「重力とはなにか」(大栗博司著)への手紙20

著者 高田敞





(以下{ }内は上記本よりの引用)

問題1

{消せる重力、消せない重力}と題して、

ア 消せる重力は

{エレベーターが地球の半径よりずっと小さくて、地球からの重力がほぼ一様であると考えられる時に成り立つことです。}

イ 消せない重力は

{地球と同じくらいの大きさのエレベーターの中では、重力は一様でないので、エレベーターを自由落下させても重力を消すことはできません。

考察1

これでは大きさの差が極端です。境界線を見つけなくてはなりません。大きさ何メートルまでのエレベーターの中では重力は消える。何メートル以上では消えない、ということをはっきりさせなくてはなりません。

素晴らしい計算式を駆使しているのが相対論なのですからそれくらい朝飯前でしょう。でもできないでしょう。そんな境界はないからです。一辺1万キロメートル立方のエレベーターと、一辺3メートル立方のエレベーターを比べることくらいしかできないのです。なぜなら、一辺3メートル立方のエレベーターの中でも、厳密に測れば潮汐力は存在するのです。もちろん50センチのエレベーターの中でも発生します。なぜなら、そのエレベーターの中でも上と下はあるからです。引力の強さは距離に比例するから、少しでも差があれば、引力は変わります。差が大きいか小さいかだけのことです。重力はエレベーターによって消えたり消えなかったりするのかもしれませんが、万有引力はどのエレベーターの中でも消えません。だから、50cmのエレベーターの中でも厳密には引力は一様ではないのです。

重力が普通のエレベーターの中では消え、大きなエレベーターの中では消えない仕組みを示さなくてはなりません。{地球からの重力がほぼ一様であると考えられる時に成り立つ}ではだめです。{ほぼ}は差があるということです。ほぼ同じといえるけれど、厳密には違いがあるということです。

フワフワ浮いているというのもだめです。どちらのエレベーターでもフワフワ浮いているのは同じです。普通のエレベーターではフワフワ浮いているのが、重力が消えた証拠で、大きなエレベーターではフワフワ浮いていても重力は消えないということの原理を示さなくてはなりません。同じ現象なのに結論は正反対になるのですから、その原理を示さなくてはなりません。

また、どのような原理から、普通のエレベーターでは重力は遮られるが、大きなエレベーターでは重力が遮られないのかを示さなくてはなりません。その原理もないでしょう。なぜなら、重力をさえぎる物質は今のところありません。どちらのエレベーターの中でも、人は地球に向かって落下しているのが事実です。窓があろうが無かろうが、目隠ししようが、鎖でつなごうが睡眠薬で眠らせようが、20階からエレベーターが落下したら、フワフワ浮いていようがいまいが、下にたたきつけられて死んでしまいます。重力が消えたなら、下にたたきつけられるはずはありません。永久に浮いているはずです。


考察2
 式から見る、加速と重力と万有引力

F=力  a=加速度  M,m=質量  g=重力加速度  G=万有引力の比例定数  r=Mとmの距離

加速    F=ma

重力    F=mg

万有引力  F=GMm/r2

 aとgが等しい時、加速と重力が同じになる可能性がある。しかし、万有引力は、両方の質量がかけあわされている。したがって、加速と、万有引力は等しくなれない。

 なぜ重力は、mgでいいのかというと、リンゴの落下だからである。地球と、リンゴは、あまりにも質量が違いすぎるので、リンゴン質量は実質的に落下に関係なくなるから、定数のgになっている。定数のgの中にリンゴの質量が含まれているかというと、そうではない。リンゴの質量は関係ない。

 加速も一方的である。そこで、万有引力では等価と言えないから、重力にしたのであろう。いや、落下にするしかなかったのである。

 

結論

 加速と、重力は等価といえる可能性はあっても、万有引力とは等価とは言えません。

 アインシュタインは天才です。だから、彼の言ったことをとにかく何でもいいから、正しいと裏付けるように理屈を組み立てようとしているだけです。かつての聖書と、科学の関係と同じです。聖書を裏付けるために科学が存在したということです。今は相対論を裏付けるために物理学が存在しています。悲しいことです。