのほうがいいのではないでしょうか。 

 人を思いやる人になれ、と教えるのはとてもいいことです。でも、いわれたほうはそうできるでしょうか。

 やさしさを教えるには、優しくされる経験をたっぷり味あわせるといいのではないでしょうか、人を愛する人にするためにはたっぷり愛してやればいいのではないでしょうか。やさしさこそ、やさしさをはぐくみ、愛こそ愛をはぐくむのではないでしょうか。

 

 

ブルーベリージャム

 

 東京に住む娘の美咲が彼氏を連れてきた。

 

 前日の夜、突然「明日彼連れて行っていい」という電話があった。

「うん、そりゃいい」と電話を受けた私は言う。

 亡くなったばかりの、久美子の父親の誕生日に、集まって偲ぶ会をしようと、妻の久美子が言っていた。それで、そのときに連れていっていいかということだ。

「うん、いいね。お父ちゃんも喜ぶわ」と言う。

 

「作ってきたの」といって、美咲がプラスチックの容器を取り出した。

「この前のブルーベリー、ジャムにしたの」

という。

 告別式のために来たとき、義父が作っていたブルーベリーをいっぱい摘んでいた。入院した日にも、「ブルーベリー摘んどいて」と言っていた。その一部を持って帰っていたらしい。

「つけるものがないね」と言って、台所に立っていって、小さな取り皿を持って来た。

「味見」と言って少しずつみんなに取り分ける。

「うまい」と義弟が言う。

 私も、「ほう。なかなか。すっぱさがちょうどいい」と相槌を打つ。

「美咲ちゃんの作ったの初めて食べるな」と義弟が言う。

「そうだよな。おれも初めてだな」と私も言う。

 美咲はフフッと笑う。

「小学校のころ、フルーチェ作った以来かな」と付け加える。

「あれは牛乳を混ぜるだけだから」と美咲が言う。

「時間かかったろう」とばあちゃんが聞いている。

「うん。砂糖入れて、レモン入れて・・・・」と作り方を説明している。

「よく焦がさなかったね」とばあちゃんが感心している。フフッと美咲が笑う。

 昔、結婚したころ、義弟がやはり、「クミちゃんが料理作った」といって妻の料理に驚いていたのを思い出す。

 息子は食べるのが好きだったから、よく台所に入って、何やかや作るのを手伝ったり、自分で作ったりもしていたが、娘は決して台所に立たなかった。

 それが、この前、久美子の父の葬儀のときは、義理のおばといっしょに台所に立ってよく働いていた。

「変わったな」とそのとき久美子に言った。

「十年も一人暮らししていたら少しは出来るようになるのよ」

「いやずいぶんしっかりしたな」と働いている美咲を見てもう一度言ったものだ。

 いつまでも小さな子のように思っているけど、もう29になるのだから、それくらいは当たり前なのかもしれないけど。

 それから、出前の寿司をみんなで食べた。久美子はてんぷらを揚げていた。大人数だからそれ以上作るのはあきらめて、出前にした。

 私と、義弟はお酒など飲んだ。

「飲んだら」と義弟が、彼氏に言うと、美咲が、「明日仕事だから」と彼の代わりに言う。

「今日中に帰るんだって」とさっき聞いたことを妻が補足する。

 彼氏は、初めて会うばあちゃんと、義弟と、まだ二回目の私と久美子の中にいて、かしこまっているのだ。で、美咲がかわりに答えたりしている。

で私は、もう手綱握られてるな、とニコニコ見たりしていた。

 「お父さんどうぞ」、と彼は私にお酌などする。なんかテレビみたいだな、と思いながら、お酌を受けたりする。

 で、話は、私と、義弟が中心になって、小さかったころの美咲のことや、義父の話をしていたのだが、酔っ払いすぎて、蛇の話から進まなくなったので、おしまいにした。二人は、車に乗って、東京に帰っていった。

「雨大丈夫かしら」と暗い中車を見送りながら久美子が言う。東京は雷洪水警報が出ているとテレビでやっていた。

「大丈夫だと思うよ、大きい車だし」

とT字路を曲がっていく車を見ながら言う。

 娘の彼の初訪問だけど、年寄り二人がしゃべっていて、肝心の彼はあまりしゃべらなかった。今日は偲ぶ会だったし。まあ、そのうち。

 

