21章 古典力学と特殊相対性原理の根拠はどれほど不満足のものであるか?

1 問題

(ほかの諸質点から十分にへだたった質点は、直線的に一様な運動をするか、静止状態を続けるかである、という命題から古典力学は出発する。またこの根本法則は、相対的にお互い一様な並進運動をしている、ある特殊な運動状態にある基準体Kにだけあてはまるものであることを、しばしば強調しておいた。この法則は、ほかの基準体Kに対してはあてはまらないのである。したがって、古典力学においても特殊相対性原理においても同様に、それに対して自然法則が適合する基準体Kと、自然法則が適合しない基準体Kとが区別されるのである。・・・(一定の基準体を、ほかの基準体に対して優先特記することがどうしてできるのか?)・・・古典力学の中で(または特殊相対性原理の中で、基準系KとKに対する物体の異なった振る舞いをそれに帰すことができるような、何か実在するものがないか、とむなしく求める。)

そして、(ニュートンはそれを無効にしようとしたが徒労に終わった。)そして、(この異論は、一般相対性原理に即応する物理学によってのみ避けられるであろう。)と述べている。

 

2 考察

(自然法則が適合しない基準体K)は特殊相対性原理に出てくる基準体Kであろうと考えられます。特殊相対性原理以前の法則では、このようなことはありません。(ニュートンはそれを無効にしようとしたが徒労に終わった)とありますが、ニュートンは基準体KとKを明確に区別しています。

 アインシュタインのいうような、(自然法則が適合しない)運動がこの世界にあるとは考えられません。もしそんなものがあったとしても、それが現実に起こっているならそれも自然法則の一部になるはずです。

 すなわち、それは自然が不合理なのではなく、アインシュタインが自然法則を解明し尽くしていないか、あるいは、間違った解釈をしているということが原因だと思われます。

 アインシュタインは、このことを、間違った解釈ではなく、解明し尽くしてないというほうをとっています。そして、この問題を解決するのは一般相対性原理だといっています。要するに、一般相対性原理の必要性をいうために特殊相対性原理と、その元となった(本当はつごうがいいところだけを取り出しているのだが)古典力学を否定しているのです。

 私は、今まで述べてきたように、特殊相対性原理にいわれる物体の運動は、現実には存在しない現象と思っています。古典力学はそうではありません。ニュートンは現実の現象から法則を見つけ出しました。アインシュタインは、自分の思い込みから法則を作り出しました。そこが大きな違いです。

 そこで、本当にKが一般相対性原理によって自然法則に適合するのかを検討してみます。


ア 原因

 アインシュタインは(古典力学においても特殊相対性原理においても同様に、それに対して自然法則が適合する基準体Kと、自然法則が適合しない基準体Kとが区別されるのである。)と述べています。古典力学も、特殊相対性原理でもだめだといっています。

 アインシュタインは、古典力学は不備があるといっていますが、今のところそれを裏付ける事実で、完全なものはありません。地球上の物体の動きも、かなり正確に観測できる範囲の宇宙の動きも、今のところ、ニュートンの法則で十分説明できます。古典力学で発見した法則は、自然の物体の動きに一致します。

{※ (自然法則)とは具体的に何を指しているのでしょうか。古典力学がこれと一致しないとすれば、人間が知っている以外の未知の法則です。古典力学は自然現象とほとんど一致します。一致しないというのはアインシュタインが言い出したことです。微妙なところで一致しないと言っているが、それは、自然現象と比べてではなく、相対性原理と比べて、ということです。たとえば、物体が縮むとアインシュタインはいっていますが、その現象は一度も観測されていません。ということは物体は速度では縮まないという古典力学の法則のほうに一致しています。時間が縮むともいっていますが、その現象も現実には観測されていません。やはり古典力学のほうに軍配が上がります}

 (自然法則が適合しない基準体K)というのはどこから出てきたのでしょう。それは特殊相対性原理です。(あらゆる運動は、その概念からして相対的運動としてのみ考えねばならない)という考え方です。今まで述べたように、この考え方は、実際の現象と一致しません。もちろん古典力学とも一致しません。しかも、問題は、特殊相対性原理の基準体Kだけにあるのではなく、基準体Kにもあるのです。これが自然現象に反しているのです。どこが自然現象に反するのかというと、基準体Kも、Kも、動いているのに絶対静止になるというところです。動いているものは、条件次第では相対静止にはなれても、絶対静止にはなれないのです。それが原因なのだから、問題は古典力学ではなく、特殊相対性原理にあるといわなければなりません。

 {※ 特殊相対性理論のKとKはどこが違うかというと、Kを基準としたとき、Kの慣性系に含まれないKの慣性系の物が動くとするとき矛盾が生じます。Kが一番大きいのだから、すべての物体がKに含まれています。だから今まで述べてきたように、Kを地表面にとり静止と便宜上考えてもすべての運動は、矛盾が生じないのです。しかし、Kの慣性系に含まれないものがあると、それに対しては矛盾が生じます}

