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「宇宙はなぜ「暗い」のか?」(津村耕司、ベレ出版)について1

 

田 敞

(以下{ }内は上記本よりの引用)

 

{現在の宇宙の明るさは}

{遠くの銀河などからの光が重なり合って「宇宙の明るさ」を作ります。宇宙の明るさが無限で、その中に無限の星があれば、宇宙は明るくなると思われがちですが、原理的に138億光年かなたまでしか見通すことができないので、宇宙は暗いのだという説明が成り立ちます。}というのが、宇宙が「暗い」(夜空が暗い)ということの答えだそうです。

 

{ディクスが考えたように「あまりに遠くにある星は暗すぎて見えないから」という説明ではなぜだめなの}でしょうか。

 

 最初に、何故夜空は明るいと考えたのかから考えていきます。

 

1 {オルバースのパラドックス}

 オルバースのパラドックスというのがあります。それによると、夜空は太陽の明るさで輝いていなければならないはずだというのです。ところが、実際の夜空は明るくありません。理屈では明るくなるはずなのに、実際は暗いので、パラドックスということだそうです。

(1){「夜空が明るくなるはず」のオルバースの考え

{恒星までの距離が2倍になると明るさは1/4に、距離が3倍になると明るさは1/9にと、距離の2乗に反比例してみかけの明るさは暗くなっていきます。・・・。ある範囲の空を見た場合、奥行きの方向の距離が2倍になると、見えている面積は4倍に、奥行き方向の距離が3倍になると、見えている面積は9倍にと、ここでも2乗の法則が成り立ちます}

{ここで、恒星が宇宙に同じ密度で一様に分布しているとしましょう。そうすると、距離が2倍になると、恒星1個1個から届く光の量は1/4になりますが、見えている面積が4倍になるので見える星の数も4倍に増えます。このため、それらが打ち消し合って、結局、私たちまで届く光の量は同じということになります。}

{このように考えると、夜空はどの方向を見ても、太陽の表面と同じ程度にぎらぎらに明るくまぶしい「明るい宇宙」になるはずだ、という結論になるはずだ、という結論になってしまいます。}

{夜が暗いことは確かなので、シェゾーやオルバースによる上記の考えにはどこかに間違いがあるはずだということになります。どこに間違いが潜んでいるのでしょうか。}

 

 この本の著者の津村耕司氏は、宇宙は無限ではなく、138億光年しかないということが答え、といっています。オルバースは、宇宙は無限と考えたが、本当は、宇宙は有限だから、間違っていたということです。そうでしょうか。

 

(2)オルバースの間違いと間違いで無かったこと

 実際の夜空を考えるには、実際の夜空を考えなくてはなりません。

 そこで、実際の宇宙を考えてみます。

 オルバースの言うように、地球太陽間の距離を2倍します。上の理論ではそのレイアに太陽が4個なくてはなりません。実際にはありません。地球からの距離が地球太陽間の3倍になると、上の理論ではそのレイアには太陽が9個なくてはなりません。これで合計13個です。4倍になると、そのレイアには、16個の太陽がなければなりません。合計29個です。

 太陽系にはいったい何個の太陽がなくてはならないのでしょう。そうでなくてはオルバースの夜空は太陽と同じ明るさには光らないのです。

 実際はどうでしょう。太陽系には太陽は1個です。一番近い太陽(恒星)は4光年離れています。太陽地球間のおよそ25万倍ほどになりますか。すると、夜空を太陽ほどに光らせるには、そこのレイアだけでも25万×25万個の恒星が必要です。そのレイアだけでさえそれだけの太陽がいるのです。そのレイアの手前までには天文学的数の星がいります。

実際には、{太陽系から10光年の距離にある恒星は12個です}とあります。オルバースの考えた宇宙と現実の宇宙とはあまりにも大きな違いがあります。だから夜空は太陽ほどには光らないのです。東京ドームの中にろうそく1本か、1000万本かの違いです。机上の計算では1000万本必要なのに、実際は1本しかなかったのです。

 これがオルバースの間違いの一つです。面積は2倍になっても、恒星は2倍にはならないのです。

 何が間違いかというと、基準の距離を地球太陽間としたことです。

地球は恒星ではありません。

恒星と惑星の距離と、恒星と恒星の距離は大きく違います。恒星と恒星の距離と銀河と銀河の距離はまた大きく違います。恒星は、銀河にまとまっています。銀河系を離れると、銀河どうしの距離になります。恒星同士の距離よりはるかに銀河間の距離は大きいです。

