「重力とはなにか」(大栗博司著)への手紙13

著者 高田敞





(以下{ }内は上記本よりの引用)

問題1

 {3次元の空間では、縦、横、高さの3つの情報があれば位置が決まります}

考察

 特殊相対論では、空間は速度によって伸び縮みすると述べています。すると、速度によって、横が縮まったり縦が縮まったり、高さが縮まったり、斜めが縮まったりするはずです。単純に、縦、横、高さではないはずです。シンプルイズベストと言いながら、相対論はそうは問屋が卸さないのではないですか。もちろん重力でも空間は伸び縮みするということですから、それも加味しなければならないから大変です。


問題2

 待ち合わせの場合、場所の位置だけではなく{そこに「午後三時に」という四つ目の情報=時間を加えて始めて、「時空」における位置が決まるわけです。}

考察

「午後三時に」だけではだめです、いつを決めるには、何年何月何日の「午後三時に」としなければなりません、そうしないと2012年の10月9日の「午後三時に」か、2029年の1月3日の「午後三時に」か分かりません。日を特定しなければなりません。

ところがそこまで特定しても、それでも、相対性理論ではことはうまくいきません。ニュートン理論なら、時間は、絶対でしたが、アインシュタイン理論では光が絶対で、時間は不特定だからです。

だから、ここでもやはり時間に問題が出ます。速度や重力で時間が伸び縮みします。だから「午後三時に」といっても人により場所により時刻が違ってきます。ある人の時計が午後三時のときに、ある人の時計は午前二時を指していることだってあります。

たとえば、一般相対性理論では、太陽は重力が大きいので、1年に1分地球より時間が遅れるといいます。すると、太陽系ができてから46億年間に、太陽は、46億分地球より遅れているはずです。「午後三時に」といっても太陽には通用しません。太陽に時計があったなら、太陽の時計は今から8752年前、紀元前6740年のどこかの月のある日のある時刻を指しているはずです。いくら時刻を指定しても、時刻が違うのですから、自分の時計の時刻の待ち合わせ時刻で行っても、会うことはできないはずです。

でも、いくら遅れたって大丈夫です。現実の太陽は、太陽の時刻、紀元前6740年のある時刻ではなく、地球の今の時刻に合わせてちゃんと現れてくれています。ありがたいことです。
 月だってそうです。月は地球より軽いから、相対論だと、時計の進み方が地球より早くなります。46億年の間に、月は地球よりずいぶんと未来に行っています。でも、夜道が暗いと困るから、ちゃんと今の地球の上に現れてきてくれています。ほんとにありがたいことです。それも、わがままを言わずに、今の地球時刻に合わせてくれています。だから、過去の太陽のまわりを現在のの地球が公転し、その地球のまわりを未来の月が公転しているということになります。

では相対性理論で人間を考えてみましょう。
 人間は普通の速度、普通の重量だから、考えなくていいでしょうか。そうではありません。人間を構成している原子はみんな大昔から存在しています。今たまたま人間の体になっているだけにしかすぎません。ビッグバン宇宙理論では宇宙のすべての物質は、今から137億年前にできたことになっています。それより前でも後でもありません。

その時できた原子は、さまざまな経過をたどって人間に行きつきます。ある原子は、超高速度で飛びます、ある原子は巨大な星の巨大な重力の中で何億年か過ごします。ある原子は、ほとんど重力のない宇宙空間をのんびり漂っています。だから、相対論だと、原子により時間の経過は様々になります。したがって、人間を構成している原子の今の時刻は、どれ一つとして同じではありません。1000年も、ひょっとしたら1万年も違った時刻の原子同士がくっついて分子を構成したりしています。なぜ異なった時刻の原子が、すべて今のこの時刻にある人の体に集合しているのでしょうか。

「午後三時に」と指定しても、体のどの原子の時刻で「午後三時に」と決めればいいか決められないのではないでしょうか。

何言ってる、時刻は時計で決めるに決まっている、というのでしょうか。時間は時計ではありません。時計は、地球が1回転する間に、短針が2回転するように作られただけのものです。本当の時間ではありません。アインシュタインは、時計に精通していたから考えたというけれど、そうなら出発点から間違っています。時計は本当の時間ではありません。時間の概念が根本から間違っています。

このように、相対論では、速度や、重力で時刻が違っても、現実の物質は、必ず、今という時刻に出現します。出現するのはいいけど、それぞれに時刻が違っていては困るので、相対論者は時計の時刻を合わせます。

ガモフは「不思議の国のトムキンス」の中で、自転車に積んだ時計を合わせます。もちろん指でです。そして「時計をいちいち合わさなければならない。めんどうくさいことだ」言います。またこの本のカーナビの説明でも相対論効果の時間合わせをしています。カーナビの人工衛星の時刻をいつも地球時刻の今に合わせているということです。これはさすがに指ではないでしょう。コンピューターで自動制御して合わせているのでしょう。
 相対論効果による時間の遅れも、時間の進みも、指で時計の針を回せばチャラになるというのですから、人の指も、時間を左右する力を持っているようです。人間の指はタイムマシーンです。すごいことですね。

 地球上の「今」は、この宇宙の、すべての物質を吸着する魔法の時刻のようです。

相対論効果で違う時刻になった太陽も、月も、カーナビの人工衛星も、人も、必ず、一瞬の狂いもなく地球上の「今」に出現しています。指定は「午後三時に」ではなく「今」しかありません。これは何を表しているのでしょうか。簡単です。「今」は宇宙のすべての物質が出現している時刻ということです。宇宙すべて「今」という絶対時間にあるということです。

結論

現実の物質は絶対時間で現れています。相対論でいくら時間を伸び縮みさせても現象は絶対時間で現れています。時間の伸び縮みで遅れて来たり、早く来すぎたりしている現象は何一つ観測されていません。

 ここでもやはり現実をとるのか、天才の理論をとるのかの2者択一です。