 

 

楽園 (平成20年5月19日朝日新聞試写室)

 

 朝日新聞のテレビ紹介に、NHKスペシャル、「沸騰都市第1回ドバイ砂漠に出現した黄金の街」という番組の紹介が載っていた。あんまり興味がなかったので、番組そのものはチラッと見ただけだ。

 砂漠に、巨大な都市が建設されているという。解説では、イラク戦争で、イラク周辺から引き上げられたマネーを飲み込む「錬金術」だとある。巨万の富が動いているという。

 

 イギリスに王立植物園といわれる植物園があるという。そこに、有名な温室がある。この温室は、昔、王様が建てさせたものだそうだ。テレビで少し見たが、非常に凝ったつくりで、造るのにとても大変だったという。ここには異郷の、珍しい植物がたくさん植えられているらしい。

 この温室を造るとき、その費用を賄うために、アフリカにあるイギリス植民地の税金が上げられた。そのため、植民地では、人々が貧困に苦しみ、暴動まで起こったという。

 王様の趣味が高じて、人々が苦しんだ。

 このドバイを見て、それを感じた。この都市を建設する費用はどこから来るのだろうか。

 今、世界中で、マネーゲームが花盛りである。石油は10年前の8倍に上がったという。この上がった分は、世界中の人々が、少しずつ払わされているのだ。日本で私たちが、ガソリンを入れるときにもそれを払っている。電気代にも、様々な物の値上がりにも、その石油の値上がり分が加算されている。やはり、この前テレビで、漁船のことをやっていたのもそうだった。1日の売り上げの16万円ほどのうち、燃料代が12万円ほどかかっていた。働いた分のほとんどがどこかの石油業者の懐に消えていくのだ。

 穀物も値上がりしている。これも投機による値上がりだ。彼らは買ったものを転売し、利ざやを稼いでいる。かつて、日本であった土地ころがしのようなものだ。その利ざやが働く人たちの肩にのしかかっている。

 アフリカの貧困も、日本の1000万人を越えたという貧困層も、このことが遠因であるのだと思う。

 ドバイの楼閣は人々のうめきでできているのである。

 

 

老いらくの恋

 

 何ヶ月ぶりかで春世さんがみちこさんの喫茶店にやってきた。もともと、春世さんは、数ヶ月に1回くらいしか来ないということだったから、今までにここでは2回会ったきりだ。そのほかにはスーパーで1回と、山の上で1回きりだ。ただ、みちこさんからうわさはよく聞かされていたから、なんだか昔からよく知っているような気にはなっていたけど。

 この2、3日、急に暖かくなって、春めいてきたけど、春世さんは、あったかくなったね、も、花粉飛んでるね、も一言も言わない。眼中にないみたいだ。入ってくるなり、

「ね、ね、どう思った。アランドロンに似てた」と目をきらきらさせて聞く。春世さんは、体中春なのだ。

「うん、聞きしに勝るいい男だった」と私は笑顔で答える。アランドロンに似てるかどうかはわからないけど、まんざら、社交辞令ばかりではない。

「そうでしょ。似てるでしょ」と春世さんは両手を握り締めて、笑いがはちきれている。目の中には星まで飛びかっている。

 

 数日前、春世さんに誘われて星空観察の会に参加した。そのときの世話役をした男性のことについて聞かれたのだ。何ヶ月か前、みちこさんの喫茶店で初めてあったときも、やはりその人の話ばかりだった。「とってもステキな人なの」、というのを百回は聞かされた。それで、ほかの二人のおばさんと、節ちゃんも入れて、4人でそのうわさの人を見に行ったというわけだ。そのおばさんたちも節ちゃんも晴世さんに強引に誘われたみたいだし、観察会は、その人と、私たちと、係りの人と、春世さんだけだったから、春世さんの頑張りがなければ成立しなかったみたいだ。恋の力は偉大である。

 