 これを、地球太陽間の距離を基準にしてはかったから、実際と、計算が乖離したのです。せめて、恒星間の平均距離を基準にすると、夜空は太陽ほどには光らずに、星くらいにしか光らないということになったでしょう。でもそれでも、実際の夜空とは合いません。実際の夜空はもっと暗いのです。それでは何を基準にしたら夜空に近づくでしょう。銀河間の平均距離です。すると、夜空は銀河の平均の明るさで輝くでしょう。それが実際の暗い夜空の明るさなのではないでしょうか。

もうひとつの間違いは、{ここで、恒星が宇宙に同じ密度で一様に分布しているとしましょう}ということです。

恒星は宇宙に同じ密度では分布していません。恒星はほとんどが銀河に集中しています。密度はバラバラです。たとえば、私たちに見える恒星は銀河系の中にあります。銀河系を離れると、極端に恒星は減ります。増えるのは、他の銀河のところです。その間にはほとんど恒星はありません。そしてその間が大きいのです。数十万光年、数百万光年と、恒星間の数光年という距離とはけた違いになります。もちろん地球と太陽の8分光年など比べようがありません。銀河(恒星)が占める空間より、銀河(恒星)がない空間の方がはるかに大きいのです。宇宙空間に比べると銀河は点にもなりません。

これを、{恒星が宇宙に同じ密度で一様に分布しているとしましょう}ということにしたことが二つ目の間違いなのです。

ではどのように考えればよかったのでしょう。基準を銀河間の平均距離に取り、銀河がほぼ一様に分布している、とすれば実際の夜空の明るさに近づいたのではないでしょうか。それでも銀河は一様には分布していないので実際とはずれるでしょう。それでも宇宙の明るさを測るには、一番妥当な測り方ではないでしょうか。そうすると、夜空は太陽ほどには光らないけれど、銀河の平均くらいには光っているということになるでしょう。そういう意味ではオルバースのパラドックスは正解なのです。

(3)夜空の明るさ

では、夜空はどれくらい光っているかというと、宇宙背景放射という光が観測されています。宇宙全体から地球に降り注いでいる光だということです。その光は2,7kの光ということです。太陽ほどには空は輝いてはいませんが、2,7kの光で宇宙はかすかには光っているということです。しかし、残念ながら、この光は人間の目には見えない光ですから夜空は闇にしか見えません。

宇宙論者は、これをビッグバン名残の光といっていますが、そんなことはありません。これが宇宙の物質が出している平均の光です。オルバースの考えた光です。宇宙のガスや塵は星の光によって暖められます。その温度が2,7kです。物質はその温度に応じた光を出します。黒体放射といいます。この光が宇宙の星が出す光の平均の明るさです。

物質は光を出すとエネルギーを失い温度が下がります。宇宙の塵も同じです。それを温めているのが星の光です。宇宙の星が出す光が温めている宇宙塵の温度が2,7kなのです。もちろん電波領域の光ですから、人間の目には見えません。光っているのに光が弱すぎて人間の目には見えないということです。東京ドームをローソク1本で温めるのとよく似ています。人間には感じなくてもかすかには暖まります。恒星が温めるには、宇宙空間はあまりにも広すぎるのです。

 

結論

 オルバースの考えの何が間違っていたかというと、{ここで、恒星が宇宙に同じ密度で一様に分布しているとしましょう}ということと、距離が倍になると面積が4倍になるから、星が4倍に増えるということと、考え方の基準の距離を地球太陽間に合わせたことです。

宇宙空間はあまりにも広かったのです。そこに星はあまりにも少なかったのです。日本列島にろうそく1本の明かりしかない状態なのです。人間の目には明るさを感じられないくらいの明かりしかなかったのです。

 

2 宇宙はなぜ暗いのか。二つの考えを検討してみます。

(1)この本の著者津村耕司氏の考え方

{原理的に138億光年かなたまでしか見通すことができないので、宇宙は暗いのだという説明が成り立ちます。}

(2)ディクスの考え

「あまりに遠くにある星は暗すぎて見えないから」

 

考察

津村氏はディスクの考えを否定しています。そうでしょうか。

 ハッブル宇宙望遠鏡で見とおした暗闇には、たくさんの銀河が光っていました。でも、その領域は人間の目には暗闇でしかありませんでした。ハッブル宇宙望遠鏡でも、520時間も観測してやっと光っているのがわかったくらい暗い光でした。この場合、津村氏の言うように宇宙が有限であったから見えなかったのではありません。138億光年より手前にあったのに見えなかったのです。ディクスの言うように{「あまりに遠くにある星は暗すぎて見えないから」}暗闇だったのです。人間の目はハッブル望遠鏡のように、多くの光を集めたり、集積したりすることはできないのです。

 

