背景放射の見える原理の矛盾

 
著者 高田敞

1 宇宙背景放射とは

 ガモフという人が言い始めたことです。

 ビッグバンがあったなら、そのときの光がいまも宇宙に満ちていて、地球に降り注いでいるだろう、という説です。


2 実証例

 1964年にペンジャスとウィルソンによって、宇宙全体からやってくるマイクロ波が発見されました。これが宇宙背景放射の発見です。

 その後、背景放射探査衛星コービーなどによって写真に撮られています。

 

3 ビッグバン論者のいう、見える原理
 ここではビッグバンがあったとして述べていきますが、私は、ビッグバンに賛成しているわけではありません。ビッグバンがなければここに述べた問題は消えてしまいます。

(1) 雲から飛び出す

 ア 原理

 「最新・宇宙創世記」(佐藤勝彦・徳間書店)によると、ビッグバン後30万年たつと、「宇宙の晴れ上がり」という状態が出現するとあります。霧がかかっていた状態から、霧のない状態になるようなものだそうです。だいたいどの本もそのようです。なぜか、宇宙は一瞬でこの宇宙の数千倍にまで広がったという人の論でもそのようです。不思議なことです。それはおいといて、そのことについて、上記の本にはこのような比喩が載っています。

「私たちが飛行機に乗っていて、雲の中から飛び出したあと、振り返ってみたとき見えるものは雲の表面、つまり不透明な状態から透明な状態へと移った境界層です。宇宙の場合も現在の時刻から電磁波を用いて観測できる境界は宇宙の晴れ上がりの時点における宇宙の姿までです。晴れ上がりの時刻での雲の表面から放出される放射は、数千度Kのプランク分布をしていますが、宇宙の膨張によりプランク分布のかたちを保ったまま赤方偏移し、現在の宇宙では低い温度のプランク分布として観測されるはずです。これが、1964年にペンジャスとウィルソンによって発見された宇宙背景放射です。」

 これが宇宙背景放射が見える理由ですが、これでは、宇宙背景放射は見えるはずはありません。その理由は2点あります。

イ 考察

@ 地球は雲から飛び出すように宇宙から飛び出せるのか

 飛行機に乗っている人は、雲から飛び出して後ろの雲を振り返ることができます。しかし、宇宙全体が雲に満たされているとき、そこから飛び出すことはできません。なぜなら、ビッグバン説では、その外は宇宙ではないはずです。飛び出して振り返るとすれば、それは宇宙を飛び出して、宇宙を振り返ることになります。飛行機は雲から飛び出すことができても、われわれの地球は、宇宙の霧から飛び出すことはできません。

 もちろん地球もそのときその霧の中にありました。なぜなら宇宙の全てはビッグバンによってできたという説なのですから、地球も当然そのときできていたはずです。質量保存測というのがあって、物質は決して増えもせず減りもしないといいます。137億年前、突然無から全宇宙の物質や光が飛び出してきたというビッグバン説の人も、なぜかこの説を信じていて、ビッグバン以降は、陽子1個だって無から生じないといっています。だから、地球も太陽もそのときにちゃんとできていたはずです。

 いや、地球や太陽は45億年前にできたのが通説だから、ビッグバンのときはなかった、というのはもっともです。でもそれは違います。地球や太陽は、そのとき丸い形になっただけなのです。ビッグバンのときは原子核や、イオンの形をして、やがてほかの星を造る物質と混ざり合って、雲の中をばらばらに飛び交っていただけです。

 だから、「宇宙の晴れ上がり」のとき、地球から見たら、突然空が晴れたということになるはずです。雲から飛び出して晴れ上がったのではないはずです。

 飛行機でいえば、世界中の空が、霧に満たされていた状態から、突然、全ての霧が消え、全ての空が青空になったというのと同じことです。だから、振り返っても、雲は見えません。雲はもうどこにも存在しないのですから。

 同じように、宇宙の霧が消えたとき「宇宙の晴れ上がり」といわれている状態は消えてしまったから地球はもう二度と宇宙の霧を見ることはできないはずです。

A 宇宙の雲はいつまで残るのか

 この宇宙の雲からの光は、宇宙背景放射になって、ペンジャスとウィルソンに発見されたということになっています。では、この光はいつから地球に届いているのでしょう。少なくとも、「宇宙の晴れ上がり」の瞬間には上に書いたように、一度地球からは完全に見えなくなっていたはずです。いつまた見えるようになったのでしょう。

