シュレディンガーの猫について16
(「シュレディンガーの猫(下)」ジョン・グリビン,坂本憲一・山崎和夫 訳,地人選書)
(以下{ }内は上記本よりの引用)
問題1 遅延選択実験
{宇宙の総体を遅延選択実験と想定すると、あらゆる事象の起源に明白なリアリティーを与えるのは、何が起こっているかを注視する観測者の存在である。}
考察
{宇宙の総体を遅延選択実験と想定すると}
言い換えてみよう。「宇宙の創造は魔法使いが行ったと想定すると、あらゆる事象の起源に明白なリアリティーを与えるのは、魔法使いの存在である。」
魔法使いが、「光あれ」と言ったら光ができ、「星よ生まれよ」と言ったら、星が生まれ、「人よ生まれよ」と言ったら人が生まれたとなる。したがって{あらゆる事象の起源に明白なリアリティーを与えるのは、魔法使いの存在である。}と言える。
これの何が間違っているか。簡単である。魔法使いの存在を想定したことが間違っているからである。では、{宇宙の総体を遅延選択実験と想定すると}という前提は正しいのか。否である。そんな想定は量子学者の手前がってな思い付きにしか過ぎない。根拠も実証もない。あるのは常識ではないから正しいということくらいだ。魔法があるという想定と同じだ。なにが同じか。お話の中にしかあり得ないところが同じである。かたやファンタジー、かたやSFではあるが、絵空ごとであることは同じである。
{宇宙の総体}が{遅延選択実験}であることを実証してほしいものだ。
以下にそのあほらしさを書く。
問題2
{数百億年の後、宇宙を観測することができる生物を生みだした。そして「観測者参加の行為が―遅延選択実験のメカニズムによって―逆に、現在だけでなく原初にまでさかのぼって宇宙に対して明確な“リアリティー”を与えることになった」}
考察
そのとおりだと思う。この{宇宙を観測することができる生物}こそ、魔法使いである。彼らが見たとたん、数百億年さかのぼって、私がリアリティーを与えられ、地球がリアリティーを与えられ、月がリアリティーを与えられ、太陽がリアリティーを与えられ、この、果てのない宇宙がリアリティーを与えられるのだから。まあ、すごい魔法だ。
これによると、今、私も地球もリアリティーを持っているということから、宇宙は今すでに数百億年後の宇宙のどこかの星(地球は後数十億年後には太陽の膨張によって高温になり生物が住めない星になるということだから地球上の生物ではない)に、{宇宙を観測することができる生物を生みだし}ているということになる。
今この瞬間に、この宇宙と数百億年後の宇宙が同時に存在しているということになる。
すると、数千億年先の宇宙も存在し、数千兆年先の宇宙もすでに今現在存在しているということである。もちろん、1秒後の宇宙も、1時間後の宇宙も、3年後の宇宙も今この瞬間に同時に存在していることになる。
すると、宇宙の始まりから宇宙の終わりまですべてが今既に存在しているということになる。1秒過去の自分と1秒未来の自分が今の自分と同時に存在しているということにもなる。連射写真のように、すべてが同時に存在しているということになる。
まあ、実証してみてください。
1秒過去の私も、1秒未来の私も存在しない。少なくとも「今」ある物以外にはリアリティーはない。ということは、数百億年未来の、どこかの星の{宇宙を観測することができる生物}も少なくともリアリティーはないということは言える。リアリティーのない生きものが、{あらゆる事象の起源に明白なリアリティーを与える}ことができるというのである。
この矛盾はどうしよう。
まあ、素晴らしい生物である。その生物から見たら、宇宙の片隅の、白色矮星になった、元太陽だった小さな星の、数百億年−50億年(地球がなくなるまでの年)前に形が無くなってしまった元地球のことを過去にさかのぼって観測し、その上で生きていたすべての生き物の原初に立ち返りリアリティーを与えるというのだ。もちろん私が生まれたことも観測し、ちゃんと間違いなくリアリティーを与えてくれたのだ。ありがたいことだ。
そうではなく、{数百億年の後、宇宙を観測することができる生物}が今まだ存在せず、この後数百億年の後生まれるとすると、われわれも、地球も、月も、太陽も、この宇宙も今現在はリアリティーがないことになる。われわれが死に絶えて、それから、まだ数百億年立って、どこかの星で、{宇宙を観測することができる生物}が生まれたとき初めて、宇宙のすべての時間をさかのぼって、リアリティーが我々に生まれるということになる。すると今の我々はいったい何者なのか。いわゆるゴーストなのだろうか。
ジョン・グリビンはリアリティーとは何かを定義しなければならないだろう。一般的なリアリティーとはまるで違う定義のようだから。
問題3
{現在だけでなく原初にまでさかのぼって宇宙に対して明確な“リアリティー”を与える}
考察
ということだから、数百億年後の生物が生まれるまで、この宇宙にリアリティーはないということだ。すると、今、まだ、この宇宙がリアリティーを持つまでには後数百億年かかるというわけだ。では今この地球はいったい何なのだろう。後数十億年で地球は太陽に飲み込まれてしまうというのに。人類だって絶滅しているだろうし。今我々のいる地球や人類はリアリティーのないまま暮さねばならないというのだ。
すると、あと数百億年後生まれる{宇宙を観測することができる生物}もリアリティーを持たない宇宙に生まれてくるということになる。そして、{宇宙を観測することができる生物}に何らかの方法で進化したときに初めて原初に立ち返りすべてにリアリティーを与え、ついでに自分自身にもリアリティーを与えるということだ。ゴーストが自分に魔法をかけて、実態にするということなのだろう。SFとしては面白いかな。いや、お話にもならないだろうね。素晴らしい知能を持っている量子論学者くらいしか面白がらないだろうね。これはSFではない、リアリティーのあるドキュメントだってね。
問題5
{原初にまでさかのぼって宇宙に対して明確な“リアリティー”を与える}
考察
ア 原初はいつか?