 銀河系にある1000億個ほどの星のどれくらいを人間は見ることができるでしょう。都会の夜空では数十個ほどではないでしょうか。あとの星は、暗すぎて見えないのです。田舎でも数百個ほどでしょう。夜空の見える範囲に半分、500億個の星があるとします。すると、499億9999万9900個の星が見えていないことになります。これらの星は10万光年より近くにあります。宇宙の138億光年に比べて、たったの10万光年です。それなのに見えません。そこに太陽のようにぎらぎら輝いている星が500億個もあるのに闇に見えるのです。理由はディクスの言うように{「あまりに遠くにある星は暗すぎて見えないから」}人間の目には闇に見えるのです。

では、銀河系の外の宇宙はどうでしょう。

宇宙に銀河は2兆個あるとこの本にあります。そのうち、人間が肉眼で見ることができる銀河は、どれだけでしょう。数十ですか。すると、宇宙の199,999,9999,950個の銀河は、夜空に存在するのに見えていないということです。その銀河一つ一つが、太陽のように輝いている恒星を1千億個から数千億個も抱えているのに見えないのです。138億光年の手前に、2兆個もの銀河があって光っているのに、そのほとんどすべてが暗闇にしか見えないのです。

夜空が、暗闇としか見えないのは、遮られているからでも、138億光年先がないからでもありません。星が約10万光年より手前にあり、銀河が138億光年より手前にあるのに、そのほとんどが暗闇にしか見えないのは、{「あまりに遠くにある星は暗すぎて見えないから」}なのです。

では、宇宙が永遠で、銀河が138億光年先にも無数にあれば、宇宙は光って見えるでしょうか。

ハッブル宇宙望遠鏡を考えてみます。

ハッブル宇宙望遠鏡が写したディープフィールドの銀河の間に銀河があったとします。すると、ハッブル宇宙望遠鏡で1000時間撮影したら、その間に銀河が写ることになります。しかし、そこに写っている銀河のほとんどすべては、ハッブル宇宙望遠鏡が今までに写した銀河の一番暗い銀河よりさらに暗い銀河になるでしょう。この銀河はもちろん人間の目には見えません。あっても暗闇としか見えないでしょう。この暗い銀河が、びっしり空間を埋めていたら、人間の目に見えるでしょうか。いいえ見えません。そこは暗闇としか見えないでしょう。

考えてみます。まず、肉眼で夜空を見てみます。いくつかの星が見えます。余談ですが、昔は見えていた、天の川銀河も最近は見えません。

では、アマチュアの天体望遠鏡で見てみます。今まで闇にしか見えていなかった所にたくさんの星が光っているのが見えます。望遠鏡から目を離して肉眼で見上げると、そこにはやはり星は無く闇にしか見えません。日本の大きな天体望遠鏡で見てみます。アマチュアの望遠鏡では闇にしか見えなかった所に、たくさん星が光っているのが見えます。銀河も見えます。ハワイの巨大望遠鏡で見てみます。大きな望遠鏡では闇であった所にたくさんの銀河が光っているのが見えます。そして、その銀河の間の闇を、ハッブル望遠鏡で520時間光を集めたら、たくさんの銀河が光っていました。その銀河の間を1000時間光を集めたらたらどうなるでしょう。やってみてのお楽しみでしょう。

アマチュアの望遠鏡からハッブル宇宙望遠鏡の銀河まで、見えていた星や銀河は、肉眼で見上げたらすべて見えません。2兆個の銀河と、それに含まれる、2兆個×数千億倍の恒星の光は人間の目には闇にしか見えないのです。

ハブルディープフィールドの数千の銀河の間に、それより暗い銀河が数兆個あったとしても、人間の目にはその一つも見えないでしょう。その光を足したら、肉眼では見えないけれど望遠鏡では見えた星や銀河が見えだすということにはなりません。ハッブル宇宙望遠鏡が、520時間もかけてやっと見える銀河よりさらに暗い銀河をいくら集めても、ひとつひとつが暗闇にしか見えないのだから人間の目には暗闇にしか見えません。ではその光は無なのかというと、そうではありません。先に書いたように、それらの光によって、宇宙は2.7Kの光で輝いているのです。

 

結論

宇宙が138億光年で途切れているから宇宙が暗いのではありません。その手前の星や銀河のほとんどが闇にしか見えないのですから、それより先にさらに暗い銀河が何千兆個あったとしても見えるわけがありません。ディクスの考え、「あまりに遠くにある星は暗すぎて見えないから」夜空は暗いのです。しかし、オルバースの言うように夜空は輝いています。ただ、人間の目がそれを見るためにはあまりにも暗すぎるだけなのです。