U 元祖光通信

 

   {光速度普遍の真の根拠}


 わが町にもやっと光ケーブルが通るようで、その調査をやっていました。光で情報を送るというのは当たり前の世の中になっています。ついこの前まではせいぜいモールス符号を送るくらいだったんですがね。

 そこで、光にとても思い入れのあるアインシュタインの光通信です。

 アインシュタインが光速度普遍の原理を考えたのは、マイケルソン=モーリーの実験や、マックスウェルの電磁気論によるという意見が多いのですが、(本人は再三否定しているのに、なぜか周りの人はそういうんです。普通の人は、常識的には科学的根拠をほしくなるものですから、しかたないとは思いますが。)ほかに、こんな意見もあります。

 「NHKアインシュタインロマン」という本には、「これらは彼にとって決定的な理由ではなかった。ポアンカレの著作に大いなるヒントを得て、時間というものの本質に深く思いを巡らしているうちに、光速度普遍しかないと考えたのだ」と書かれてありました。上の二つを押さえて、ポアンカレだというのです。

 そして、時刻あわせの話が載っています。

 遠い星の時刻を知るための方法です。まず、「地球から光を発し、鏡で反射し地球に戻って」来させます。その所要時間を計れば星の時刻が分かるというわけです。しかし、「地球上で分かるのは往復の時間だけで、片道の時間は分からない。」片道の時間が分からなければ、正確な星の時刻が分からない。「そこで光が往復する場合、行きと、帰りに要した時間は等しいという前提を追加した」しかし、「光を発するさい、またはそれが反射されるときに、その光源の運動によって光速が左右されたら」行きと帰りの時間が同じになるとは限らなくなってしまい、「理想的な信号としての意味がなくなってしまう」そこで、「光が唯一の頼りになる信号であるためには、光源の動きにかかわりなく光速は普遍とせざるをえない」と、考えたというのです。ここまでではまだ光速普遍です。

「証拠はない。ただそう考えなければ、つまり、光を絶対に信頼のおける通信手段にしない限り、ほかに時刻あわせをする方法はない、と考えたのである。」「この発想こそ、光速度不変をアインシュタインが前提にした真の根拠であるからだ。」ここから、理由もなく、なぜか突然光速度普遍になっています。

「なぜ、証拠もない光速度不変をアインシュタインは信じたのか。前提として置いたのか?マックスウェルがあったからか?マイケルソン=モーレイの実験結果を信用したからか?それらはひとつの答えではあるが、彼にとって決定的な理由ではなかった。ポアンカレの著作に大いなるヒントを得て、時間というものの本質に深く思いを巡らしているうちに、光速度不変しかないと考えたのだ」

 もしこれが、光速度普遍の根拠としたら、光速度普遍は科学ではなくなってしまいます。哲学か、単なるひらめきです。これを科学にするためには、科学的な裏づけをしていかなくてはなりません。ところが、どうもそういった形跡はみられないみたいです。事実だから「問う必要はない」と突っぱねて、したがって時間は止まると、先へ進んでいきます。

(注 「」内は引用文です) 

そこで、このことを、光速度普遍の真の根拠としたらどうなるかを考えて見ます。

 

1 まず、正しいと思われることからです。

(1) 「光源の動きにかかわりなく光速は普遍」

 このことは以前にも述べたように、光が慣性質量を持たないので光源の動きによって光は速度を変えないということです。もちろん、アインシュタインは慣性質量を理由にはしていません。証拠はないと言っているのだから、彼にとって証拠は必要ないみたいです。それとも、必然的にニュートンに頼らなければならなくなるので、証拠が出てくるのはかえって困りものなのでしょうか。

2 間違っていると思われること

(1) 往復の時間は同じ

 光源の動きにかかわらず、光速は真空中で一定の速度なので、同じ距離なら、行きと帰りに要した時間は等しくなります。もちろん、鏡の動きにも、光速は影響されません。

 しかし、星はとても遠いので、光が返ってくるまでに地球が動いてしまいます。そうすると、行きと帰りに光が通る道筋や距離が違ってきます。すると、とうぜん、行きと帰りの時間も違ってきます。でも、それでは、時計合わせができないので、アインシュタインは困ってしまうのです。

