「・・・・、ええ、・・・あ、・・・本日は・・」
話が始まらない。恒例の、新郎新婦からの花束贈呈も終わり、最後のイベント、新郎の父の挨拶になったとき、スムーズに流れていた式が止まってしまった。
私は組内の結婚式ということで招待された。それで、組内のみんなで出かけた。乾杯までは、じっと我慢していたけど、乾杯のお酒がちょっと入ると、たがが緩んで、みんなに順番についで回っているウエートレスが来るのが待ちきれずに、テーブルの最長老が、「こうやってテーブルに置いとけばいいんだよ」と言いながら、ウエイトレスの持っているお盆からビール瓶を二本持ってきてしまった。でも足りないので、あっちのウエイターからも持ってきた。「今日は飲みに来たんだから」とのたまう。それで、私も、「んだ。んだ」と言いいながら、ビールをつぎっこする。で、あとは、ワインやら、冷酒やら、焼酎やら、普段食べられないようなおいしいものやらで、みんなすっかりいい気分だ。
私たちは、みんな働き盛りをすぎて、禿やら、白髪やら、しわくちゃやらになってしまっていたけど、ウエートレスのお姉さんなどをかまったりして最初から結婚式なんかそっちのけだった。まあ、組内といっても、新郎は、小学生のころちょこっと見たきりだし、もちろん新婦は知らないから、みんな、お酒のほうが気に入っているのだ。
「がんばれ」と大声援が親戚のいる辺りから出た。
新郎のお父さんはもうすぐ還暦になる。顔も体も大きくて、毎日、ドットコドットコ走っていた。私が引っ越してきた三十年前にはもう走っていた。だからもっと前から走っていたようだ。五キロほど先にある山まで走っていって、山の中を走り回って帰ってくるという。聞くところによると、今も、常磐線のひと駅手前で降りて、会社にドットコ走って行くという。帰りもそうするという。
「どれくらい走るの」と聞くと、「ううん、ええ、20くらいかな」とぼそぼそ答える。「日曜は倍くらいかな」と継ぎ足す。
だから、数年前まであった、町の地区対抗駅伝では、地区の三羽烏の一人として、地区を優勝に何度も導いた。最近は、さすがに学生さんに抜かれていたが、それでも元気いっぱいだった。
だけど、話のほうはあんまりすらすら話すタイプではない。組の集まりでも、お酒を飲んで、ニコニコ座っていて、あんまり話さない。大体が聞き役のほうなのだ。
それで、「・・・」と詰まって、次が出ないのだ。私は、彼はあんまり人前で話すタイプじゃないだろうからな、と同情したりした。
新郎のお父さんが、グスッ、と鼻をすすった。
「ご多忙のところご出席いただきまして、・・・」とまた詰まる。いつものように前を向いて黙っている。けどニコニコではない。また「がんばれ」と大きな声がかかる。しばらくしたら、また、グスッと鼻をすする音がする。
「ありがとうございました。先ほどは、ご多分な御祝儀をいただきましてありがとうございました」とやっとそこまで来た。そしてまた次が出ない。で、またグスっと鼻をすする。
でも、もう誰もがんばれと言わない。心配もしない。ニコニコ次を待っている。
そうやって、最後まで、つまりつまり、鼻をすすり、すすり挨拶した。紋切り型の、スピーチ集から覚えてきたような挨拶だったけど、みんないっぱい拍手した。私もいっぱい拍手した。
だから、私たち爺さん連中もみんな上機嫌でバスに乗って帰って来た。最長老などは、あんまりうれしかったのかなかなかバスに来ないので式場まで迎えに行った。
結婚式はいいものだ。