宝探し
宝探しに出かけた。町の公民館の講座の中に、遊び塾というのがあったので去年から参加している。今年3回めの講座は、宝探しだった。
50歳代から70歳代の人たちが、男女取り交ぜて15,6人、宝探しに行くというのである。宝探しなんて、子どものお話の中だけにしか存在しないのだが、子どもにもどって遊ぼうというのがこの講座の趣旨だから、そんなこともありなのだ。
子供のころの宝物はなんだったのだろう。兄は、動くものが好きで、いろんなおもちゃを作っていた。それが兄の宝物だったのだろう。そして、そのまま機械を作る仕事についた。60を越えているのに、いまだに機械を作り続けている。浮き沈みの激しい人生を送っているのは、夢のまま生きたからなのだろうか。
私の宝物は、銀やんまだった。さすがに中学のころはやんまを追っかけたりはしなくなったが、ファーブルになりたいものだと思っていたりしたものだ。いつかそんなことはあっさり忘れてしまった。でも、いまだに、散歩の途中に、蝶や、とんぼを見かけると、つい目が追っていたりする。
私たちは、鉱物に明るい人の案内で宝が眠っているという山に出かけた。なだらかな山道を、山栗を拾ったり、山芋のむかごを摘んだりしながらわいわい登って行った。1時間も登ったころ、「着いたよ」と案内人が言う。そこは干上がった川原のようであった。枯れ草や木切れが、ところどころに引っかかっている様子を見ると、大雨の時には少しは流れができるのだろう。谷筋に沿って砕石の道がずっと続いているといった感じのところである。
「白い石を割ってみて。中に入ってるから」
と言う説明で、私たち一行は、それっと石ころを割りだした。
私も、持ていった金づちで石をたたいた。案外簡単に割れる。しかし、宝物のほうは簡単には出てこない。白い石は白い石のままだ。私は白い石を見つけては砕き、くだき登って行った。石の川原は際限なく続き、白い石はいくらでもあった。しかしいくら割っても宝物は出てこない。
1時間もしたころ、私はあきらめて下って行った。少し歩くと、大きな石の上に、石ころが載っているのが目に付いた。近寄ってみると、小指の先ほどから、親指の先ほどの大きさの石が、おままごとでもした後のように10個ほど置いてある。それがみんな半透明に透き通っている。
「これ違う」
私は近くにいた、先生に呼びかけた。
近寄ってきた先生は、
「そう、これだよ。ほらこちらから見ると6角形になってるでしょう」
と私に見せる。手にとって見ると、なるほどどれも6角形になっている。
「水晶はこんなふうに6角形になってます。これは、頭の、とんがった部分がなくて、根元の部分ばっかりだから、ちょっと見た目は普通の石ころだけど、本物の水晶です」
と説明する。
それは、濁りがあって、きれいな透明じゃないので、私たちのように宝探しに来た人が、いらなくて置いていったのだろう。
それにしてもよく探し出したものだ。考えると、この、何百メートルも、川原のように続いている石ころは、みんな、私たちのように宝探しに来た人たちが砕いていったものなのだ。何十年も、ひょっとしたら、百年を越える前から、代々伝え聞いた人たちが、やってきては砕いていった夢の残滓なのだ。
私たちの収穫は、その10個ほどのにごった水晶と、先生が見つけた、小さな赤い水晶と、20本ほどのきのこと、手にいっぱいの山栗だった。その山栗は、昼食のときにした芋煮会の焚き火の中で黒焦げになってしまった。きのこは、翌日私は少し食べたが、ほかの人は、聞くと、小さい声で、「捨てた」と言う。今生きているから、まあ良しとしよう。
紅葉にはまだ少し早かったけれど、みんなでわいわい芋煮会までやって、いい日だった。