帰省
子供らが帰ってきた。大晦日の夜、ひょいひょいと帰ってきて、 三が日をすごすと、またひょいと帰っていった。下の子が出て行ってからでも、もう7回目になる恒例の行事だ。東京で、それぞれに一人暮らしをしていても、二人が会うのも、帰省するときぐらいなのだろう。二人で、庭の雀のようにくちゅくちゅしゃべっていった。で、親とは、ほとんど話らしい話もない。まあ、共通の話題らしい話題もないのだから、そんなもんなのだろう。
私も、やはり、18のときに家を出た。半ばすねかじりで、ぷらりぷらりと根無し草をやっていた。でも、正月になると、やはり、実家に帰っていた。何で帰るのかというと、なんとなく親が待っているような気がしたからである。親に会いたいとか、望郷の念とかではなかったような気がする。それだから、かえっても、別に親と楽しく話をするというのでもなく、ぼんやりすごしていたものだ。かといって、帰ってきてやったぞということでもなかった。まあ、子供というのは盆と正月は帰るものだというくらいのものだったのだろう。
実家に帰っても、やることは何にもないので、3日もすると、すっかりあきてしまって、じゃ、いってくるという具合だった。それでも、結婚しても、子供ができても、親が死ぬまで、ずっと帰省は続いた。遠いこともあって、子供ができてからは、年に一度くらいにはなっていたけれど。
帰ってきても、もう、生活の場が違うので、二人ともやはりやることがなくて、わざわざ、持ってきたテレビゲームなどやって遊んでいる。もう大人なのに、小学校のころそのままに。そしてそれを私も脇で見ている。ひと時の過去。
それでも、息子たちもそのうち、女房や旦那を連れて帰ってくるのだろう。そして子供らも。正月はそのために大童にすぎていくだろう。
かつての母や父がそうであったように。