 古典力学にその原因があるというのは濡れ衣ではないでしょうか。ちなみにニュートンは、物体の運動は絶対的である、と考えています。すなわち、基準体Kは絶対静止空間で地表ではありませんから、決して動きません。その基準体に対してし他のすべての基準体Kは必ず動いています。宇宙にはそういう基準体K〈絶対静止座標〉が存在するとしたのです。この点で、KとKは完全に区別されています。  

 では、一般相対性原理で、この自然法則に合わないKの問題を解決できるのかを考えてみます。


イ 一般相対性原理は自然法則に一致するか

 今まで出てきた一般相対性原理は、20章の加速される箱です。その箱の中は、基準体Kでした。基準体Kはどこかというと(空虚な空間の広大な部分)でした。

 このKとKの関係からこの問題を考えてみます。

 箱の中Kで物体を放すと落下する、という主張でした。

 そこで比較実験をしてみます。

 慣性の法則では、列車に乗っている人が物体を列車内で放そうが、列車外で放そうが同じ現象が起こります。なぜなら、物体は放される前まで、列車の速度と同じ速度で運動していたからです。列車内であろうが列車外であろうが放されたときの物体の持っていた速度〈運動エネルギー〉は同じです。したがって、空気の抵抗がなければ、同じ軌跡を描きます。車内と、車外同時に放すと、並んで落下していきます。このふたつとも車内の観測者に対してはまっすぐ落下し、車外の観測者に対しては放物線を描きます。特殊相対性原理では、これをまったく違う現象としていますが、そうではありません。実際は同じ現象が、観測者との相対速度が違うために、観測者と物体との相対速度の差が見かけ上現れただけにしかすぎません。もちろん、車内の観測者に対してまっすぐ落下するのは、一部の相対性理論家が言う、慣性の法則が破れた、ためではありません。

 そこで、20章の箱ではどうなるかを考えてみます。

 物体を、箱の外で放します。これを、KとKの関係を見るために、基準体K(空虚な空間の広大な部分)と、基準体K(箱)から観測してみます。

 箱の中で放した物体については、20章にあるので触れません。箱の中の物体と外の物体は、箱の中の物体が床にぶつかるまで、平行して同速で動きます。床に穴があって、中の物体がそこから外に出たら二つの物体は同じ運動をするはずです。以下のAの解釈は、このことを元にして考えてあります。

 

@ 基準体Kからの観測

 加速しながら移動している。(ザイルで引っ張られている)

箱の外に放された物体

 等速直線運動をしながら箱と同方向に移動している。速度は、放された瞬間の箱の速度と同じ。〈慣性の法則〉

基準体Kの観測者

 箱とともに加速しながら、移動している。

基準体Kの観測者

 静止している。

 

A 基準体Kからの観測

(アインシュタインの相対性原理で考えた運動)

 静止している。

箱の外に放された物体

 加速しながら@の物体と反対方向に動いている。最初は@の物体の速度より遅いが、加速されているのでやがて@の物体より速くなる。

基準体Kの観測者

 静止している

基準体Kの観測者

 加速しながら移動している。@の箱と反対方向に、@の箱と同じ加速度で動いている。Aの物体より速い。

 

B 考察

@の考察

 箱が加速されているのは、ザイルで引っ張られていることが原因。加えられたエネルギーと、運動はこれまでに発見されている古典力学による自然現象の法則〈以下、自然現象の法則という。アインシュタインのいう自然法則がなにを指しているのか不明であるため〉に一致している。

箱の外に放された物体 

 放されたときの速度を保っている。新たなエネルギーは物体に加わっていないので、エネルギーと、運動は自然現象の法則に一致している。慣性の法則。

基準体Kの観測者

 箱の床に押されているので、そのエネルギーによる加速運動。エネルギーと、運動は自然現象の法則に一致している。

基準体Kの観測者 

Kの観測者は静止している。Kの観測者には力が加わっていないので、移動しないのは、慣性の法則のとおりである。

 

 以上のことは、Kが実際は動いている場合でも、Kの観測者と箱は、(空虚な空間の広大な部分)を共通舞台とする、同じ慣性系の中にあるので、(空虚な空間の広大な部分)の運動は共通項として省かれるので、Kが静止していると仮に考えてもよいことになることからの解釈である。

 したがって、上のような運動状態であると考えてもガリレイの法則に反しない。これは地球上のすべての物体が、地球の運動と引力を力として持っているので、地球が静止していると考えても、地球上の物体の運動は自然現象の法則と近似値(厳密には地表は直線運動ではないため)がでるのと同じ原理である。しかし、Kより大きな基準体に対しては、動きが異なる。太陽の中心を基準にすると、地球上のすべてのものの動きに、地球の自転と公転の速度を加えなければならないのと同じ原理である。