 現在地球は秒速400キロメートルで動いているといわれているので、もし、光が1年かかって往復したら、地球は、400×60×60×24×365=12億6144万0000キロメートル離れた所へ移動していることになります。これは、光でも、1時間20分ぐらいかかる距離になります。これは無視できない数字です。

 でも、光速度普遍なら、光は動いている地球に対して普遍になるので、この1時間20分はなくなってしまいます。ファイマンの「光時計」の原理です。すなわち、地球から出た光は、地球の観測者といっしょに横に動いていくのです。

(2) 光速普遍と光速度普遍がごちゃまぜ

 「光源の動きにかかわりなく光速は普遍とせざるをえない」というのは光速普遍です。けれど、そのことでは、観測者に対しての相対的な光の速度(光速度)は変わらないとはいえません。どちらかというと、光の速度が真空中で不変なら、動いている物に対しては必ず相対的な速度が変わってしまいます。もちろん、光源に対しても、鏡に対しても、相対的な速度は変わります。光速は普遍でも、光速度は普遍ではないのです。

 アインシュタインの思い付きでは、ここがひとつの勘違いではないかと思われます。

光源の速度によって、光の速度は変わらないということ(光速普遍)と、光源や、観測者に対して、光の相対的な速度は変わらない(光速度普遍)ということとはまるで違う現象なのに、なんとなくうやむやのまま、いつの間にか同じことだとしてしまっているのです。勘違いというより、意図的にぼやかしているのかもしれません。       

 しかし、何度もいうように、この二つは相反するものです。どちらか一方しか正ではないのです。(今まで述べてきたように、光速普遍が正しくて、光速度普遍が間違いです。観測結果から明らかです)ところが、彼はこれを、同じものとしてしまったのです。そのために時間や空間を縮めたり、伸ばしたりしなければならなくなってしまったのです。まあ、それが、相対性理論のすばらしさだと相対性理論家はいうのですが。

3 論理的に無理があると思われるところ

(1) 光のつごう

 「地球上で分かるのは往復の時間だけで、片道の時間は分からない。」「そこで光が往復する場合、行きと、帰りに要した時間は等しいという前提を追加した。」

 「わからないから」「分かるようにするために」かってに「往復の時間は等しいとする」ことはできないはずです。

 自分のつごうだけでかってに決めています。そりゃわがままってもんです。光にだって光のつごうがあるのですから、つごうも聞かずに勝手に決めちゃまずいと思います。

 

(2) 光は、輝く理想の姿

 「光を発するさい、またはそれが反射されるときに、その光源の運動によって光速が左右されたら、理想的な信号としての意味がなくなってしまう」

 光は光です。時刻合わせをするために存在するのではありません。したがって、光が「理想的な信号としての意味がなくなってしま」ったって、光としては痛くも痒くもありません。光はただ光っているだけなんですから。アインシュタインにとって必要だからということは、光の性質に何の影響も与えません。「理想的な信号としての意味がなくなってしまう」ことを根拠にして、「光源の運動によって光速は左右されない」という性質を付け加えることはできないのです。「光源の運動によって光速は左右されない」ということをいうためには、物理上の根拠と、光にそのような性質があるという観測事実が必要なのです。すなわち、この逆、「光には慣性質量がないから、光源の運動によって光速は左右されない」ことが「実際に観測された」だから「光は理想的な信号である」可能性がある。というべきなのです。(実際は、これでは光速度普遍はいえないのですが)

 光が理想的な信号であるかどうかは、光がその条件を満たす性質を持っているかどうかできまるのに、光は理想的でなければならないという前提が先に立つているから、「証拠はない。」などと突っぱねるしかなくなってしまったのです。

「ただそう考えなければ、つまり、光を絶対に信頼のおける通信手段にしない限り、ほかに時刻あわせをする方法はない」 

 なぜそんなにがんばって時刻あわせをしなければならないのでしょう。いまのところ、誰かが星と地球の時刻合わせをしたという話は聞かないし。だからといって、地球や星が困っている様子は少しもないし、星の研究に支障が出ているという学者もいないみたいです。

 そもそも、相対性理論が正しければ、時刻合わせなんてできっこないはずなんです。光が絶対で、時間は相対的なんですから。次にその様子を見て見ます。

 

(3) 時の坩堝(るつぼ)

