六月末のある日、長径が二キロメートルにも及ぶ巨大な宇宙ロケット は青い光を放ちながら、真っ暗な宇宙に向かって動き出した。
シモーンとエイサとイーシャ、それにシフスに似た男を乗せて。全員で四百名を少し上回る人々。昔、大地溝帯から歩き始めた最初の人類のように。どこか宇宙の果てで生き続けるために。
シモーンが持ったものは、マイクロフロッピーに納めたアルバム。 それに、エイサと交配したランの種子。知らない星で、生きて行かなく てはならなくなったときその星にまき散らそうと思って。瞬かない星ぼしの間で、時だけが雪片のように舞い、朽ち果てた。
シモーンとエイサは星空の中に立っていた。といっても、それは一種 のプラネタリューム。光速で飛ぶロケットから直接外を見てもなにも見えないから、 コンピューターで解析された星空にしかすぎない。
その空半分以上を覆って、ひとつの星雲が浮かんでいる。二人は先ほ どからその星雲を見ていた。今から二十年ほど前その星雲を見送った。 いや、本当は、それがあの星雲だったかどうかは二人にはわからない。 同じような星雲をもう何度も見てきたから。
「あれ、本当に私たちの銀河なの。」
「たぶん。」
「だいぶ形が変わったけどな。」
「そう。同じに見えるけど。」
「横から見てるからね。」
「本当に三十億年もたったの。」
「わからん。計算ではそうらしい。」
「みんなどうしたかしら。」
「そうな。」
シモーンは、ゆっくりエイサにもたれた。エイサはそのからだに腕を 回す。
「まだ地球はあるかしら。」
「さあな。あったとしても、どうなってるか。」
「あら、何か光らなかった。」
「超新星だよ。よく見えたね。本当はひっきりなしに光ってるはずなん だけどね。こちらと向こうの時間が違うからよっぽど運が良くないと見 えないんだ。」
「太陽も、爆発したかしら。」
「どうだろうな。おそらくまだ大丈夫だとはおもうけど。」
「俺たちにはせいぜい百年あればいいだろ。俺たちの子孫ができたとしても百万年あればじゅうぶんすぎるだろうし。星の寿命に比べりゃほんのちょんの間さ。」
シモーンはわかったような、わからないような顔をして星に目を移す。
イーシャはこれを見たがってた。シモーンは思う。銀河が音もなく回転する。イーシャは確かそんな事を言ってたような気がする。もう昔の ことで、はっきりとは思い出せない。
「イーシャに、もう一度見せてやりたかった。」
ぽつりと言う。
「そうな。」
この銀河を離れるときにイーシャは一度この星の渦巻きを見ている。 ただ、それがなんのことか彼にはわからなかっただろう。そのイーシャ はもういない。
大脳の破壊は、静かに水に落としたインクのようにゆっくりと奥底から広がっていた。助けようはなかった。
ドアチャイムが鳴った。エイサが答える。
「失礼します。」
ナムダとリサが入ってきた。
「やっぱり見てたんだ。僕らも見てたんだけど。興奮して、かえっていらいらしてだめなんですよ。」
ナムダが笑いかける。
「私たちは淋しくなってたの。」
ナムダ。シフスと見間違った男。ロケットに乗ったら名乗りあえる かと思ったが、結局、人違いですの一点張りだった。だが、シモーン はそんな言葉を信じてはいなかった。この少しはにかんだ笑い方だってシフスそのものだと思う。顔まで変えて、名乗ることさえできない なんてと、不憫に思う。
「どうも、この宇宙ってやつは、何度見ても怖くてだめだね。」
ナムダが言う。
「確かに。いつまでたっても慣れないね。」
「足の下が、こんな風に果てしなく落ち込んでるのを考えると、どう もへそのあたりがむずむずするんですよね。」
「後どのくらいなものですかね。」
「この前の案内では、後四五日で銀河に入ると云うことでしたね。」
「うまく地球を探し出せるかね。」
「それは大丈夫でしょう。この銀河を探し出すのより、よほど簡単で しょうから。」
「確かに。星を探し出すのはうまかった。」様々な星をめぐった。だが、結局住める星はなかった。ある星では空気が微妙に違っていた。ある星では、温度が違っていた。そしてなによりも命そのものの構造が違っていた。
そして、星から星へ果てしなく飛び続けた。
「結局。私たちの体は、ほんのわずかな違いにも耐えられないんです ね。」
「こんなにだだっ広いんだから、ひとつぐらい人が住める星があってもよさそうなのにな。百度といやあ人間にとっちゃめくら めっぽうの違いだけど星にとっちゃあ違いに入らないんだから。」
「地球がだめならどうなるんです。もう飛び立つ燃料はないって話で しょ。」
「この中でずっと暮らすっきゃないかな。燃料が見つかればもう一度 飛べるんだろうけど。」
「あれはどうなったんですかね。ほら、この銀河をでるときに、いく つかの星に、アミノ酸を打ち込んだでしょ。あの星。」
「可能性はありますね。あれから三十億年たってますからね。あのう ちのひとつくらいは私たちに似た生物が進化しているかもしれないで すね。」
誰も答えない。それだからといて、もう一度星を探すにはもうみん な疲れすぎている気がしている。
「地球にはもう人はいないですかね。」
「百パーセント。生き残りの人類は我々だけでしょう。」
「いや、ほかにもロケットは飛んだかもしれないでしょう。」
「そうですね、それはあるでしょうね、きっと。」
「遭えるかしら。」
「どうだろう。遭えるといいけど。」
探すにはあまりにも広すぎる。この輝く小さな星星が、みんな何百億,何千億もの 星の固まりなのだ。それが限りなく広がっている。人はあまりにも小 さすぎる。この永遠の広がりと、果てしない時の流れの中で、何かを探すなん て。宇宙の果ての、荒涼とした星に立って、何一つ生きたもののいない砂原を、ただ風だけが吹き抜けていた。「帰ろう。」みんなが思っていたことはそれだけだった。
「地球はあるかしら。」
シモーンはもう一度言う。
「あると思う。」
「あればいいわ。あれば。」
シモーンは言い聞かすように言う。
「後どれくらいかしら。」
「さあ。」
イーシャならあっという間に計算するでしょう。シモーンはエイサ が帰還したときのニュースを見ながら、目をきらきらさせていたイー シャを思い出す。
「後少しだよ。」
「ああ、後少しだ。」初期の宇宙船ならば、何時間も前から減速開始の秒読みが船内に流れたろう。そして木霊のように「減速」の声が響いていっただろう。 だが、今はそんなことはない。ただ、コクピットの表示板に点灯して いた「光速」という文字が,減りつづける数字に置き換わっただけだ。
闇の彼方にあるかもしれぬ地球に向かって、宇宙船は最後になるだろう降下を始める。完 千九百九十八年四月五日(日)
改定 2000年12月24日(日)
妹空並刻記
(エピローグおわり、あとがきに続く)