 上記の本では、「振り返ってみたとき見えるものは雲の表面、つまり不透明な状態から透明な状態へと移った境界層です」といっています。しかしそんなことは現実に存在できないのです。

 よく、エステの広告に、ビフォーとアフターの写真が並んで載っています。これは写真だからできることです。本物の同じ人を、ビフォーとアフターといって並べることはできません。アフターになったら、ビフォーはもうどこにも存在しないのです。

 ものでも同じです。工場見学などに行くと、原材料から完成品までの工作過程を順序よく並べてあるのを見かけたりします。でも、これはそれぞれ違うものだから並べられるのです。これがひとつのものだったら、どれかひとつでしかないのです。原材料なら原材料です、完成品なら完成品です。完成品になったときは、原材料はどこにもありません。

 宇宙もそうです。宇宙全体が、霧に満たされているときはその状態しかありません。晴れたら晴れでその状態しかありません。両方が並んでいっしょに存在することはありません。

B 地球はそのとき

 地球はビッグバンのときなんだったのでしょう。少なくとも雲の中の飛行機ではありません。地球だけ特殊なものであったはずはありません。ほかの星と同じように、雲や光であったはずです。すなわち、第三者としての観察者ではなく当事者であったはずです。だから、雲から飛び出さずにいっしょに変化していたはずです。

 どのようになったかを考えます。

 まず雲です。雲は水滴からできています。そのとき光が乱反射して白く見えます。これが雲です。この水滴が水蒸気に変化して光が散乱しなくなると晴れ上がります。雲はなくなったように見えますが、そうではありません。人間に見えない状態に変化しただけです。この例えを使うと、地球もその他の物質といっしょに、水滴から水蒸気に変化したということになります。

 「晴れ上がり」のとき、地球もその他の物質と同じように、陽子と電子がくっついて、原子に変化したはずです。現在の地球を構成している物質に1歩近づいたということです。

このときそれまで宇宙に満ちていた光はどうなったでしょう。「晴れ上がり」で直進できるようになったので、どこかへすっ飛んでいったはずです。しかも秒速30万キロメートルです。雲から飛び出すことができたのは地球ではなく、光のほうです。

 光の背中は見えません。目にぶつかってきた光しか見えません。地球は2度とこのときの光に出会うことはありません。光が振り返って、引き返してこない限り。

C 結論

 一度終わってしまった現象は、二度と見ることはできません。花火大会だって、オリンピックだって、超新星爆発だって同じです。137億年前に終わったビッグバンが見えるわけはないのです。そのとき、地球もちゃんとビッグバンの会場にいて、劇に参加していたのです。そして、無事役目を果たして、会場をあとにしているのです。そして、137億年間宇宙を旅して、ここにいます。どうして今頃、過去の劇が見られるのでしょう。

 もちろんそのときの光は消えません。去年のオリンピックを見ようと思ったら、光より速い乗り物に乗って、オリンピックから出た光に追いつけば見られます。その光はもう、地球から1光年先の宇宙を秒速30万キロで飛んでいるので、よほどがんばらなければ追いつけませんが、光より速い乗り物があれば理論上は可能です。しかし、追いついたところで、見えるのは何光年も先の宇宙にある、点としか見えない太陽の周りを回っている地球の上のオリンピックとしか見えないので、まあ、見るのは不可能でしょうが、理屈では可能です。

 ビッグバンのときの光も毎秒30万キロの速度で、会場を飛び去っていきます。いま、137億光年先を毎秒30万キロメートルで、爆発の中心から反対方向に飛び去っているはずです。たかだか、秒速400キロぐらいの地球には追いつけません。

 これではビッグバンの光は見えません。

 

(2) 他の解釈

ア 原理

 ビッグバンの爆発は、膨張し、いま、この宇宙の外殻を包んでいる。いわば、風船のゴム幕のようになっているという解釈です。

 だから、いまもその外郭から光が出て、全方向からマイクロ波になって地球にやって来ているというのです。背景放射が、空の全方向からやってきているという観測事実と一致します。

 (1)の解釈だと、雲から出た飛行機が遠ざかると、雲はだんだん小さくなっていき、やがて、点になり、見えなくなってしまいます。すると、背景放射は、空のある1点からやってくることになります。たとえ話としても不合理があります。その点この説はよさそうです。