ア 時差ぼけ

 地球は、今、経度によって時刻が違います。これは地球の自転による日の出の時刻の違いからきています。でもこれは、人間の生活の利便性のために勝手に決めた時刻です。本当の時刻が違っていることではありません。「今」は、世界中で「今」です。ニューヨークに電話すると、「今こっちは夜だよ」ということです。時計の針が文字盤のどこを指していようが、朝であろうが夜であろうが、「今」は「今」です。

 では、相対性理論ではどのようになるでしょう。

 相対性理論によると、時間は、速度や重力で変化することになっています。そこでいろいろな速度や重力がある地球上の現象について考えてみます。

 まず赤道と、東京と、北極です。この3地点は地球の自転で、それぞれにスピードが違います。赤道が一番早く、北極が一番遅いのです。赤道上と、北極点上では、速度の差は音速を超えます。東京はその間です。

 すると、相対性理論から考えると、この3地点は、時間の進み方が違うことになります。時間のたつのが一番のろまなのは赤道で、一番せっかちなのは北極です。  赤道から北極まで百の地点を取れば、百の、自転による速度があります。すると百の時間の進み方がでてきます。百の地点は百種類の時刻になります。千の地点を取れば千の速度があります。この違いは、地球が回転を始めた45億年前から累積され続けています。したがって、地球上には場所ごとに違う時刻が存在することになります。もちろん全ての時刻が正しい時刻です。先ほどの経度による時刻の違いは、人間生活のための、時計上の時刻です。だから、違う国にいったら、その国の時計に簡単に合わせられます。でも、この緯度による時刻の違いは本当の時刻の違いです。時刻を合わせることはできません。

 また、相対性理論では、重力によっても、時間が変わるといっています。

 するとこんなことが起こります。

 富士山を考えます。富士山の裾野から頂上まで、3つの地点を考えます。裾野と、中腹と、頂上です。そのそれぞれで重力が違います。すると、それぞれに時間の進み方が違ってきます。一番遅いのは裾野です。一番速いのは頂上です。富士山の裾野から頂上まで、千箇所の地点を取れば千種類の時刻が存在することになります。1万箇所の地点をとれば1万箇所の時刻が存在します。この場合も、全ての時刻が正しい時刻です。ここでも時刻を合わせることはできません。

 台風を考えてみます。すごい風です。この台風の、すべての酸素分子を考えてみます。突風なので、時間の進み方が遅くなっています。風の吹き方は場所ごとにさまざまなので、全ての酸素分子のスピードが違ってきます。そのために酸素分子ごとに時間の進み方が違ってきます。

 また、酸素分子はさまざまな高度にあるので、重力が違っています。そのために時間の進み具合が違ってきます。

 風は、速さや高さを変えて、激しく吹きつのります。酸素分子の時間は、早くなったり遅くなったり、めまぐるしく変わります。それでも一つ一つの酸素分子は間違わずに時間を刻みます。すると、混ざっている酸素分子一つ一つが違う時刻を持っていることになります。隣の酸素分子は昨日の時刻だったりして。

 この酸素分子が燃えている木のそばに来ます。木はほとんど動かないので、台風の中の酸素分子より時間が早くたちます。すると、昨日の酸素と、明日の炭素が結びついて、現在の私の前で燃え上がります。

 光速度を不変にすることで、遠い星との時間合わせができたとしても、この地球上の時刻はどのようにして合わせればいいのでしょう。

 無風の地上を基準にすればいいというかもしれません。でも、「トムキンスの不思議の町」で書いたように、それで合わせられるのは時計だけです。一度違ってしまった本当の時刻を合わす方法はありません。

 風の速さも、地球の重力も、時間を変えるには小さすぎるから、無視できる大きさだというなら、無視できない大きさを考えてみます。(エッフェル塔の実験のように本当は無視できないのですが)

イ あなたの体は今何時

 今度はあなたの体を考えます。あなたの体は元素で構成されています。重い元素もあれば軽い元素もあります。鉄より重い元素は、太陽より重い星の爆発でできたといわれています。軽い元素も、水素とヘリウム以外は星の中でできたといわれています。あなたの体のほとんど全ての元素は、少なくとも一度は星の一部を構成していたといわれています。