「ステキなの。どうしよう。彼、私のこと避けてるみたいなの」

 両手を胸の前で握り締めた春世さんは、映画のヒロインのようだ。とても大学生の子どもがあるとは思えない。恋する乙女になっている。

「そりゃそうだよ。何十年も勤めてきて、あと少しで、勤めをまっとうできるというのに、浮いた話でご破算に願いましてなんかになったらどうしようもないもの」と、私は水を差してみる。

「そうなの?男の人ってそうなの?」

「だって公務員なんだろ。浮いたうわさが上司に聞こえたら、注意されちゃうよ」

「だって、ただお話しするだけだもの。そんな、一線を越えないわよ」 

「実際にどうのこうのより、うわさが怖いの。ここまで来て、家庭はごちゃごちゃになる、上司にはにらまれるじゃ、やってらんないもの」

「じゃ、じゃ、好きだけど我慢してるってこと」

 春世さんは、身を乗り出して聞く。目の星が百個ぐらいに増えている。春世さんは悲劇のヒロインになる。

「そうか。いや、それはわかんないよ。彼と話したのこの前ちょこっとだけだもの」

 この前名前を聞いたのだが、忘れてしまった。

「ね、ね、そうでしょ」

「いや、それは本人に聞くしかないよ」

 春世さんの勢いに圧倒されて、からだがのけぞってしまう。

「わかんない。だんなさんも子どももありながら不倫するなんて信じらんない」

 みちこさんがコーヒーを運んできながら言う。私は、みちこさんが近くで話せるように椅子をずらせる。

「そんなんじゃないの。一線は越える気はないわよ。清い交際よ。ただ仲良く話したり、映画見れたらそれでいいの」

「そんなの信じられない。好きな人ができたら、私ならエッチしたいと思うわよ」

 清くまっすぐでとおっているみちこさんがそんなことを言うなんて。

「私はそんな気持ちはないの。ただ友達として、楽しくお話ができればそれでいいの」

「そんなの絶対嘘よ。高田さんだって、好きな人できたら、エッチしたいと思うでしょ」

「うん、まあ、そうな。男はみんな狼ちゃん」

「ガオーッ」といって両手をあげて、狼のまねをしてごまかした。

「男の人ってそうなの」

「うん、そう。でも、女の人も、みんなかわいい雌狼ちゃん。カオー」

といって笑わす。もう私は完全に逃げ腰だ。

「そうよ。エッチしたくないって嘘よ。高田さんもみどりさんとエッチしたいって思ってるでしょ。川島さんだってそう思っているわよ。それが避けてるんだから、そんな気がないって事よ」

 矛先がこっちにも向いた。みちこさんは無差別攻撃だ。

「そうなの。私に魅力がないってことなの」

 春世さんの目から星が消えてしまった。

「そんなことないとおもうよ」と慰める。

 みちこさんは「高田さんは、みどりさんに遊ばれてるのよ。こうやって」と春世さんに教えている。猫じゃらしで、猫をかまっているしぐさをして。いつもそうやってかまうのだ。

「それでいいんだもんな」と春世さんに援軍を頼む。

「みどりさんは、あっちのグループで、だれ、こっちのグループでだれって、いっぱい彼がいるのよ」と、みちこさんは指を折る。

「そりゃしゃあないよ。だって、いい男はいっぱいいるものな。そしたら好きになっちゃうもん」と春世さんに言う。

「そうよね。私も、あっちでしょ、こっちでしょ」と春世さんも指を折る。

「信じられない。夫がいながら」みちこさんはあきれてる。私も少しあきれる。だって、あの目の星はなんなんだ、一途に思っているのかと思ってしまうだろ、と。でも、考えて見れば、私もいろんな女の人をいいなあと思って指をくわえて眺めているのだから、同じか。