イ 考察

@ 背景放射の出方 

 背景放射は、超高温高圧の光の玉が、晴れ上がったときの光という解釈です。いま「晴れ上がり」のときが宇宙の外郭になっているのなら、宇宙で一番広がっている場所なので、高温高圧ではなく、低温低圧になっているはずです。数千度Kもの強い光は出ません。

A ビッグバンは外郭だけか

 ビッグバンでできたのは、宇宙の全てだといわれています。したがって、宇宙全体の銀河や、ガスです。もちろん太陽も、地球も含まれます。それらのほとんどは、外郭にはなっていません。中身になっています。風船でいえば空気の部分です。では、いったいなにが外郭になったのでしょう。外郭になったものはあってもほとんど残っていないことになります。それがいまだに強い光を放っているとは思えません。

B 外郭は何でできている

 「宇宙の晴れ上がり」が外郭になったというが、それは状態なので、変化してしまいます。変化した状態が今の宇宙です。宇宙が「晴れ上がり」であったときは137億年前に終わっています。では、何が外郭かというと、そのとき放出された光です。「晴れあがり」のとき直進を始めた光は、爆発の中心から、光速で飛び出し、宇宙膨張の先陣を切って、膨張の最前線で、広がり続けているはずです。膨張の最前線とは、膨張宇宙の外郭です。風船でいえばゴム幕です。これなら何とか話が分かります。しかし、この光は地球に戻ってきません。光はまっすぐ飛び去っていくだけです。鏡でも置いて、反射させない限り。

ところが宇宙に鏡はありません。「晴れ上がり」の光は背景放射になれません。いつも地球から遠ざかる方向へ光速で飛んでいっています。

C 結論

 以上のことから、この解釈も成り立ちません。

 

4 誤解の根源を探る

 これは、宇宙が非常に大きいということと、光の速度が有限であるということから来る錯覚です。

1億光年先の星を見るということは、1億年過去の星を見ているということである、ということから来る錯覚です。

 太陽の光は地球に到達するのに約8分かかります。だから人は、いつも8分過去の太陽を見ているそうです。地球に一番近い星は、ケンタウルス座のα星で、4.3光年離れています。だから4.3年過去のα星を見ていることになります。足元の地球は、1.5メートル離れているとすると、3億分の1.5秒過去の地球ということになります。

 近いところでは、人です。1メートル離れてる人は3億分の1秒過去の人を見ていることになります。すなわち、自分を中心にして、離れる距離に比例して、過去のことを見ることになるのです。だから、137億光年離れたところを見ると、そこは135億光年前の世界だから、137億光年前に存在した宇宙の晴れ上がりの瞬間が見えると考えたわけです。なるほど、見えそうです。しかしそうは簡単ではありません。この論理の間違いは、137億光年先の宇宙を見れば137億年前の宇宙の全てが見えると考えたところにあります。137億年という、人間の判断を超えた数字に惑わされているのです。次にいろいろな例でその間違いを考えていきます。

(1)考察

 4.3光年離れた宇宙を見ると、4.3年前の宇宙が全て見えるのかというと、ケンタウルス座のα星しか見えません。たった1個です。4.3年前のオリオン座も、土星も太陽も月も見えません。もちろん星の一種である地球も見えません。

 同じように、太陽を考えてみます。8光分(光が8分間に進む距離です)の距離です。8分過去です。では8分過去の全ての星が見えるかというと、見えるのは太陽だけです。一番近いケンタウルス座のα星の8分前の姿さえ見えません。もちろん8分前の月も見えません。

