濡れ衣
このところ、夕方、犬と散歩するのが日課になっています。その散歩道の途中は、いませいたかあわだち草が真っ盛りです。何年かほったらかしの休耕田や、道沿いの荒地に黄色い三角の穂をぎっしり並べているかと思うと、道端や、栗畑の端っこに二、三本ひっそり咲いていたりします。たいがい、どこも、夏に草刈をするので、背丈が低く、四、五十センチの高さで咲きそろっています。
知ってのとおり、ほうっておくと背よりもはるかに高く、ぎっしりと生え、おどろおどろしく咲き乱れるのですが、ひざくらいの高さで咲きそろっているのは結構きれいなものです。最初は、アメリカから花として輸入されたというのもうなずけます。
でも、この花はとても嫌われています。
もう、30年ほど前になるでしょうか、新聞に、この花が異常に繁殖する疑問が解けた、という記事が載っていたのを見た記憶があります。その原因が、養蜂業者だったという話です。
晩秋の、花の少ないころに咲くこの花は、蜂の蜜元としてとても重宝なので、養蜂業者がこの草を全国に植え広げたというのです。
外来種の中には、時として急激に繁殖地を広げるものもあるにはあるのですが、これほど一気に広がる植物はほかに見当たらないので、植物学者の間では一種ミステリーになっていたというのです。
その中に、ちょこっと、この草の蜜は味が悪いということも載っていました。したがって、人間の食用にはできず、蜂の越冬用に使うのだというのです。おそらくこれが悪口の最初でしょう。
同じころ、やはり、この草が、日本のすすきを枯らして繁殖地を広げているという記事も見ました。根から毒を出して、日本の草を枯らしてしまうというのです。遠からず、風になびくすすき原という、秋の日本の、古くからある里の景色が全滅してしまうだろうということでした。
この草がアメリカ生まれだから、アメリカにやっつけられた日本がその草に重なったのでしょうか。それとも、昔のりんごはすっぱくておいしかったとか、昔の子供は、ナイフが使えたとか、喧嘩の仕方を知っていたとかいう、終戦以前の日本をやたら美化しだした当時の風潮の流れなのでしょうか。この風潮は20年後に、バブルといっしょになって、日本は世界一の国だという思いになって花開きます。バブルははじけても、この、ナショナリズムははじけずに今も続いています。
しかし、そのころからでも、30年近くたったのに、消えているはずのすすきは、相変わらず風になびいています。おいしいはずのすっぱいりんごは店頭に並んでいません。子供は、相変わらず、学力学力といわれているのも同じです。
なぜなら、どれも本当ではなかったからです。食べてみるとわかりますが、昔のリンゴは本当はおいしくないのです。子どもも、ナイフが使えるより、勉強ができたほうが役に立つのです。
すすきもそうです。すすきだって、そう簡単にはやっつけられたりはしないのです。根から毒を出して、ほかの草をやっつけるというのは、そんなに珍しいことではないのです。野原をちょっと見渡すと、同じ種類の草がかたまっているのは普通のことです。そういうのを専門用語で群落といいます。普通の野原や林は、そうなっています。自分たちだけで場所を独占しようとするのは、せいたかあわだち草の特権ではないのです。毒を出す草はほかにもいっぱいあるのです。どの草も負けじ、と戦っているのです。だから、すすきだってそう簡単にやっつけられはしないのです。毒を出すから悪い草だというのは濡れ衣です。草を知らない人の言うことです。
しかし、せいたかあわだち草は相変わらず嫌われ者です。最近は、豚草などと改名されて、花粉症の原因にされています。もちろん濡れ衣です。昔から言われている花粉症のブタクサとは別種です。せいたかあわだち草が花粉症を起こさないという実験結果もあります。本当は、実験しなくても、花が目立つということは、花粉症の原因ではないと考えて間違いないことなんです。
目立つ花が咲くのは、たいがい虫媒花と分類される花です。虫媒花というのは、虫が花粉を運ぶ花ということです。虫は花に花粉を運んでも、鼻には花粉を運びません。だから、虫媒花は花粉症の原因にはなれないのです。いや、虫媒花でも、花粉が風に飛ばされる、というかもしれません。しかし、虫媒花の花粉は、虫に付く前に風に飛ばされては受粉できなくて、子孫を残せないので、風に飛ばされないようなつくりになっています。また、虫を呼ぶために、大きく目立つ花を作っています。そのためにたくさんのエネルギーを使っています。花粉が風に飛ばされては、このエネルギーが無駄になります。そのような無駄なことをしていては、厳しい自然の中で生き残っていくことはできません。
花粉症をおこす花は、みんな風媒花と呼ばれる花です。花粉を風が運びます。スギもヒノキも、本当のブタクサもヨモギもみんなそうです。そのために、花粉は風に乗って飛ぶように作られています。よく飛ぶように羽がついたのまであります。その上、あてずっぽうに花粉を飛ばすものだから、花粉をたくさん作ります。だから、風に乗って都会まで飛んでいって人の鼻や目に入ります。人の鼻は、風を吸い込むので、よけい花粉が入ります。花粉症の原因になる花がみんな風媒花なのはそのためです。
これらの花は、虫を呼ぶ必要がないので、これでも花、というくらい地味なものです。目立つための花びらなどに余計なエネルギーを使わないのです。本当のブタクサの花を知っている人がほとんどいないのはそのためです。荒地や道端に普通に咲いているのだけれど、だれも気づきません。変わりに、同じようなところに生えて、目立つし、今までも悪者だったこともあって、せいたかあわだち草が犯人にされたというわけです。ちなみに、せいたかあわだち草は、荒地や道端や、放置された田畑など、人の手が入った場所にしか生えません。人の手が入っていない自然度の高いところには入り込めないみたいです。
豚というのは、いじめるときによくつかわれるあだ名ですし、嫌いなものおとしめるためにつけるにはもってこいです。
一度嫌われると、それが濡れ衣でも、なかなか晴らせないものです。それどころか、次々に濡れ衣をかぶせられて、いよいよ、悪者になっていったりします。嫌われ者の宿命です。 特にそれが意図的なものだとしたら、汚名の晴らしようがありません。悪口の多くが、おとしめようとして始まるのですから、たとえ、汚名を晴らしても、「火のないところに、煙は立たず」と言われて、いつまでもくすぶります。冤罪を晴らすことの難しさです。
でも、嫌われようが、刈り払われようが、せいたかあわだち草は今年も、しっかり秋の野を飾って咲き誇っています。
小春日の夕べ、せいたかあわだち草の淡い黄に飾られた土手を、今日も犬に連れられて歩いてきました。
五十年後、百年後、いつか、汚名が晴れて、新秋の七草に選ばれているといいのですがね。一度手にとって見てみてください。黄色なのにけばけばしくなく、細い穂が、寺院の屋根のように緩やかで、繊細なカーブを描いています。とてもいい花ですよ。
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