「そうだよな、どんなに愛してたって、いつか飽きちゃうものな」

「違うの。夫に飽きたわけじゃないの。私は夫を愛してるわよ。川島さんはお話しするだけだから。ほんとに清い交際よ。夫を裏切ったりしない」

「私なら越えっちゃうな」みちこさんはあくまでこだわる

「そりゃ、条件の違いだよ。みちこさんは今エッチする相手がいないけど、春世さんは、旦那さんとエッチしてるだろ。だからだよ」

「そう」

 春世さんはことばを濁してちょっと赤くなる。

「いいわね。夫のある人にはいっぱい恋人がいて、私なんか一人も居ないのに。世の中不公平よ」

「あれ、自分だっていっぱいふってるくせに」

「そうよ、みんな本気じゃないもの。男の人は身勝手だから目的を遂げたら、それでポイッて捨てるでしょ。私は本気で好きになる人じゃないといやなの」

「そりゃ難しいな。家庭のある人は家庭を壊したくないもの。家庭を壊すごたごたを考えたら、よしとこって思うほうが多いと思うよ。だから、不倫相手は家庭を持った人を選んだほうが安心と思っているよ。本気になられたら困るもの」

「私は奥さんのある人は興味ないの。奥さんがありながら不倫するような不誠実な男は嫌いなの」みちこさんは憤慨してみせる。

「そりゃそうだ。家庭がありながらよその人と仲良くするのはよくないよな」

と私は春世さんに振る。

「やっぱり家庭は大切だもの」と春世さんも同意する。

「ふたりともずるいのよ」とみちこさんは怒ってみせる。

「ずるいっていうとずるいけど、やっぱ遊びって楽しいものな。本気で、甲子園狙ってるのもいいけど、のんびり草野球するのも楽しいものだよ」とみちこさんをかまう。

「それと不倫は関係ありません」

「そりゃそうだ」と私は折れる。

「春世さんみたいに、お話くらいにして、楽しく暮らしてるのが一番かも。エッチしたら、家庭を捨てる気にならないとも限らないからな」と春世さんに言う。

「そんなことしないわよ。そんなことしたら、幻滅する気がするもの」

「そうかな、幻滅はしないと思うよ。女の人は、かえって好きになったりする人もいるよ」

「自信ないの」と春世さんは、おなかをさすっている。

「こんなお腹見せたら、幻滅されて、嫌われっちゃう」

「大丈夫だよ、スマートだよ」

「だめ、恥ずかしくて見せられない」

 

 そうなんだ。歳をとると、男も女もたいへんなのだ。みちこさんも、みどりさんも、寄ると、エステだの、化粧品だのの話に花が咲く。恵比寿屋さんの節ちゃんが美顔エステを始めたから、最近は特にその話で持ちきりだ。いくつになっても女性はきれいでありたいし、男性にがっかりはされたくないみたいだ。私は?私も、女の人に相手にされなくなったら寂しいだろうな。

 世の中、暗いことばかりなのに、田舎町の外れの小さな喫茶店はもう春真っ盛りだ。

 

 

   杉花粉症

 

 鼻がむずむずして、大きなくしゃみが出た。

「低くしてたから。温度上げたら」と久美子がコタツの中から言う。灯油が高いから、温風ヒーターの設定温度は去年よりかなり低めだ。

 久美子は、コタツに寝転がって、本を読んでいる。私は、パソコンで、相変わらずアンチ相対性理論第二部を手直ししている。といっても、このごろはゲームをやっている時間のほうが長かったりする。まあ、いつもの夜だ。

「大丈夫。寒くない。どうもこれは花粉症だなあ」とパソコンの画面を見ながら答える。

「たかしさんが花粉症になるわけないでしょ」久美子が本から目を離さずに笑う。

「おれはデリケートだから」それを目の端に見ながら言う。

「いつから」とやはり笑いながら。

 

 この季節になると、どこでも杉花粉の話が出る。みちこさんの喫茶店でも、その話が出た。

 洋子さんが、「今日は、いっぱい飛んでるわよ、目がごろごろするし、のどが、ほこりっぽいし」と言った。

 「そう、車のガラスが一晩でほこりっぽくなってるから、かなり飛んでるみたいだよ」と私も応じる。車は青空駐車だから、すぐ埃に覆われる。1年中誇り高い車だから、本当のところは花粉か土埃か分からない。