 そこで、分単位になると、人間の感覚で判断できる大きさなので、よく考えられるから太陽についてもう少し考えます。

 9分前の太陽は見えるでしょうか。9光分の距離のところに望遠鏡の焦点を合わせてくまなく宇宙を探してみます。太陽は見えるでしょうか。探すのは面倒なので、ケプラーで計算すると、9分前の太陽の位置が分かります。そこに望遠鏡を向けるとどうでしょう。太陽はあるでしょうか。8分1秒過去の太陽はどうでしょう。8光分と1秒光の距離のところを見ると太陽はあるでしょうか。8分と2秒過去のところはどうでしょう。8分と3秒はどうでしょう。8分過去から9分過去の間に1光秒(30万キロ)ごとの宇宙空間に太陽が60個つながって光っているのでしょうか。0.1光秒(3万キロ)ごとに600個の太陽がつながって光っているのでしょうか。距離が遠くなれば過去になるのだから、太陽はいっぱい見えてもいいのにどうして太陽はいつも1個しか見えないのでしょう。理由は簡単です。9分前の太陽の光は、もう地球を通り過ぎているから見えないのです。8分と1秒前の光も同じです。その光は、通りすぎてもう地球から30万キロも先へ行ってしまっています。見えるのはいつも現在地球にぴったり届いている光だけなのです。いつも現在から8分前に太陽を出た光だけです。そして、次々に通り過ぎて2度と地球にはやってきません。 太陽の光は地球の周りだけに溜まっているわけにはいかないのです。火星にも、木星にもいかなくてはならないのです。

 では、137億年前ではどうでしょう。宇宙の晴れ上がりの瞬間です。宇宙全体が輝きだします。やっと晴れた宇宙に向かって全てが喜びに打ち震えているようです。もちろんそのときはまだ、ばらばらで、見る影もないけれど、太陽も、ケンタウルス座のα星もみんなといっしょに輝いています。もちろん地球もです。これから果てしない旅をして、やがて太陽のそばで丸くなって、生命を育むのです。

 9分前の太陽は見えません。去年の太陽も、もう見えません。1光年先の宇宙空間をくまなく探しても無理です。同じように、5年前のケンタウルス座のα星もどこにも見えません。10億年前の太陽は10億光年+8光分先の宇宙に輝いているでしょうか。50億年前の太陽は、50億光年+8光年分先の宇宙に輝いているでしょうか。10億年昔のケンタウルス座のα星はどうでしょう。50億年前のケンタウルス座のα星はどうでしょう。見えるわけはないのです。

 では100億年前の太陽や、ケンタウルス座のα星はどうでしょう100億光年先の宇宙に見えるでしょうか。見えるわけはないのです。

 137億年前の太陽や、ケンタウルス座のα星はどうでしょう。137億光年先の宇宙空間に見えるのでしょうか。見えるわけはないのです。

 ではどうして、晴れ上がりのときの光が、背景放射になって、いま地球に降り注いでいるのでしょう。その光の中には、今見える星々に混じって、太陽の光も、ケンタウルス座のα星の光も入っているはずです。もちろん地球の発した光も入っています。ということは、137億年前の太陽やケンタウルス座のα星を見ることです。地球を見ることです。そんなことはできるわけはないのです。

 

  50億年前の太陽は見えないけれど、137億年前の太陽なら、ビッグバンの光としてなぜ見えるのでしょうか。明確な理由は見当たりません。上記の雲を飛び出す話とか、風船のゴムの話では理由になりません。

 ビッグバン論者は、雲から飛び出した飛行機のように、地球を特殊なものとしてみている節があります。ビッグバンのときに、地球はすでにここにあったというかのようです。地球はここにあって、ビッグバンは137億光年先で起こった。その光が、137億年かかって地球に着いたというのです。これは天動説の再来です。

 

 なぜ変なのかを新幹線で考えてみます。静岡駅のホームに観察者がいます。2時間前に神戸を出た光2号が静岡駅に着きました。観察者には光2号が見えます。同じ時刻、1時間前に神戸を出た光3号は、名古屋駅に着いています。静岡駅の観察者にはその光3号は見えません。同じく3時間前に神戸を出た光1号は東京に着いています。やはり静岡駅の観察者には見えません。当たり前です。

 この当たり前のことが、太陽にも起こっているのです。15分前に太陽を出た光は、地球を通り過ぎて、火星駅にあります。8分前の光はちょうど地球に着きました、だからその光は見えます。4分前の光はまだ金星駅にいます。だから地球の人には見えません。

 137億年前の光にも同じことが起こっているはずです。137億年かかって今ちょうど地球についた光しか見えません。「宇宙の晴れ上がり」の瞬間の光は1度しか見えません。一度地球に届いたら、1秒後は、30万キロかなたを秒速30万キロメートルで飛び去っているのです。もし、「宇宙の晴れ上がり」が10年間続いたのなら「宇宙の晴れ上がり」の開会式の光が地球に届いてから、10年後に「宇宙の晴れ上がり」の閉会式の光が届くまでの間しか見えないはずです。オリンピックと同じです。開会式で始まったら必ず閉会式で終わるのです。その後は2度と見ることはできません。