観測者が観測するまで、この宇宙は“リアリティー”がないのだから、原初も“リアリティー”がないということだ。だから原初は特定できないことになる。原初が、すでにあってそれを観測するというのなら、観測者が見る前に、すでに原初が存在していることになる。遡ってなのだから、原初はもともとあったということだ。それにただ、{宇宙を観測することができる生物}は{明確な“リアリティー”を与える}だけのようだ。すると、{明確な“リアリティー”を与え}られる前の宇宙はなんだったのだろう。ゴーストの宇宙ということなのだろうか。
「今」観測されている宇宙に“リアリティー”はないが、{宇宙を観測することができる生物}が観測する宇宙は、すでに、リアリティーはないけれどこの宇宙に決定しているようだ。3000年前に宇宙が始まったとか、1兆年前に宇宙は始まったとか、太陽系がない宇宙とか、地球がない宇宙とか、そんなものではないようだ。{宇宙を観測することができる生物}は今ある宇宙とそっくり同じ宇宙にリアリティーなるものだけを与えるようだ。「今」飛んでいくカラスも、流れる雲も、「今」はリアリティーはないが、数百億年後の謎の生物が念力を送ってリアリティーを与えてくれるようだ。ありがたいことです。でも、リアリティーをもらわなくても何ら不自由は感じないのだけれど。
地球の位置も、太陽の位置も、数百億年後に宇宙のどこかに生まれる{宇宙を観測することができる生物}の意志とは関係なくリアリティーはないけれど、もう既に決まっているということだ。彼らはほかの宇宙を観測することはできない。ネズミ1匹でさえ、その位置を変えることはできないのだ。その鼠の背中にいるダニの動きにさえ口出しできないのだ。単に承認するだけなのだ。
“リアリティー”がなくても、地球があり、人間が暮らしているのだから、これ以上の“リアリティー”が付け加えられても仕方ないと思うのだが。
イ {“リアリティー”を与える}
{宇宙を観測することができる生物}は観測したことを、どのように、数百億年前の宇宙に伝えるのだろうか。念力なのだろうか。テレパシーなのだろうか、それとも魔法なのだろうか、それとも、見たぞーと怒鳴るのだろうか。今から46億年前、観測者から見て数百億年プラス46億年前の宇宙空間に、地球が生まれるぞ、とどのように伝えるのだろうか。
伝えるには、伝達手段がいる。それを、量子論者は示さなければならない。
ウ 受け取るのは何か
ある手段で観測が伝えられたとしよう。それは何が受け取るのだろう。どうせ無だとでもいうのだろう。無はどうやってそれを受け取るのだろう。地球が生まれたとき、生まれる前の宇宙に、見たぞと伝えるのはいいとして、受け取るのは何なのだろう。星間ガスの分子の一つ一つが、しまった見られてしまった、仕方がない、集まって地球を作ろうと、言ったのだろうか。
量子論者は観測したということを何が受け取るのか示さなくてはならない。
うちの庭にもぐっているモグラに、数百億年後の{宇宙を観測することができる生物}はどのような方法でリアリティーを与えるのだろうか。どんな望遠鏡を持って、もう既に存在しない地球の地面の下を観測して、モグラにリアリティーを与えるのだろうか。
結論
まあ、“リアリティー”などと言うけれど、その“リアリティー”という言葉がしめすことにまるで“リアリティー”がない。言葉あそびにしか過ぎない。
頭脳明晰な量子学者は、{宇宙を観測することができる生物}にリアリティーを感じるようだが、子供でもドラエモンのポケットをお話だって知ってるよ。
2014,2、6 つづく