 うちの周りは杉だらけだ。西と北は100メートルも離れていないところに杉林がある。南にも、300メートルと離れていないところにやはり杉林がある。だから、北風でも、西風でも、南風でも花粉だらけになる。そればかりではない。この町は、田んぼと栗畑と杉林でできている。その中に家が埋もれている。だから、季節になると、杉花粉で町が埋もれる。でも、私は花粉対策はひとつもしていない。マスクもないし、洗濯物も外に乾す。はたかずにそのまま取り込む。

「高田さんはならないの」とみちこさんが言う。

「なんないよ。花粉なんて馬鹿にしてるから」と言う。

「私は三年前急に目が赤くなって、くしゃみが出て大変だったのよ。だんだん蓄積されて、それでなるって言ってたわよ」とみちこさんが言う。

「じゃあ今年もそろそろだ」と冗談ぽく言う。

「おれは都会育ちだけど、この辺りで育ったおれくらいの男はみんなこどものころ杉鉄砲で遊んでるよ。あの弾は、杉の雄花だから花粉の固まりだよ。それで平気だったんだから、男は罹んないんだよ」という。花粉症の持論を言おうかと思ったが、せっかく花粉症になっているのに、それに水をさすようなことを言うのも気が引けたので話さないことにした。

 みちこさんが息子の見合いの話を始めた。

 

 花粉症の原因は何かという持論を書いてみる。 

 原因を究明するためには、特徴を考えてみるのがいい。杉花粉症の大きな特徴は昔の人は杉花粉症にならなくて、ここ十年ほどで急激に患者が増えているということだ。

 だから、十年ほど前から日本中で何か劇的な変化があったはずだ。それが花粉症の原因だ、とめぼしをつける。

 まず、一番原因らしい花粉の量について考えてみる。花粉は十年前ころから劇的に増えているか、という問題である。昔から杉鉄砲で遊んでいたことから、杉は家の傍にいくらでもあったようだ。実際、私がここに住み始めたときは家の周りにもっと杉があった。三十年の間にずいぶん切った。これは、この辺りのことだけど、どこもそれほど大差はないと思われるので、これは変化の原因から省かれそうだ。

 だんだん蓄積されて、という説はどうだろう。日光の杉並木のように、ずっと昔から杉はあったから、昔の人も蓄積されていたはずである。特に、杉鉄砲で遊んでいたこの辺り男はあっという間に杉花粉症になりそうだが、マスクをしているのは男のほうが少ないようだ。だから蓄積説もこの十年はやりだしたこととは関係ないようだ。

 空気が汚染されたことからの複合症状という意見も何度か報道されていた。これは怪しそうである。しかし、つい十年ほど前までは、夏になると、ほぼ毎日光化学スモッグ情報が出されていたが、このところ聞かない。空気の汚染はかなり改善されているのではないだろうか。実際、今から四十数年前まで、私は都会に住んでいたが、スモッグで町が霞んでいた。たまに帰省するが、もうそんなことはない。だから、空気の汚染が原因だとすると、花粉症は返って減るはずだ。

 では何が原因だろうか。十年ほど前というと、バブル崩壊が浮かぶ。これは経済には大きな影響をしたが、花粉症とは多分関係ないだろう。

 杉花粉に関係したことというと、杉花粉情報というものがある。これは三十年前にはなかった。よくわからないが、ひょっとして十年前ごろから始まったのじゃないだろうか。ただ、杉花粉症が流行に従って、杉花粉情報は多くなっているのはいえそうである。今では天気予報と一緒にやっていたりする。必要な人が増えたから、情報が増えたと考えられる。

 杉花粉症が増えるのといっしょに歩調をあわせて増えているのは、杉花粉情報だけである。しかも始まりも一致していそうだ。

 だけど、情報が原因などということがあるわけがない。しかし、このあまりの一致はなんだろう。

 昔、何かで、バラの花の絵を見るだけでくしゃみが出るという花粉症の人の話を聞いたことがある。もちろん本当かどうか定かではない。しかし、本当のアレルギー以外に、思い込みによるアレルギーもあるという話だ。そこで推理してみる。二月から三月は寒い風が吹く。ブルッと身震いして、クシュン、とくしゃみすることはよくある。また、風邪の季節でもある。そういう人たちが、花粉情報を聞いて、これはひょっとして花粉症かもしれない、と思うことはあると思われる。くしゃみをする人はたくさんいる、そのうちの何人かは花粉症を疑う。それにつれ、花粉情報の量は増える。疑う人が増える。そのうち、なんとなく花粉症はトレンディーなものになってしまっている。敏感な人は杉花粉症に罹る。罹らないのは鈍感な人だ、となる。

