里山を歩く

 

 山裾の方から、カサカサカサと、木の葉をゆする風の音が聞こえてくる。それがだんだんと近づき、大きくなったかと思うと、ゴーと頭上の木々を揺るがし、枯葉を巻き上げ、ドーッと通り過ぎていく。その音が峰の向こうに遠ざかっていくと、また、はるか下の方からから葉をゆする音が近づいてくる。

 服を突き通してくる風がひどく冷たい。今年初めての木枯らしかもしれない、と細い山道を登りながら思う。50人ほどの人たちが、一列になって黙々と登っている。そのまん中ほどで、私も息を切らしている。

 県民大学の主催する「里山歩き」という講座に参加した。その三回目だ。だから少しは顔なじみになっているので もう少し話し声があってもいいのだが、ほとんど話し声がしないのは登りが急なせいだ。ほとんどの人が還暦を越えていそうなので、息が切れて話すどころではないのだろう。もちろん私もその仲間だ。

 

 いつまでも暖かい今年だが、それでも、11月も半ばをすぎているのでさすがに高峰山はすっかり紅葉に覆われていた。里の小さな山なのに、珍しく植林されておらず、雑木に覆われているので紅葉狩りにはうってつけの山だ、と講師の先生が話していたとおりだ。その紅葉の中を登るのだが、細く、急な山道だから下ばかりを見ていて紅葉を愛でるどころではない。その上、体力がない。先頭を歩いている72歳だという講師は、ゆったりゆったり登っているようなのに、速い。遅れないようについていくだけで息が切れる。

 

 2時間ほど登っただろうか急に視界が開けた。山頂近くの斜面が、広く芝生になっている。パラグライダーの出発地だという。

 はるか下には、とおくまで、田が広がり、その向こうに、加波山と、筑波山がかすんでいる。

「あれ、富士山じゃない」おばさんが指さした。

「ああ、そう。富士山ですね」もう一人の講師の女性が答えている。

 指差す辺りを見やると、地平の辺りの霞の上に、うっすらと三角の雲のようなものが浮かんでいる。

「ああ」と私も言う。昔勤めていたころ、職場の窓から、年に一度か二度見えることを思い出す。その富士を正面にして弁当を広げた。 集合場所から、山裾まで乗り合わせできたので、乗せてきてあげたおばさん二人と、おじさん夫婦に挟まれて弁当を食べた。コンビニで途中で買ったおにぎりと、すし弁当だ。手作りでないのがなんとなく肩身が狭い。

 子どものころは大阪にいた。あちらでは、遠足はみんな巻き寿司だ。こちらに来たとき、みんなおにぎりなので、不思議に思ったものだ。今はおにぎりに慣れたが、いまだに出かけるときは、巻き寿司という気がどこかにある。

 もう何十年も前だ。私が子どものころ、弟の、遠足か何かだったろう。母が、その弁当が作れずに、夜近くのすし屋に頼みに行ったことがあった。「頼んだら造ってくれた」と何度もありがたがって話していた。朝早くから、遅くまで仕事に明け暮れていても、私たちのためには労を惜しまなかった母が、弁当を作れなかったのはその一度きりだ。よほど疲れていたのだろうか。不肖の息子たちのために働きずくめでも、何一つ、小言は言わなかった。癌で倒れるまでそれは続いた。心配ばかりかけて、何一つ報いることができなかった。

「仲良いわね」

と隣のおばさんが、その隣のおばさんに話している。

「ご夫婦で来ている人が、7組いるはよ」

と数えている。

「おたくもはじめは来ていた」

と私に言う。

「そう。でも、1回目で女房は降参しちゃった」

とニコニコ答えた。本当のところは山登りに降参したのではないのだが降参には違いないのだから。

「あらそうなの。来れば楽しいのにね」

とそれっきり深くは聞かない。聞くほどの事もないのだが。

でも、そのおばさんも一人だし、もう一人のおばさんも一人だ。見ると、50代のおばさんはみんな一人だ。夫婦は、みんな60をとっくに越えていそうな人たちばかりだ。考えてみれば、木曜日の朝から、山登りができる男の人は、退職老人しかいないのだから当たり前か。たしかに参加している男の人は、みんな60を越えていそうだ。県の職員の、この会の世話役をしている人がただ一人、現役の人みたいだ。

 「あら、消えちゃった」

 おばさんが言う。見ると、地平線の向こうは先ほどとそんなに変わらないのだが、富士は見えなくなっていた。

「これどうぞ。すっぱいけれど、珍しいから」

おじさんが、小さなみかんを配ってきた。

「ほんとだ。珍しい。膨れみかん」

「生ったのですか」隣のおばさんが言う。

「ええ、今年は豊作で」おじさんがニコニコ答えている。

「最近は見かけなくなりましたからね」

と私も言う。

 風が、ゴーと滑っていき、枯れ葉が舞って、蝶々の乱舞のようだ。

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