遍路の旅 
はじめに
 

 四国八十八箇所を巡礼しようと思ったのはいつのころからだろう。それは、ついここ数年のような気がするし、もっとずっと以前からのような気もする。子供のころ、母が、よくお遍路さんの話をしていたときからなのかもしれない。あるいは、ここ何年か、子育ても終わって、やっと自分がどれだけ親不孝をしていたかが分かってからかもしれない。

 なんにしろ、退職したら、四国巡礼に行こうというのはここ数年は、一種憧れに似た思いであったことは確かである。
 それは、今までの親不孝の償いという意味での母と父との3人旅であるという思いもあったし。自分の次の人生への一種の入試のような気持ちでもあった。
 あなたはお化けや霊を信じますかと聞かれたら、躊躇せずに、「いいえ」と答えるでしょう。そのくせ、どこかで、死んだ父や、母にいまだに守られているという気がしていたり、運命的なことをなんとなく受け入れていたりする。そういう、部分が、巡礼に出かけた心の要素なのだと思う。
 ところが、この歩いた43日の間に、もうひとつの要素もあるのかもしれないという思いがずいぶんしてきました。それは「お大師さんに呼ばれた。」という思いです。
 まいにちまいにちの、偶然といえばそれで尽きてしまう、けれど、ささやかな不思議といえば、そういえなくもない、小さな出来事のひとつひとつが、足を先へ先へと進めているという思いです。
 同じようにいろんなところで出会ったお遍路さんと話していても、自分の意思で歩いているようでいて、ほんとうのところは、誰かに歩かされているのではないかという思いがずいぶんしたものです。

春の始まりに出かけ、春の盛りに終わりました。43日間の「ささやかな不思議の国」の旅でした。
山と、海と、やさしい人々のすむ小さな町々と、空の間を抜けて行きました。その歌を載せます。

へいこく記  2004年5月6日

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