 杉花粉情報を聞いただけで、もう鼻がむずむずするような気になる人も、繊細さを売りにする人も、顔中マスクになる。それを見た人はこれまた遅れじとマスクをする。

 みんな気分は花粉症だ。そこで、バラを見た人がくしゃみをするように、本当に鼻水が出てくる。

 というような推理はどうだろう。

  この説を聞いたのは、うちの家族だけだ。だから久美子が笑った。

 幸いなことに、うちは誰も花粉症にはなっていない。ありがたいことだ。

 

 

男の品格

 

 みちこさんの喫茶店は、珍しく大賑わいだ。十人ほどのおじさんたちがぎゅうぎゅう詰めだ。その人たちがみんなケーキを食べている。

「一生懸命作ったケーキなんだから、味わって食べてよね」

みちこさんが厨房から大きな声で言う。

「おいおい、がっつくなってよ。味わって食べろとよ」

 お茶飲み行こうと言い出したおじさんがみんなに言う。

「今コーヒー出すからゆっくり食べてよね」

 またみちこさんが言う。

「まだだとよ、ゆっくり食べなってよ」

 おじさんがまたみんなに伝達する。

 でも、みんな聞いていない。食べだしたのだからみんなの手は止まらない。

 

 それまで、町の食品組合の講習会があって、二時間もみんなで堅苦しい話をじっと聞いていたのだから、脳が、もう参った、なんか甘いものをくれ、と貧血を起こしているのだ。

 みちこさんもその講習会に出ていた。一年に一度その講習会に出て、免状をもらわないと営業できないというから、店を休みにして出た。ところが、講習会の隣の席に座っていたその世話役のおじさんが、終わったらみんなで、お茶のみに行くから、少し早く出て、準備しといてくれ。と言ったという。

 

「最初に、最後まで聞かないと免除あげないって言っていたのよ」と、水を置きながらみちこさんは待ってましたとばかりに話し出した。「私はまじめだから、この前までなら、そんなことできない、後までちゃんと聞いていく、と言ってたと思うの。でもぐっとこらえたのよ。今は、要領よく波風立てずにやるのもいいと思うようになったの」

とみちこさんは言う。

「いいから、いいから、免除おれが持っていくからっ、て言うからそれで、商売、商売、と思って、帰ってきたの」と、おじさんの反対隣に座っている同じような喫茶店をやっているライバルのおばさんにちょっとごめんなさいといって出てきたのだという。

 でおじさんたちが、ケーキで大宴会になったというわけだ。

 

 その、まじめと世渡りの狭間で揺れる、純情な、あと少しで還暦になるみちこさんは、ストレート紅茶をポットから注ぐ。いつも紅茶だ。それも、レモンティーでもミルクティーでもない。紅茶のみだ。

 以前は、レモンティーだった。それが、あるとき「レモンないの、砂糖漬けのでもいい」と聞かれた。「いいよ、何でも」といって砂糖漬けのレモンティーを出された。で、「レモンティー飲むの高田さんだけだから。レモン古くなっちゃうの」と言う。で、砂糖漬けにしたのだという。「なんだ、レモンなんかいらないよ」といった。そのときから、もう1年以上、ストレートティーだ。紅茶だけで、2時間も粘るのだから、それくらいは我慢しなくちゃ。でもこのごろは、変わりに、カキの種なんかがついてくる。

「まじめな奥さんて、だんなに嫌われるんだって」

「なんで」

「ラジオでそう言ってた」

 客が来ないときは、音楽じゃないラジオ番組を聴いているみたいだから、みちこさんはいろんなことをよく知っている。本当はラジオを聴く暇がないとうれしいのだろうが。何時もは、おじさんはほんの少ししか来なくて、最近は、行っても一人のときが多いのだ。

