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宇宙空間が膨張するとは,どういう意味か(Newton2016,3)
についての考察6
2016,3,19
田 敞
(以下{ }内は上記本よりの引用)
問題
(4) {宇宙の大きさがゼロになる“前”には,いったい何があったのでしょうか。}
1 この本の解答
{インフレーションの前は?「宇宙は無から誕生した」という理論もある。しかしそれは仮説にしかすぎない}
{インフレーションの前の宇宙は謎だらけで,どのような世界だったのか,何が起きたのかは,はっきり分かっていません。さまざまな仮説が提唱され,結論は出ていない,というのが正確なところです。}
(例)
1 無からの宇宙創成論
2 宇宙同士の衝突から生まれた
2 考察
(1)この本の答え
なにもわからないというのが答えのようだ。
その前は、その前はという問いは際限なく繰り返されて、行き着くところはない。
(2)無からの宇宙創成論
{空間の大きさを無限に小さくする}その小さな無からこの宇宙が生まれたといっている。では、その無限に小さな無のまわりは何だったのか。そこから生まれた小さな宇宙の周りは何だったのか。その小さな宇宙がインフレーションやビッグバンで大きくなるといっているが、宇宙が大きくなっていく周りは何なのか、という問いが出てくる。
この宇宙のまわりに我われの宇宙と異なる宇宙があるということである。その宇宙の大きさは?果ては?という疑問が出る。その宇宙はいつかあるの。膨張しているの?それとも定常宇宙なの?という問題も生じる。
宇宙が2つあるということだ。われわれの宇宙と、われわれの宇宙が生まれる前からあり、われわれの宇宙を生み、今もわれわれの宇宙の外にある宇宙との2つである。
(2)宇宙同士の衝突から生まれた
では衝突前の宇宙同士の間には何があったのか?衝突した宇宙のまわりは何があるのか?
やはりこの宇宙と異なる宇宙が、二つ以上あることになる。衝突した二つの宇宙と、その宇宙があった場所の周りの宇宙との3つである。衝突した宇宙同士は有限だとしても、その宇宙のまわりにあっただろう宇宙は、無限の可能性がある。
結論
{インフレーションの前の宇宙は謎だらけで,どのような世界だったのか,何が起きたのかは,はっきり分かっていません。}ということで、要するに、いろいろ想像を巡らせることは自由だ、くらいだ。
{さまざまな仮説が提唱され}と言うが、想像の域を出ていないから、仮説とまでもいかないということだ。
おまけ
1 キリスト教の、天地創造との関係
どちらにしろ、この宇宙と、それを包む宇宙があることになる。その二つはどのように違うのか、同じ真空なのか、空間の質の違いはあるのか、この宇宙が膨張するとしたら、周りの宇宙空間に対してどのような作用を及ぼすのか、先にある空間に対して、インフレーションやビッグバンで膨張するこの宇宙空間は混ざり合うのか、衝突するのか、そのとき抵抗はあるのか、先の空間はすんなり後退していくのか、一切不明である。いや、何も考えていない。それはわれわれの科学の範疇外であるという姿勢なのだろうか。
キリスト教ではわれわれの宇宙と異なる神の住む宇宙が存在する。神は神の世界に住んでいて、その神が、光あれと、言ったら、この、われわれの世界が生まれたという。だから、科学では手が出せない他の宇宙を認めることは、神の住む世界を現代科学が肯定したということになる。キリスト教者には、待ちに待った現代版天地創造である。
この神の国の存在は、キリスト教で最重要な理論である。
コペルニクスもケプラーもガリレオも地動説を唱えた。しかし死刑にはならなかった。ただ一人、火あぶりの刑になったのはプルーストという人だ。彼は、この宇宙が無限に続いているという説を唱えた。そのために火あぶりになったと言われている。なぜこの宇宙が無限に続いていたら火あぶりに値する重罪なのか。それはこの宇宙すべてが人の住む世界と同じになり、神の住む別の世界がなくなるからだという。
キリスト教にとって、地動説より、永遠に続く宇宙の方がはるかに罪が重いのである。
ところで、ビッグバン理論にしろ、インフレーション理論にしろ、なにもないところ(元々ある謎の宇宙空間)に、突然光が飛び出しそれが始まりでこの宇宙ができたという理論である。この現代版天地創造は、キリスト教の天地創造、光あれに酷似している。
これが、ビッグバン宇宙論がキリスト教国の支持を得る最大の理由であるのではないだろうか。特殊相対性理論が、光が絶対であるということから出発しているから不動の支持を得ているように。
ここでもう一つ重要なのは、{しかしそれは仮説にすぎない}ということである。
インフレーションも、ビッグバンも、背景放射も、空間膨張も、銀河の赤方偏移の原因が後退速度や、空間膨張が原因であるということも科学的実証はないのだから、仮説にすぎないのにもかかわらず確定していると言っている。それなのに、これだけが確定していないというのは、それは神の領域に関することだからではないのだろうか。神の領域を人間が判断するのはおこがましいということなのだろう。
この、神の領域だけは、{松原博士は次のように語っています。「宇宙の創成に物理学を適用できると考えること自体,仮定だといえます。無からの創成論は,ある意味で,『物理法則は宇宙という存在を超越している』との仮定にもとづいているといえるでしょう」。}と述べさせている。いったい何が言いたいのか文章が難しくてよくわからないが、宇宙を超越している物理法則がなければ、宇宙の創生について、分からないということなのでしょうか。すなわち神の法則ということなのでしょうか。
人は、現象を見ることで、その法則を見つけてきた。さきに物質や、現象があって、法則はその存在や、現象のあり方にしかすぎない。事実を超越した法則など存在しない。法則は、事実に付随したものにしかすぎないのだから。
時間はいつ始まったか、時間とは何か、宇宙の果てはあるのか、空間とは何か、今のところ分からないことは山積している。だからといって、今のところ物理学では分かっていない謎の法則ばかりを組み合わせて、荒唐無稽な、インフレーションとか、ビッグバンとか、空間の膨張とかでこの宇宙を説明する理論はいかがなものでしょう。