「重力とはなにか」(大栗博司著)への手紙26
著者 高田敞
(以下{ }内は上記本よりの引用)
問題1
エディントンの観測(太陽の重力のために星の光が曲がったという観測)
考察
星の光は、地球では大気で曲がります。これは日の出や、日の入りの時刻が計算よりずれることから証明されています。また星のまたたきは、光が大気で曲がることが原因です。そのほかにも光が曲がる現象はいろいろ観測されています。それは、空気や水や、ガラスなどのために光が屈折したために起っています。地球上ではただの一つも重力で曲がった幻現象はありません。
だから、エディントンの観測でも、星の光が、太陽の大気によって曲がった可能性はあります。エディントンの観測した星は、太陽コロナの中に写っています。観測した星の光は太陽大気の中を通っているということです。だから、星の光は太陽大気によって曲がったといえます。
エディントンの観測から、星の光が太陽重力で曲がったというなら、太陽大気は星の光を曲げないということを証明しなければなりません。この証明はなされていません。したがって、太陽重力が星の光を曲げたとは言い切れません。
同じように、重力レンズ効果も、宇宙のガスによる屈折現象である可能性があります。銀河にしろ、銀河団にしろ、水素のガスに満たされているのが観測されています。巨大な水素の塊です。水素のレンズです。そこを通る光は曲がるはずです。その宇宙のガスによる屈折ではないと証明しなければ、重力レンズであるとは言い切れません。
光が気体によって曲がる現象は地球上で観測されています。またその仕組みも分かっています。一方、重力によって、光が曲がる現象は今のところ一度も直接には観測されていません。
太陽の近くで光が曲がることや、銀河団や、銀河によって光が曲がる現象は、気体による屈折現象であるという既存の理論で必要十分に説明がつきます。既存の理論で説明できる現象を、新たな理論の証拠にはできないという科学のルールがあります。しかし、天才の言ったことと同じ現象であるから正しい、というのは科学の方法論にはありません。権威主義の方法論にはあります。したがって、科学なら、エディントンの観測や、重力レンズは、重力で光が曲がるという理屈の証拠にはなりません。
結論
これは、相対理論家の手前みそです。都合のいいことしか取り上げていません。都合の悪いことを意図的に無視しています(物理学者が、大気で光が曲がることを知らないはずはないですから)。都合の悪いことを取り上げて、それを科学的に否定することが科学の手法です。科学の手法から完全に外れています。相対論者は今からでも遅くありません、太陽大気によっては光は曲がらないと証明しなければなりません。できないでしょう。やっぱり無視しかないですよね。