 そうなのです。体を構成している元素は、宇宙開闢以来宇宙を漂ってきました。ビッグバン宇宙が正しければ、およそ130億年間です。定常宇宙論が正しければ永遠の昔からの元素もあります。どちらにしろ、体を構成している全ての元素は、できてから少なくとも130億年の時間が経過しています。その間、元素は、星になったり、宇宙塵になったり、星間分子雲になったりとさまざまなものになってきました。ミクロの目で見れば、炭素になったり、酸素になったり、鉄になったりと変化してきました。もちろん、中には、何にもならずに、ただ、水素原子のまま漂っていたのもあるかもしれません。

 体を構成している元素の経歴は、とてもさまざまなはずです。太陽の何十倍もの重力の中で、数億年を過ごした元素もあれば、ほとんど光の速度に近い速度で、爆風となって飛んだことのある元素もあるでしょう。中には、何にもならずに、のんびりとほとんど無重力の宇宙を漂っていて、初めて、地球という星の一部になり、あなたの体の一部になった元素もあるでしょう。(無重力の場合、時間はとても早く進むそうです)すると、相対性理論からすると、それぞれの原素は、経過した時間がまるで違うものになっているはずです。その違いは、1時間とか2時間ではなく、数十年、あるいは、数千年、数十万年を越えるものもあるでしょう。

 あなたの体は、ある部分は、現在かもしれないけれど、ある部分は、紀元前300年の時刻であったり、あるいは白亜紀元800年の時刻であったり、あるいは昨日の8時とか、明日の3時とか、千年後のお正月であったりとかすることになります。全ての時刻が、体の時刻なのです。しかも、そのどれもが正しい時刻なのです。

 あなたの体は、過去から、未来まで、いろんな時刻がごちゃ混ぜになっているのです。そんな馬鹿なといっても、相対性理論ではそうなってしまいます。あなたの体を構成している全ての元素が、同じときにできて、同じ重力変化をたどってきて、寸分たがわぬ同じスピードで今日まで来たとしたら、なんとか、体中の元素は同じ時刻にあることになりますが、現在考えられている、元素ができる原理や、星ができる原理から考えると、そういったことは不可能なことです。

 体の全てで、ばらばらな時刻を指しているのならば、今何時ですかと聞かれたら、一体どの時刻を言えばいいのでしょう。耳は2004年なんだけど、目玉は1943年で、足のつめは紀元前38年で、へそは3101年でというのですか。どの時刻も、全て正しい時刻のはずだから、一番進んでいるのにしますか、平均値にしますか、それとも、好きなのにしますか。お受験を考えると、偏差値がいいですか。

 

ウ どちらが変わる

 なぜこんなことが起こるのでしょう。それはアインシュタインが光は絶対だと考えたことにあるのです。

 今までに書いたように、光は簡単に曲げられます。光の速度を変えたければ、空気や、水や、ガラスの中を通せばいいのです。光を作ろうと思えば、電気のスイッチを押せばいいのです。ガスに火をつけてもいいです。あるいは石と石をぶつけても一瞬だけど光ります。こんなこと子供でもできます。

 では、時間を遅らせることができるでしょうか。時間を進めることができるでしょうか。本当の時刻を動かすことは今のところ誰にもできません。
 時計の針を進めたって、本当の時間は進みません。相対性理論家はここがたくみなのです。日常的に時計の針を動かすことで時刻を合わせているので、時計の針を動かせば時間も動かせるとなんとなく思っていることをうまく使って、時間は操作できると思い込ませているのです。時計の針を動かすことと、本当の時刻を動かすこととは違うことなのです。ちょっと考えれば分かる勘違いをうまく利用しているのです。

 もちろん、時間を曲げることはできません。時間を作ったり、消したりすることもできません。少なくとも、人間は、今のところ本当の時間には指1本触れられないのです。

 アインシュタインは、どうして、こんなに変わりまくっている光が普遍で、変わったということがまだ一度も観測されたことがない時間が変わると考えたのでしょう。(観測したという実験もあります。でもそれは時計の針の指している場所が違ったという観測だということは今までに書きました。時計の針を観測したのであって、本当の時間を観測したのではありません。時計の針は、時計の針に過ぎないのです。あれは、地球の1回転を24に区切って、その12個分で短針が1週するように作った機械に過ぎません。ほんとうの時間ではありません。地球の自転速度を表しているだけです)

 相対性理論の中では、変わっているのは時間です。変わっていないのは光です。しかし、現実世界の中では、変わっているのは光です。変わっていないのは時間です。相対性理論が正しいのでしょうか、現実が正しいのでしょうか。

 

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