(1)光速度不変の原理
「光の速度は、光源のあらゆる運動や観測者のあらゆる運動によらず同じ値になる」
(2)根拠となる実験
ア マイケルソンとモーリーの実験「観測者のあらゆる運動によらず」光の速度は同じ値になる)
イ 加速器によって加速された素粒子からの光が光速度である。(光源の速度は光の速度に影響しない)
(3)光速度不変の原理の分析
これにはふたつの原理が含まれている。
A 観測者のあらゆる運動によらず、光の速度は同じ値になる。
(根拠となる実験ア)
B 光源のあらゆる運動によらず、光の速度は同じ値になる。
(根拠となる実験イ)
上の二つは真であるか、の考察
このふたつは似て非なるものである。
(1) 同じような伝わり方をする。音で考えてみる。
ア Bとの比較
音も、音源の速度によらず、同じ音速をとる、といえる。
たとえば、時速60kmで走る車から出た音も。音速のジェット機から出た音も、空気中で同じ音速をとる。
これはBの場合と非常によく似ている。根拠となる実験イとも似ている。
音速のジェット機から出た音は、ジェット機と同じ速度、音速で伝わる。ジェット機の速度が音の速度には加算されない。このために、音が固まりになり衝撃波が起こり、地上に大音響を起こしたりする。最初に音速に達した飛行機は、この衝撃波のために空中分解している。
イ Aとの比較
音速より早いジェット機には音は追いつけないで取り残される。
このことから、音源の速度に音の速度が影響されないからといって、音はどの飛行機にも、音速で近づくとはいえないということである。
したがって、音の場合は、(音源のあらゆる運動によらず、音の速度は同じ値になる)はなりたっても、(観測者のあらゆる運動によらず、音の速度は同じ値になる)は成り立たないことが分かる。
以上のことから次のことがいえる。
「加速器によって光速度の99.9%に加速された素粒子から放出された光の速度を計測したが,やはり秒速30万キロメートルであった。これはマイケルソンとモーリーの実験よりも、さらに直接的な光速度普遍原理の実証である。」
とあるが、このことで、音の場合と同じように、Bの「光源のあらゆる運動によらず、光の速度は同じ値になる」、は証明されても、Aの場合の「観測者のあらゆる運動によらず、光の速度は同じ値になる」の証明にはならないということである。
理由は簡単である。音も光も質量を持たないから。音源や光源の速度を保存することができない。そのために、音や、光独自の速度になるのである。慣性の法則は、質量のあるものどうしにしか働かないからだ。
このことから「さらに直接的な光速度普遍原理の実証である。」は間違いであることがわかる。
そして、肝心なことは、光速度不変の原理は、Bではなく、Aだけが関係しているということである。本来Bは相対性理論には関係のない現象である。
A「観測者のあらゆる運動によらず、光の速度は同じ値になる」は真であるかをもうすこし考察してみる。
(2)光速度不変の原理A「観測者のあらゆる運動によらず、光の速度は同じ値になる」の考察
ア マイケルソンとモーリーの実験
この実験は検証実験がされていない。ということは、これは、まだ仮説にしか過ぎないということである。
イ 反証
@ 光行差
星の光が、地球の進行方向にたいして斜めに降り注いでいる現象である。
これは、地球が光に対して、相対速度を変えているということになる。
これは、複数の人と複数の観測機器で何度も観測されているから事実であるといえる。光速度不変の原理Aを否定する証拠である。
A 光のドプラー効果
宇宙背景放射に対して、地球の相対速度が検出されている。
地球の進行方向から来る背景放射は、青方偏移し、後方からくる背景放射は赤方変異するのが観測されている。音のドプラー効果から考えると、これは、背景放射に対して地球が速度を変えているということである。これは複数の人工衛星で観測されているので、事実といえる。また、星の光がドプラー効果を起こしていることや、銀河の回転によるドプラー効果も観測されている。これは、星や、銀河が光に対して、相対速度を変えているということである。
以上から、光速度不変の原理の実証は検証されていないマイケルソンとモーリーの実験だけだが、反証は、実際に毎日観測されている現象である。
光速度不変の原理は、間違いであることがわかる。すると、これを根拠としている、時間や空間の伸び縮みは存在しなくなるということがいえる。すなわち、特殊相対性理論は間違っているということである。
マイケルソンとモーリーの実験は、光の速度差の検出に失敗したということだ。この実験はひじょうに難しい実験であるということであるので、検出に失敗することは十分ありうることである。
アインシュタインは、鵜呑みにせずに、自分で検証実験をすべきであったのだ。また、相対性理論家も、人頼みをせず、自分で検証実験をするべきであった。