ヒヨドリ


 まだ子どもが小学校に入るかはいらないかだったころだから、もう、20年以上も前になるだろうか。庭に隣接する義父の栗畑の一角に4本ほどのさくらんぼの木を植えたことがあった。子どもが大きくなったらいっしょにとろうというわけだ。

 今は義父の隠居が建って直接畑は見えないのだが、私の家も栗畑の一角を借りて建てたから、そのころは栗畑の続きという感じであった。

 栗畑は、義父が若いころ植えたという栗の木がそのころはもう古くなっていて、枯れて切り株だけになっている所が出てきだしていた。そこにいろんな果物の木を植えた。その中にそのさくらんぼの木もあった。なるわけない、とだれもがいったが、予想に反して、あっという間に実がなりだした。どの木も、まだ、手を伸ばせば天辺に届くぐらいしかないのにである。それも、木全体が真っ赤になるくらいに実をつけた。もともと、家庭栽培にうってつけという種類ばかりを選んだから、大きくはならないというふれこみだったけれど、そんなに早くなるとは思ってもいなかった。

 そのさくらんぼを、ヒヨドリがやってきてついばんだ。昔のヒヨドリも目ざとかったみたいだ。今思えば、それが、ヒヨドリと我が家の長い付き合いの始まりだったみたいだ。仕事の行き帰りにヒヨドリが食べているのを見ても、いっぱいあるから、少しは分けてあげるよ、というくらいに見ていた。

 土曜日になって、

 「この前からヒヨドリが食べてるからもう甘くなってるよ」といって、子どもと見に行った。実を食べていたヒヨドリが、大慌てで隣の栗の木に移ってこちらを伺っている。

「甘い」

実を口にした息子が言う。

「甘い」

娘も言う。

「うん、甘い」

わたしも言う。

ヒヨドリが、栗の木で、ギャーと鳴いた。

「よし、入れ物」

私は、大きなボールと、踏み台を持ってきた。

赤くよく熟れていそうなのから、どんどん摘んだ。こどもは踏み台に上がってとった。

「鳥が怒ってる」

と息子が言う。ヒヨドリが栗の枝からこちらに向かって、ギャーギャー泣き叫んでいる。おれが先に見つけたんだから盗るんじゃねえ、といっているみたいだ。とにかくすごい剣幕だ。

「パパが植えてパパが育てたんだからな。全部はとらないから、そんなに怒るな」

息子が言い聞かせてる。そしてせっせと摘む。

 見る間にボールにいっぱいになった。それでも、実はまだどこをとったのか分からないくらいいっぱい残っている。

 ボールいっぱいのさくらんぼはさすがに食べ応えがあった。

2、3日あとだと思う、どれ、と摘みに行くと、実がひとつもない。下にいくつか落ちているだけで、すっかり葉だけになっている。

「やられた」

子どもと、妻に言う。

「惜しみ惜しみ食べてたのを、おれたちがつんだから、とられるくらいならって急いで食べたんだ。欲張りなんだから」

 「それにしてもよく食べたよなあ」

 

 さくらんぼの木は、背丈はほとんど大きくならなかったけれど、毎年よく実をつけた。だから、毎年ヒヨドリとけんかになった。

 義父が隠居を立てるときにそのうちの三本を移したらみんな枯れた。移さなかった1本だけは残った。その後も、毎年、春早く花を枝一面に咲かせていたのだが、実は一つもつけなくなった。一本ではならないようだ。子どもも大きくなり、さくらんぼがなっても取りにも行かなくなっていたから、もう一本買って植えようという気はなかった。

 今は、子どもも二人とも東京に出て暮らしている。その木も私が退職した年立ち枯れた。ヒヨドリが種を運んできたのだろうこぶしの木が芽を出し、みるみる大きくなってその陰になってしまったためだろうか。それともだれも見向きもしなくなったので、世をすねてしまったのだろうか。

 部屋から見ると、そのこぶしが、隠居の屋根の向こうに高く抜き出て、空の中で真っ白に咲いている。ヒヨドリは、蝋梅の花を食べつくして、今度は、膨らんで、冬芽の中から紫の花びらをのぞかせ始めた木蓮の花びらをついばんでいる。

「だめよ」

 妻がヒヨドリに言う。二人でこたつにぬくぬくとしているのだから、ヒヨドリに聞こえるわけはないのだが。

「もう憎らしいんだから」

 そして、お菓子をポリポリ噛む。ヒヨドリは、ひょいひょいと枝を渡ってはつぼみをついばんでいる。

 もう、そのときのヒヨドリではなく、何代も代替わりしているのだろうが、庭は今日もにぎやかだ。

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