 世の中の出来事はたった1度きりしか見ることはできないのです。それが、昨日の花火大会だろうと、10億年昔の超新星だろうと同じことです。もちろんそれが137億光年先の超巨大花火「ビッグバン」であろうと同じことです。

 

 そして、そのほかに、もうひとつの矛盾があります。それは、なぜ、観測者が静岡にいるかということです。定常宇宙論ならそれは可能です。しかし、膨張宇宙ならそうはいきません。ビッグバン宇宙論では、観測者も光1号も2号も3号も、出発するときは始発駅の神戸にいるからです。全てのものが同じときに同じ場所でできたというのがビッグバン論ですから、光1,2,3号が出発したときに、観測者が静岡にいるわけにはいかないのです。光号の出発と同時に観測者は自分の力で走って静岡まで行かなくてはなりません。光号はあっという間に見えなくなってしまいます。

 ビッグバン宇宙論でいえば次のようになります。

 ビッグバンで、光も地球の原材料もいっしょにできました。「宇宙の晴れ上がり」までは、二つはごちゃ混ぜだったそうです。そして、「宇宙の晴れ上がり」で、直進できるようになったビッグバンのときにできた光は、物質と分かれました。そして、宇宙のかなたへまっすぐ飛び去っていきました。

 地球の原材料もやはり、膨張する宇宙に乗って広がり続けました。地球の原材料は、物質なので、光速で飛び続けることはできません。相対論によると、物質は光速度で飛ぶとき無限大の質量を持つことになるからです。したがって、地球の原材料は、光においていかれてしまいます。その後、137億年の間に、地球の原材料は、星間ガスになったり、星になったり、また爆発したりを繰り返したあと、45億年前に、太陽を取り巻く星間ガスの中から今の地球の形になりここまで飛んできました。今、秒速400キロメートルだそうです。東海道線でいえば、やっと静岡です。

 では、ビッグバンのときできた光はどこにいったでしょう。もうはるか遠くに行っているはずです。ところが、ビッグバン宇宙論では背景放射となって、今地球に次から次にやってきているそうです。なぜ、地球より、千倍も速い光が今ごろどうして地球に追いついているのでしょう。しかも、地球の45億年という長い歴史の中の現在に再び地球にやってきたのでしょう。2億年前の恐竜の時代ではなく、2千年前のアレキサンダーの時代にではなく、観測機器を始めて持ったこの時代にぴったり合わせたかのようにやってきたのでしょう。137億分の1の奇跡でしょうか。いいえ、背景放射は、ビッグバンの光ではなく、宇宙の塵の光だからです。もしビッグバンがあったとしても、ビッグバンの光は、地球のはるかかなた137億光年先を秒速30万キロの速度で飛び去っているはずです。 

 ビッグバンの光は直進できるようになったといいながら、137億年の間ずっと地球の周りをうろついています。今後どれだけの間、地球の周りをうろついているのでしょう。地球が今の形である限りでしょうか。それとも、人類が絶滅するまででしょうか。

 

5 まとめ

 地球も、太陽もビッグバンとともにできた。宇宙の晴れ間のとき、形は違っていても、ほかの星になる物質たちといっしょに光っていた。これが背景放射です。

 見えているのは8分前の太陽である。昨日の太陽はもう見えない。10年前の太陽はもう見えない。100年前の太陽も見えない。1億年前恐竜を照らしていた太陽は見えない。45億年前、できかかっていた地球を照らしていた太陽も見えない。100億位年前、でき始めた銀河の中のまだガスであった太陽は見えない。だけど、137億年前、できかかった宇宙の中で光った太陽は見える。写真にも取れるこの不思議。

 昨日の地球は見えない。50年前の地球も見ることはできない。ではどうして、137億年前の地球は写真に撮れるのか。

 背景放射探査衛星コービーが撮った写真には、はっきり背景放射が写っていた。背景放射の中には、太陽の出した光も混じっている。地球の出した光も混じっている。過去の地球と、過去の太陽を写真に撮ったという。明らかに間違っています。

 ビッグバン論者はこの種明かしをしなければなりません。

銀河の赤方偏移の理由
ビッグバン宇宙の間違い 目次