鶯が鳴いている姿を初めて見た。
庭の桜の枝に小鳥が留まった。見かけない鳥なので、おや、ひょっとして、と思ったら、のどを膨らませてホー・・・、とひと声。そしてすばやく枝を渡ると飛んでいった。
鶯を見たのはそれが2度目だ。鳴いている姿を見たのは初めてだ。
鳴き声はそこかしこでするから、もっと見かけてもよさそうなのに、意外に姿は見られない。しかも、偶然見かけた2度ともあっという間だった。かなりの恥ずかしがりやみたいだ。
毎日、家の東側の孟宗の竹薮や、その続きの栗畑や、ときおり我が家の庭でも鳴いている鶯は、ホーゴキブリと鳴く。たまにホケキョと澄んだ声で鳴くときもあるが、ほとんどはゴキブリ、とにごる。初めて聞いたときは、おもわずにやりとしてしまった。
何年か前から、同じあたりに住み着いて、やはり、ホケキョと鳴かず、ホーバキバキと鳴く鶯がいた。それが同僚の口癖と似ていたので、教えてやって、いっしょに笑ったことがあった。今年は、ホーバキバキはいなくなって、ホーゴキブリになった。その鶯が進化したのか、それとも、その子孫なのだろうか。
以前、「変な声がするの」、と妻が気味悪がったことがあった。「ほら」、と教わって聞くと、確かにワッハッハと笑っている。人の声にしては変だし、犬にしては人間ぽすぎるし、もちろん蛙の声ではない。不思議に思っていたら、何のことはない烏だった。どこで覚えてきたのだろう、人間の笑い声にそっくりで、聞くたびに感心した。何年も、町の害鳥獣駆除対策を潜り抜け笑い続けていたのだが、ここのところ聞かない。とうとうなのだろうか、それとも歳をとって、年金が少なくて、笑うどころじゃなくなったのだろうか。そうなら、少しはいいのだが。もう一度聞きたいものだ。
予想外だったのは、雉の声だ。以前、組の集まりで、近所のおじさんが、最近雉が増えたね、という話しをした。よく鳴き声が聞こえるものね、ともう一人のおじさんが言った。
確かに犬の散歩の折などよく雉を見かけるようになってはいた。でも、声は聞いたことがなかった。「聞いたことないなあ」、と言うと、いや、よく鳴いてるよ、と言う。山の中で、年寄りがせきしているような声がしたらそいつだよ。と最初のおじさんが言う。自分らももう年寄りの仲間なのだが、みんな自分ではないという顔をしている。もちろん私も。
「ふうん」、と返事したがそのときはわからなかった。
しばらくして、散歩のとき雉に出くわした。連れていた犬に吼えられて、やぶの中から激しく羽ばたきの音を立てて林の中に飛び込んで行った。連れていた犬が追いかけたくて夢中で綱を引いた。うちの犬は、相手は羽根があるから、追っても無理なのをまだ知らない。
行きかけると、その林の中で、オエッと、しゃがれた声がした。なんだ、あれか、と私は納得がいった。
桃太郎の鬼退治では、雉の声はケンケンと書いてあった。そのイメージが強くて、高く鋭い声で鳴くものだとばかり思い込んでいた。だから、オエッと鳴かれても、雉の声とは思えなかったのだ。わかってみれば確かにいつもよく聞く声だ。家の周りでもよく鳴いている。
雉は確かに増えているのだろう。庭に入ってきて、犬に吼えられてあわてて飛んでいったりしている。そのためか、小じゅけいの声を聞かなくなった。ここに住み始めたころは、毎朝チョットコイチョットコイと大きな声で起こされたのだが、今は、ほんのたまにしか聞かなくなった。狐が増えたからだという人がいたが、狐は見たことがない。雉が増えたためじゃないだろうかと思っている。同じようなところに棲んで、同じ餌を食べているようだから、体の大きい雉に縄張りをとられてしまったのじゃないのだろうか。毎朝、おこされなくていいが、オエよりはチョットコイのほうが愛嬌があっていいような気がする。まあ、鳥の世界は人間の好みは配慮してはくれないだろうが。
ずっと以前、バードウォッチングに参加したことがある。そのとき、聞きなしといって、鳴き声をいろいろな人間のことばにして覚えるのだといってたくさん教わった。多すぎて、聞く端から忘れた。その中で、焼酎いっぱいぐい、というのがあった。面白いので覚えた。その後、家のそばで鳴いているのを聞いたのだが、そのときは肝心の鳥の名前のほうを忘れてしまっていた。もちろん今も思い出せない。子どものころから記憶力は抜群で、何で、もすぐ忘れていたから、この年になったら、もうどうしようもない。
特許許可局というのもあった。天辺かけたか、と聞きなすともいう。この声も聞いた。ホトトギスの声だという。
これだけは以前から聞いていたので覚えた。初夏になるとこのあたりでも毎年鳴く。今年はまだ声を聞かない。卯の花がまだ蕾だから遠慮しているのだろう。 ところで、ここに来るホトトギスは、天辺かけたか、と鳴く。鳥にも方言があるのかもしれない。