時空の伸び縮みD

問題

{空間の縮みを利用すれば,どんな遠くへも到達可能}

ということで、宇宙船の速度と、空間の縮む割合が表に示されている。それによると、宇宙船が光速の99%では、空間の縮みは元の長さの0.14倍、光速の99.9999999999%では元の長さの0.0000014倍に縮むということである。

 

考察

 光の速度を始めて見積もったのは、レーマーという人である。

 彼は木星の衛星の食の周期が違うことから、光の速度を求めた。彼は、食の時間差は地球と木星の距離が変化することによる、と考えた。地球と木星がそれぞれの公転のために遠くにあるときと、近くにあるときの距離の差が時間差になっていると考えた。そのことを利用して、彼は、光は秒速20万キロと計算した。

 光速を正確に計算したのはリシェである。彼もレーマーと同じ考えで計算した。違いはリシュのほうが正確であったということだけである。彼は、食の時間差は最大16分、距離の差は最大3億km(地球の公転軌道の直径)という観測結果から計算している。

 これはいたって簡単な計算である。小学校で普通に習う算数の速度の計算、この本にも書いてある、距離÷時間に当てはめればいい。おおよそ3億キロ÷1000秒=30万kmという計算になる。

 これによって、光の速度が測られたとされる。

 問題なのは、これには、特殊相対性理論が出てこないことだ。通常の速度の世界では特殊相対性理論は考慮しなくていいが、光速に近くなると、相対論効果が現れるので考慮しなくてはならないはずなのに、レーマーや、リシェの計算の中には出てきていない。もちろん、現在の光速の計算にも出てこない。

 何が問題かが分からない人もいるので書いておく。

 木星からの光はほぼ光速度で飛ぶので、必ず相対論効果が出るはずである。上にあるように、宇宙船の速度が光速前でも、空間は大きく縮んでいるから、光速で飛ぶ光に対しては空間は極端に縮むはずである、というのが問題である。

 木星の衛星からでた光が地球に向かって光速度で飛ぶと、地球と木星の間の空間が縮むはずなのに、それを計算にいれていない。3億kmの距離の差はなぜか普通のまま3億kmである。相対性理論では、距離は、速度によって縮むのだから、木星の衛星からでた光にとっては、地球までの距離は、無限大に縮むために3億kmは0kmにならなければならないはずである。このとき、計算式は、距離÷時間だから、0÷1000秒になるはずである。すると0kmの距離を光は1000秒かかって進んでいることになる。不思議な現象になる。{なんとも不思議ですね}などとのんきなことはいていられない。

 これはなにが間違ったのか。簡単である、速度によって空間が縮むという考え方が間違ったのである。光が光速で飛んでも、光に対して空間は縮まないということである。

 

 もちろん、光だけ例外である、という考え方も可能である。{自然界の最高速度に関しては例外だと考えるわけです}と何の理由もなくつごうのいい例外を認めるのが相対性理論だから、光に対しては空間は縮まないという例外を設けるかもしれない。そこで、光以外のものを考えてみる。

 光以外にもニュートリノが光速で宇宙を飛んでいる。光と違いニュートリノは質量があるということがわかっている。

 小柴氏の発見した、超新星からでたニュートリノは、超新星の光より少し前に地球に到達している。超新星は、ニュートリノを先に放出し、それに遅れて、爆発の光を出すといわれている。光より少し前にニュートリノが地球に到達したのは光とニュートリノが同じ速度で飛んできたと考えられるということである。このときも、光に対して、空間は縮んでいないのは、上のことからわかる。すると、光より少し前に到達したニュートリノに対しても、空間は縮んでいないといえる。なぜなら、空間が光に対して縮まず、ニュートリノにだけ縮むなら、ニュートリノは一瞬で、地球に到達してしまう。すると、数万年前に、ニュートリノは地球を通り抜けているはずだ。それが、光とほぼ同じに地球に到達していることから、ニュートリノに対しても光と同じように、空間は縮んでいないといえる。

 このことから、光以外の光速で飛ぶものに対しても、空間は縮まないということが実証されたことになる。光以外にも、ニュートリノに対しても空間は縮まないという例外を設けるかもしれないが、するとあらゆるものが例外になり、あらゆるものに対して空間は縮まないということになる。このことから、あらゆるものに対して、速度によっては空間は縮まないということがいえそうである。

結論

 速度によって空間が縮むという考え方は、実際の現象には現れていないということから、特殊相対論は間違っているということが実証されたといえる。

 (実際に空間が縮んでいるミュー粒子の例があるということが書いてあるが、それに対する反論も前章で述べた)


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