「そうかもしれないな」

「そうみたい」

 多分自分の過去を思っているのだろう。

「俺も、まじめな顔してたから、娘が思春期のころけむったがられてた。今もかな」

「そんなものよね。馬鹿みたい。だから、もうあんまりまじめにやるのよしたの」

「うん、俺もそう思う」

「そうよね。楽しいほうがいいもの」

 店の壁にかけられている、頼まれて売っているのだというリースがクリスマス用に架け替えられてある。店の飾りにもなるし、一挙両得なのだ。

「そう。楽しくなくっちゃ」と同意しながら、あらぬ楽しみまで頭をよぎったが顔には出さなかった。男っちゃしゃあない生き物なのだから。

 

 

 

 

 「この蛙、雨の日はどこかへ行くけど、晴れた日は帰ってくるみたい」

濡れ縁の小さな水槽のめだかに餌をやりながら、義母に言う。

 義母は、やはり濡れ縁で鉢植えの草花の植え替えをやっている。秋の日が暖かく、つい先日までの残暑は嘘のようだ。

 「雨のときはそこの雨どいに行くんだよ。中でゲコゲコ言ってる」と私の頭の上の雨どいの角を指す。

 「へえー」私はその雨どいを見上げる。

 義母の家の濡れ縁に置いてある小さなガラスの水槽に、雨蛙が住み着いている。親指の頭くらいの蛙で、いつも、水槽の上の角の内側に張り付いて、じっとしている。

 その水槽にはめだかがいる。義父が飼っていためだかだ。親戚からもらったという白いめだかで、長く居間に置いてあった。いつのまにかなくなっていたので、死んだのかと思っていたら、義父がこの夏亡くなった後、寝室を片付けたとき、そこに置いてあったのを見つけた。その水槽を濡れ縁に持ち出した。汚れて中が見えなくなっていたので、水を取り替えると、めだかは3匹生き残っていた。

 水を替えたためか、そのうちの1匹は翌日死んでいた。やせ細って、まっすぐ泳ぐことができなくなっていたので、水換えのショックに耐えられなかったのだろう。悪いことをしたと思ったがどうしようもない。

 その後は、毎日の餌やりが私の当番になった。毎朝、やはり義父が飼っていた、外にある大きな水槽にいる金魚と、やはり外の鳥かごにいる私があげたインコと、このめだかに餌をやる。

 「二匹じゃ、増えないね」と義母がいったので、犬の餌を買うときに、ついでにめだかを買ってきた。白いめだかは意外に高かったので、三匹だけにした。まだ基礎年金しかもらえない半分年金爺さんだから節約が信条なのだ。

 その水槽に、いつのまにかアマガエルが住み着いた。まだ暑いころからだから、もうひと月を越えた。最初に水を替えるために水槽を動かしたときは、ぴょんと飛んで逃げていった。そのままどこかに行くのかと思ったら、翌日餌をやろうと見たら、また同じ角に張り付いていた。その後は、水を替えるたびに、濡れ縁にぴょんと跳ねて、そこで水槽が戻されるのを待っていた。今は、水換えのために水槽を運んでも、少し動いて、水槽のふちには登るのだが、飛び降りようかそこにとどまっていようか、首を傾けて様子を伺っているようになった。

 

 残暑が残っているころ、濡れ縁で、久美子にその話をしていたら、部屋から、

「風呂場にもいるよ」と義母が言った。葉っぱでも付いているのかと見たらアマガエルだったという。その義母が、先日、風呂場の蛙が白くなった、と言った。水槽の蛙も数日前からやはり白くなっていた。天気の加減かと思っていたが、それっきり元の緑にはもどらない。

 

 義母の洗濯ものを持ち出してきた久美子が

「こぶしがないと明るくなるわよ」と干しながら言う。

「花が咲くだけで益もないから、伐っちゃっていいよ」

と義母も言う。

 「背の高さくらいで伐ればじゃまにならないし、後の手入れも楽だし、その方がいいかも」

 私は、春空の中で真っ白く咲くこぶしを思い出して折衷案を出してみる。

「じゃあ。切る」

「どうやって切る」

 周りには、小さなビニールハウスや、梅ノ木や、道路があって、そのまま切り倒す場所が無い。

「簡単よ。はしごで登って上から切ればいいのよ」

「そうだな」

 高いところが苦手な私は煮え切らない。

「私が上るから」

 久美子はもうやる気満々だ。うちの桜の木も、いつのまにか屋根にかかっていた大きな枝を2本切っていた。実績があるのだ。

 私は水槽を傾けて、蛙を刺激しないようにそっと水を庭に捨てる。いつものように水槽のふちに出てきて私の顔を見あげている蛙は、土色のまだら模様になっている。そろそろ土の中に入る準備をしているのかもしれない。

