怖い話


 みちこさんの喫茶店は今日も盛況で、私のほかに2人も客がいる。

「怖い話する」

とわたしが言う。

「うん、聞く」

と、桂子さんと明さんとみちこさんが私を見る。わたしは話題が豊富じゃないから、たいがい聞き役だ。それに、みんなも暇で、たいして面白い話題もないので、うん聞きたい、となったのだろう。

「半年ほど前だけど、妻が鏡を拾ってきたんだ。玄関でがたがたやってるので出てみたら、大きな鏡を持ち込もうとしてるの。『それ何』って聞いたら、『拾ってきた』だって。それも、鏡台の鏡の部分だけで、枠は、塗りも完全になくなって、木の地肌になってるくらい古いやつなんだよ。何でそんな汚いの、って誰だって思うような代物だよ。それを玄関に半分入れて、引き戸に横にして立てかけてたの。鏡はだめなんだよなあ、と思いながら、ひょっ、と見ると、鏡のわきに若い女の人の顔が浮いててこっちを見あげてんだ。思わず、(お前なんか用はない。出てけ)って心の中で言ったの。そしたら、鏡がふわっと倒れていって、女が恨めしそうな顔をして、「ヒー」と言いながら消えていったの。もちろん鏡はガチャンと割れたよ。誰も触ってないんだよ。斜めに立てかけてあったから、誰も触らないのに、反対側に倒れるわけないはずだよ。それも、出てけって言ったとたんだよ。それだけじゃないんだ。その後、鏡を片付けながら急に妻がすごく怒り出してね。不燃ごみを出すかごがいっぱいで、割れた鏡が入らなかったんだ。おれが蛍光管とか、電池とかいっしょにして出したので、ごみやさんが持って行ってくれなかったのがそのままになってたんだ。でも、たったそれだけだよ。それが急に血相変わって。妻はもともと怒りんぼだけど、あれは絶対変だった」

「おお怖。鳥肌だった」

とみちこさんが腕をさすりながら言う。

「そうよ。鏡は使っていた人の心が住みつくのよ」

桂子さんが言う。

「奥さんて物拾ってくるような人だったの」

みちこさんが聞いた。

「そうだよな。そういえば、妻が物拾ってきたなんて後にも先にもあのときだけだ」

「それは、鏡の女の人に見込まれたからよ。何かで奥さんの心が不安定になっていて、その心の隙を狙って入り込んだのよ」

 桂子さんがゆっくりした口調で言う。彼女はいつもゆっくり諭すような口調で話す。

「そうかもしれないなあ。その後、もあるんだ」

「まだあるの」

みちこさんが言う。

「その後、妻は不調でね、陰気で、黙り込んで、昼間寝て、夕方起きだすと、朝までテレビ見て、何にもしないで、ただ、いやみったらしく生きてんだ。ああ、いつものうつ状態になったんだなくらいに思っていたの。それが、暮の大掃除のとき、その鏡の残骸を片付けたの。家のわきにダンボールの箱に入れて置きっぱなしになってたから。木枠を庭で燃してたら一箇所なかなか燃えないんだ、それで、お経となえてやって、きれいになくなるまで見ててやったんだ。不思議なのはその後なの。妻が起きだしてきたんだ。大掃除もやるし、話もするし、買い物にも行くし」

「それって普通よ」

みちこさんが言う。

「そう。普通になったの。妻はいつも躁と鬱を順番に繰り返してたからその流れかもしれないけど、その鏡を持ち込んだときから変になって、燃やしたときに元気になったのはなんか関連ある気がしてさ」

「それは、鏡から奥さんに乗り移っていた悪い気が成仏したからよ」

 桂子さんが言う。

「以上。怖い話し終わり」

「怖かった?」

明さんがみちこさんに聞いた。

「怖い話苦手なの」

みちこさんが答える。

「寝られないときは電話してくるといいよ。来てあげるから」

明さんが笑いながら言う。

「おう、やなこった」

みちこさんが大げさに言う。

「そっちのほうがよっぽど怖かったりして」

私がちゃかす。

 

 昔、大学入試が終わって発表を待っていたとき、母の手鏡を割ったことがあった。不合格の知らせのあった後、母が、鏡が割れたときそう思った、と言った。鏡を割るとよくないことが起こるそうだ。鏡が割れたから不合格になったわけじゃないけど、そのときのことが思い込みになって、その女の人を見た、と思ったのかもしれない。若いころならたんなる思い込みだと思って気にもしなかったろう。しかし、今は半分以上信じているところがある。歳をとったということなのだろう。来月はもう60になる。


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