草をとる

 
庭に生える草は決まっているようだ。とっても、次に生えてくる草もたいがい同じ草だ。

 日当たりのいい、よく歩くところは、ニワホコリやスベリヒユが多い。あまり踏まないところはメヒシバが多い。そのほか名前の分からない草が数種類。庭木には山芋や、烏瓜や、すずめ瓜が絡まっている。これらもとってもとっても生えてくる。

「芋をとらないとだめだ。」と、義父が言う。

 山芋は、深くてとても掘り出せない。すずめ瓜は小さいから何とかなる。烏瓜は、小型の白いサツマイモのような芋がついている。これも木の根にじゃまされないところなら何とか取れる。この芋も秋遅くなると、大きなじゃがいもぐらいに成長する。

 この芋から、天花粉を作ると、以前聞いたことがある。   

 子供のころ、都会に住んでいた。夏の夕方になると、外で夕涼みをする人がたくさんいた。あのころは、クーラーなどなかったので、暑い家の中から逃げ出して、外の縁台で風に吹かれていたものだ。そんな時、何人かの子供たちは首筋を天花粉で白くして現れたものだ。さっぱりと涼しげで、さっきまでいっしょに遊んでいたのに、まるで違う人になったようで、近寄りがたく見えたものだ。

 私の子供も天花粉をほとんど使わなかった。本当に小さな赤ん坊のころ。オムツかぶれように少し使ったきりだ。義母が、産婆をしていて、使わなくても同じだといって、使わなかった。やはりクーラーのない生活をしていたけれど、汗疹はほとんどできなかった。「ああ、そんなもんなんだ。」と思ったものだ。

 それでも、ゴリゴリと、烏瓜の芋を掘り出しながら、みんながなんとなく力を抜いている夏の夕暮れと、天花粉のまぶしさを思い出したりしている。

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