 

 

 

 

 

結婚式

 

「・・・・、ええ・・・・あ・・・本日は・・」

 話が始まらない。恒例の、新郎新婦からの花束贈呈も終わり、いよいよ最後のイベント、新郎の父の挨拶になったとき、それまで、スムーズに流れていた式が止まってしまった。

 

 私は、組内ということで招待された。それで、組内のみんなで出かけた。乾杯まではじっと我慢していたけど、乾杯のお酒がちょっと入ると、たがが緩んで、みんなに順番についで回っているウェートレスが来るのが待ちきれずに、テーブルの最長老が、「こうやってテーブルに置いとけばいいんだよ」といいながら、ウェートレスの持っているお盆からビールを2本持ってきてしまった。でも足りないので、あっちのウェーターからも持ってきた。「今日は飲みに来たんだから」とのたまう。

 それで、私も「んだ、んだ」といいながら注ぎっこする。で、あとはワインやら冷酒やら、普段食べられないおいしいものやらで、みんなすっかりいい気分だ。私たちは、みんな働き盛りをすぎて、禿げやら、白髪やら、しわくちゃやらになってしまっていたけど、ウェートレスのお姉さんなどをかまったりして、最初から結婚式なんかそっちのけだった。まあ、組内といっても、新郎は、小学生の頃ちょこっと見たきりだし、もちろん新婦は知らないから、みんなお酒のほうが気に入っているのだ。

 

「がんばれ」と、大声援が親戚のいる辺りから飛んだ。

 

 新郎のお父さんはもうすぐ還暦だ。顔も体も大きくて、毎日ドットコドットコ走っていた。私が組に入った30年前にはもう走っていた。五キロほど先にある山まで走っていって、山の中を走り回ってくるという。聞くところによると、今も、常磐線の一駅手前で降りて、会社にドットコ走って行っているという。

「どれくらい走るの」と聞くと、「ううん、ええ、20キロくらいかな」とぼそぼそ答える。「日曜は倍くらいかな」と継ぎ足す。

 だから、数年前まであった町の地区対抗駅伝では、地区の三羽烏の一人として、地区を何度も優勝に導いた。最近は、さすがに学生さんに抜かれていたが、それでも元気いっぱいだ。

 だけど、話のほうは、あんまりすらすら話すタイプではない。組の集まりでも、お酒を飲んで、ニコニコ座っていて、あんまり話さない。大体が聞き役のほうなのだ。

 それで「・・・・」と詰まってしまったのだ。私は(彼はあんまり人前で話すタイプじゃないだろうからな)と同情したりした。

 

 グスッと鼻を鳴らす音が聞こえた。

「ご多忙のところご出席いただきまして、・・・・」とまた詰まった。いつものように前を向いて、黙っている。けれど、ニコニコではない。

 また、「がんばれ」と大きな声がかかった。しばらくしたら、また、グスッと鼻を鳴らす音がした。

「ありがとうございました。また、先ほどはごたぶんなご祝儀をいただきましてありがとうございました」とやっとそこまできた。そして、またつぎが出ない。で、また、グスッと鼻を鳴らす。

 でも、もう誰も、がんばれと言わない。心配もしない。ニコニコつぎを待っている。

 

 そうやって、最後まで、つまりつまり、鼻を鳴らし鳴らし挨拶した。紋切り型の、スピーチ集から覚えてきたような挨拶だったけど、みんないっぱい拍手した。私もいっぱい拍手した。

 だから、私たち爺さん連中も、みんな上機嫌でバスに乗って帰ってきた。結婚式はいいものだ。

 

 

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