時空の概念
(1)問題
地図に描かれた川の横幅を計る問題で、「ちがった向きで描いた地図では横幅も当然ちがう」
(2)考察
横幅の意味が不明。何をもって横幅とするかが決められていない。川の横幅は、実際に測ればいつ測っても同じである。地球は回転しているから、違った時刻に測れば川の向きは太陽に対して変わっている。ちがった向きの川を測ったらちがった川幅になるというようなことはない。地図も向きがどのようであれ縮尺が同じなら、同じところを測れば同じになるはずである。もちろん、紙に対して横ということに固守すれば、地図の書き方で、横幅は変わるだろう。しかしそのときは測っている場所が違うのだから当たり前である。そのような測りかたは何の意味も持たない。
(3)結論
意味不明な論である。
(1)問題
「各時刻での「空間」を積み上げたものを時空とよぶ」
(2)考察
空間を積み上げるということはできるのだろうか。
今の空間と、一瞬前の空間を積み上げるとどうなるのだろう。宇宙がふたつできる。では一瞬後の空間をそれに積み上げるとどうなるのだろう。宇宙が三つできる。どのように重なっているのだろう。
現実には過去は連綿と積みあがっているわけではない。そんな事実もない。
また未来も、積み上げられない。未来はまだ存在しないのだし。
あるのはこの瞬間の宇宙だけである。(注:相対性理論では、物質はそれぞれに違う時刻になっているから、宇宙には、あらゆる時刻の物質がごちゃ混ぜになっているということだが)
(3)結論
このような事実は観測されたことがない。思考上のものでしかない。事実ではない。このようなことを絵空事という。式で書くと、時空=絵空事となる。
(1)問題
「空間を1本のまっすぐな“糸”で表す」
「ある時刻の空間を表す糸の上に、すぐ次の瞬間の空間をあらわす糸を並べる」
(2)考察
・ 糸は並べることができる。なぜなら、糸は具体物であるからである。しかし、次の瞬間の糸は人間には並べられない。未来の糸は人間には触ることができないものである。次々に糸を並べるというイメージから、次の瞬間に糸を並べることができるように錯覚させているが、人間が織物を作るときは全て今の瞬間の糸を並べているのである。未来の瞬間の糸を並べているわけではない。横に並んでいるのは、一瞬前に並べたけれど、今の時刻には横たわっている状態の糸である。すなわち、今横たわっている糸の横に、今次の糸を並べているのである。決して、次の瞬間の糸を並べているわけではない。
・ 時空と糸はまったく別のものである。時空を糸で代用することはできない。ただ、時空もそのように並べることができるかもしれないと錯覚させることしかできない。そしてその錯覚を狙っているにしかすぎない。錯覚を使った手品である。
(3) 結論
ア 糸と時間
糸は並べることができるが、過去の糸と、現在の糸と、未来の糸は並べることはできない。すなわち時間を積み重ねることは人間にはできないし、自然界にも、過去と現在と未来が同時に積み重なっているという現象は今のところ観測されていない。地層は、時間とともに積み重なっているが、あれは土が積み重なっているのであって、時間が積み重なっているわけではない。今ある地層はすべて、大昔積み重なって、今、という瞬間の中で縞模様になっているのである。
イ 糸と空間
1次元の糸は並べて布のように二次元にできる。しかし、三次元の空間を並べることはできない。実際に並べることができた人はいない。また、そのような現象は観測されていない。思考の中にしかない現象である。
ウ 結論
時空が積み重なるというのは、面白い考えかもしれないが、事実の中では何一つ観測されていない。哲学では思考の中だけでもいいかも知れないが、科学となったら事実の裏づけが必要である。それがなければ科学とはいえない。糸を並べてさも現実の存在であるかのようにいうのは、偽のマークを使って本物らしく見せて売りつけるのに似ている。
問題
「空間、時間という概念を独立に考えることを放棄し、時空全体を相手にしようというのが、相対性理論によって登場した新しい時空観なのである。」
考察
この本でも、時間の本質は何もわかっていないということだった。空間は何も書いてないが、空間も、本質的なことは何も分かっていないと思われる。単独でも何も分かっていないものを、一緒くたにして、時空とするのは、何も分かっていない、の2乗になるような気さえする。
結論
普通では、時間と空間は似ても似つかないものである。それをいっしょにすることで新しがっているけれど、新しければいいというものではないはずだ。事実は何かが大切なのだ。何もわかっていないから、反論もできないことをいい事に、一緒くたにして手柄にしているだけだ。