光速度不変の原理A

(以下{ }内は「わかる時空」よりの引用)

問題1 マイケルソン・モーリーの実験は光速度不変の原理を証明できたか

考察1  


(1)マイケルソン・モーリーの実験が光速度不変の原理を証明できない理由1 光速度不変の原理の実証実験

 光速度不変の原理の実証実験になるといわれている実験は{1887年に,アルバート・マイケルソンとエドワード・モーリーによって行われました。同種の実験は,その後も行われていますが、光速の変化は見出されていません}ということでこの本ではこれを持って光速度不変は証明されたと述べている。しかし、異論はくすぶっている。相対性理論家はそれを無視し続けている。そこでこの実験は光速度不変の原理を科学的に証明できたのかを考えてみる。

 ア アルバート・マイケルソンとエドワード・モーリーの実験についての異論

 インターネットサイトMaxmisu科学館より、三須氏の意見

 アルバート・マイケルソンとエドワード・モーリーの実験の測定結果は、周期180度のわずかな周期変動をとらえている、と述べている。

 そして、これの説明に

 マイケルソンの見逃した媒体空気(屈折率n=1.003)を入れて計算し、マイケルソンの観測したわずかなぶれを解析すると、地球絶対速度として、300〜500km/sという速度になる、という意見である。

 この意見では、アルバート・マイケルソンとエドワード・モーリーの実験の測定結果には光速度不変の原理の根幹である、地球の光に対する0km/sという速度はない。また、測定の近似値や、誤差の範囲にも、0km/sは存在しない。すると、この実験のどこから、{光速の変化は見出されていません}という結論が出たのだろう。

 答えは簡単である。0km/sという相対性理論家にとっての答えがあったからである。答えがなぜあったかというと、アインシュタインが特殊相対論の根幹としてそう述べているからである。正しい答えがあるのだから、その値以外の実験の値は、すべて間違い(誤差ではない)になる。だから、実験で出てこなかった0km/sが出てきたのである。実験はどんなものでもよかったのである。実験の前から答えは決まっているのだから、実験がありさえすればそれで証明になるのである。ところで、面白いことに、アインシュタインは、この実験を光速度普遍の原理の証明実験であるとは言っていないのである。

(1)マイケルソン・モーリーの実験が光速度不変の原理を証明できない理由22  検証実験(ミラーの実験)

 アルバート・マイケルソンとエドワード・モーリーの実験にたいして、ミラーが検証実験をしているということである。

(微小ながらも周期的に変化をする干渉縞が観測されています。この結果に対しては、測定精度によるばらつきとして扱われていますが、あまりにも規則的な干渉縞の変化を説明するには不十分。)との意見である。「注:( )内はインターネットサイトMaxmisu科学館より、三須氏の意見」

 もし観測制度によるばらつきなら、実験に現れたのは周期性なのだからその測定された周期性を中心にしてどこかに正しい値が存在するはずである。そのひとつの可能性として、周期性は0ということがあるだけである。それが普通の実験の誤差を考えるときの方法である。誤差だから、なしにして、0にするというのは、実験結果を検討するときの方法ではない。そのうえ、三須氏の意見では、この誤差の範囲にさえ0km/s入っていない。

 重要なのは、このどちらの実験でも、周期性はない、すなわち、光の速度は地球の速度に影響されていないという測定結果は存在していないということであるから、この、マイケルソン・モーリーの実験をもってして、光速度不変は実証されたとはどこをとってもいえない。

 

{同種の実験は,その後も行われていますが、光速の変化は見出されていません}というのはミラーの実験を完全無視しているといえる。この記事を書いた人がミラーの実験を知らないわけはないのだから。

 不都合な事件や観測を、無視するのは科学者がやってはならない一番の行為のはずだ。あらゆる疑問、反論を、真摯に考えることこそ、科学の方法ではなかったのだろうか。

 科学の方法論を私が説いても仕方がないが、少なくとも、{同種の実験}を、誰が行って、その結果周期性は観測されなかったという具体例を示さなければならない。しかも、周期性が観測されている実験があるのだから、それに倍する実験数でなければならない。しかし、この本では肝心な周期性のない実験の具体例は示されていない。おそらく光速度不変を示す同種の実験が存在しないから書けないのだろうと思われる。もしそうなら悲しいことだ。

(3) 二つの実験の解釈

 {光速の変化は見出されていません}と「Newton」では述べているが、上のような実験の解釈や、検証実験があるのだから、{光速の変化は見出されていません}というためにはその根拠を書かなければならないはずである。まさか、二十世紀最大の天才アインシュタイン様が光速の変化はないとおっしゃっていらっしゃるのだから、光速の変化はない、というのが正しい結果だ、それ以外の結果が出たのは間違いだ、というのだろうか。

 元になる実験も、検証実験も、光速度不変の原理を証明する結果は出ず返って反対の結果がでていることから、マイケルソン・モーリーの実験は光速度不変の原理を証明する実験とはいえないどころか、光速度は観測機器に対して変化する、すなわち、光速度不変を否定する根拠となる実験であるといえる。

考察2

 アメリカの人工衛星によって、宇宙背景放射と、地球の相対速度が測られている。これは背景放射の赤方偏移から測られた。

 宇宙を飛ぶ光にたいして、地球は秒速600km/sほどであるということである。あきらかに、地球と光は相対速度を変えているということである。

 この結果は、マイケルソン・モーリーの実験に現れた周期性の誤差の範囲に一致する。

結論1

 このことから、光速度不変の原理は間違いであるといえる。

 

問題2 

 {速度の基準を考えなくても、電磁気学の計算から、光速の値が自然に出てくるのだから、光速の値は速度の基準に関係ないはず。つまり、光速はどんな基準から見ても(どんな速度で運動している人から見ても)同じはずだ}

考察2

 これが、アインシュタインが光速度普遍を考えた大きな理由である。(マイケルソン・モーリーの実験からではない)

 ニュートンの考え方だと、この世界には基準はひとつしか存在しない。すなわち絶対空間である。他の基準はひとつも存在しないのだから、速度の基準を計算に入れる必要はないことになる。

 このことから{速度の基準を考えなくても、電磁気学の計算から、光速の値が自然に出てくる}事から、{光速の値は速度の基準に関係ないはず}ということが確定したとはいえない。同じことから、この世界の基準は絶対空間しか存在しない、という結論も導き出せるのである。

結論2

 たんに手前味噌な解釈にすぎないことである。どちらが正しいかは、観測や実験で実証するのが科学である。そして上に書いたように光速度の変化は観測され、光速度の不変化は観測されていないのである。

 光速度不変の唯一の証拠は、偉大なアインシュタイン様がおっしゃっておられる、ということだけなのである。


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