時の流れに

著者 高田敞

 アインシュタイン氏は「時空」というものを考え出しました。時間と空間をいっしょにしたものです。それまでは、時間も空間も、物理学の対象外だったそうです。それまでは、物理学の対象となったのは実際に観測されるものだけでした。現実の物体や、電磁波やそれから派生するもろもろの実際の現象です。それが、マイケルソンとモーリーのエーテル検出(エーテルは、見えない、触れない、何も分からないものでした。)の実験を経て、アインシュタイン氏は実際に物や、現象として直接把握できないものを物理学に放り込みました。正解、いや回答すらないクイズを投げかけて、解いてみなというわけです。

 前項で、空間が抽象概念で、実在はしないということを述べました。「時空」という言葉の「空」を否定した行きがかり上、「時」についても話さなければなりません。
 時、あるいは時間とはどんなものなのでしょう。
 時計の秒針は休みなく時を刻んでいます。長針も大きな時計では動いているのが分かります。一見動かないように見える短針も、ふと気がつくと、場所を変えています。
 時が流れているのを序実にあらわしているようです。でもそうでしょうか。それは、時計の針の動きであって、時そのものではありません。あまりに日常的で生まれてからずっとそれで時間を計ってきたので、あたかもそれが時そのものであるかのように錯覚しているだけなのです。
 古いアルバムをめくります。懐かしい顔や風景がページごとに現れます。時の流れをしみじみ感じます。過ぎた過去に、一瞬戻ったように、懐かしく、浸ります。しかし、それは過去ではありません。存在するのは現在、今この瞬間の写真なのです。あるのは今であって、過去ではありません。そんなことは当たり前、何でいまさら、と思うでしょう。考えはそうです。でも、感覚はそうではないのです。アルバムを見て感じるのは過去から現在に連綿と続く時の流れなのです。そして、これからも続いていくだろう時の流れなのです。しかし、これは、時そのものを直接見たり聞いたり触ったりしているわけではないのです。これは時そのものではないのです。しかし、この感覚が、「時」そのものが存在しているように思わさせる原因なのです。
 では、時計の表す時刻はいったいなになのかを考えてみましょう。
 時というものがあって、それをできるだけ正確に表すようにしたのが時計であると誰もが考えます。本当にそうでしょうか。
 まず、古い時計からです。
 一番原始的な日時計です。朝だ、昼だ、夜だという感じで時の概念が生じていったのでしょう。それが、日時計という装置になって現れていったと思います。
 では、この日時計であらわしているのはいったい何なのでしょう。日時計は、影の指す方向によって時刻を表しています。影の指す方向とは何かというと太陽の位置です。太陽が出て、沈むまでを12に分けてその一メモリを1時間としたのが時間や時刻の始まりでしょう。そして、太陽が出て、もう一度同じところに戻るまでの間を1日とし、それを24に分けて一日の時刻が割り振られたのです。太陽の位置は何で決まるかというと、地球の自転によって決まります。地球の自転が時刻や時間の元になっています。時刻は、地球の回転という、物理現象を割り振ることによってできています。見えない、聴けない、触れない、具体的には何もない時間というものを計って作られたものではないのです。
 現代の、アナログの時計もやはりこの地球の回転を基に作られています。デジタルにしろ何にしろ、基本は同じです。われわれが時間と思っているものは、実は、地球の回転なのです。
 もし、時というものが何か具体的に存在するとしたら、それを元に時刻は決めなくてはなりません。宇宙の片隅の銀河の、その片隅の太陽系の、点にもならない地球の回転で、どうして宇宙全体の時間が決められるのでしょう。あるのは、時ではなく物の変化だけなのではないのでしょうか。
 過去は存在した。しかし今はもうない。未来は必ずやって来るだろう。しかし今はまだない。あるのは今、この瞬間だけなのです。1秒昔も、1秒未来も存在していません。存在するのは、常にこの今の一瞬だけなのです。
 過去も、未来も存在しないのです。あなたはいつも今日といいます。昨日から見ると明日のはずだったのに。明日になると、必ず今日といいます。昨日も明日もあるように思えます。しかし、あるのはこの今の一瞬だけなのです。昨日はもう存在しないのです。昨日が存在したのは、昨日が今だった瞬間だけなのです。昨日が存在するのは、あなたの今の瞬間の記憶と、アルバムの中だけなのです。もちろん明日はまだ存在していません。そして、ある意味で、明日は永久に来ないでしょう。
 時は本当は存在していないのではないでしょうか。あるのは出来事だけ、今瞬間瞬間の事物だけなのではないでしょうか。そして、その事物の変化を時と錯覚しているのではないでしょうか。
 
 時空というのは、存在していないのではないでしょうか。少なくとも、それを直接、見たり、触ったり、聞いたりはできません。そして、何一つそれに働きかけることもできません。そんなものがあるといえるのでしょうか。

 雑談目次
アインシュタイン空間は絵空事