Aの場合

 静止している。このとき、ザイルによって箱に加えられている力の作用が消えている。加えられた力にともなう運動がないのは、自然現象の法則に反する。

物体

 加速しながら@の箱と反対方向に加速運動しているが、この物体には新たな力が加わっていない。力が加わっていないのに加速運動をするのは自然現象の法則に反する。

基準体Kの観測者

 ザイルを伝わってきたエネルギーが箱の床を通して、観測者をつねに押し続けているはずなのに静止しているのは自然現象の法則に反する。

基準体Kの観測者

 加速しながら移動しているKの観測者には、力が加わっていないのに加速されているのは、自然現象の法則に反する。

3 まとめ

 このことから、一般相対性原理においても、基準体Kは自然現象の法則に反するということがいえます。

 理由を@で考えた地球で考えます。地球上の物体の動きは、地球が仮に静止しているとしても不都合はなかったのは述べました。しかし、このとき、地球外の物体にまで範囲を広げるとどうなるでしょう。たとえば太陽まで範囲を広げたときです。このとき、地球を静止しているとしたら、太陽が地球を1日1回回ることになります。これは現実の現象に合いません。原因は、太陽は地球表面の運動エネルギーの範疇に入っていないからです。

 基準体は、その範囲を限られているのです。その範囲は、基準体の慣性系に入っている物だけに限られるのです。

 箱にともなう動きは箱の中にあるものの間にしか通用しません。外の世界、この場合、(空虚な空間の広大な部分)には通用しません。

 もし、この基準体K(空虚な空間の広大な部分)が動いていたら、その中の動きは、それより〈大きい空間〉には通用しません。KがKになり、同じ矛盾が生じます。

 基準体Kが矛盾を持たないのは、Kが絶対静止のときだけです。すると、Kも、それに対して動いている座標として、計算できます。Kの中の物体の動きは、Kに対して絶対速度で計算できるので、現実の現象との矛盾はなくなります。  

 

 以上のことから、(一定の基準体を、ほかの基準体に対して優先特記することがどうしてできるのか?)・・・古典力学の中で(または特殊相対性原理の中で、基準系KとKに対する物体の異なった振る舞いをそれに帰すことができるような、何か実在するものがないか、とむなしく求める。)の答えは明確になります。

 (ほかの基準体に対して優先特記)できる基準体は、絶対静止だけです。これを、絶対静止座標Kとし、他を、それに対して動いている座標Kとすれば問題はなくなります。Kは、その慣性系を共通に持っているものの中でだけ仮に静止するとしても差し支えない基準系になれます。こうすれば、Kを優先特記できます。そしてこれは今まで書いてきたように、アインシュタインの主張する相対性原理より、はるかに自然現象に一致します。

 (何か実在するものはないか、とむなしく求める)とあります。特殊相対性理論では、基準体は剛体でした。この宇宙はすべて万有引力に支配されています。したがって、宇宙のすべての剛体は万有引力による加速運動を行っているので、宇宙に静止している基準体はないということになります。だからといって宇宙に絶対静止はないと断言することはできません。物体のすべての運動が、絶対速度であると考えることはできます。ガリレイやニュートンの考え方です。

 光で考えてみます。アインシュタインは、光速は絶対速度であると考えました。真空中で秒速30万kmです。ここまでは、アインシュタインもニュートンの考え方も同じです。

 アインシュタインは、光速は、基準体Kに対しても30万km。基準体Kに対しても、30万kmと考えました。

 これに対しニュートンの考えから光速を考えると、光速は、基準体K〈絶対静止)に対しては30万kmだが、基準体Kに対しては相対的な速度が現れ、〈光速〉−〈基準体Kの速度〉という速度になります。

 すなわち、(実在するもの)は、絶対速度で動いている全宇宙の物質であり、光であると考えられます。そこから逆算すると、絶対静止座標が出てきます。

 これが特記される基準体Kです。すなわちニュートンのいう、絶対静止空間です。

 この絶対静止空間があっては特殊相対性理論が成り立たないので、はっきりした根拠もなく、基準体は剛体でなくてはならないといっているように思えます。そこから始まったのが特殊相対性理論です。そろそろ、ほとぼりは冷めたろうと一般相対性原理では空間を復活させています。今度は空間が必要になったようです。つごうで論理をころころ変えるというのはあんまりいいやり方ではないように思えます。

 

 アインシュタインはどこで間違ったか。それはガリレイ基準体です。ガリレイ基準体は基準を慣性系におきます。慣性系の中にあるものの動きは、慣性系の速度を0にしても大丈夫です。その一番手近な例が地球表面です。ところが地球表面は動いています。すなわち、動いているものでも基準体にすると、それが静止しているとみなしてもいいということのように思えます。そこで、基準体はなににしてもいいということにしてしまったのです。もちろん上に書いたように、それは間違いです。静止しているとしていいものには厳しい条件があるのです。

 表紙

第22章 一般相対性原理からのいくつかの結論