シュレディンガーの猫について11

(「シュレディンガーの猫(下)」ジョン・グリビン,坂本憲一・山崎和夫 訳,地人選書)

(以下{ }内は上記本よりの引用)

著者 高田敞

     


問題

{電子は、不確定性関係からエネルギーを借り、それを使って光子を生みだすからだ。問題は、光子が誕生するとほとんど同時に再び電子に吸収されてしまい、エネルギー保存則が破られたことに通常世界が気づく暇がないことだ。}

考察1 {電子は、不確定性関係からエネルギーを借り、}

 不確定性関係はエネルギーを貸せるんだ。不確定性関係はどこにどのような形でエネルギーを蓄えているのだろ。常識などというくだらないことにはこだわらないから、エネルギー保存則など関係ないのですよね。好きな時に、好きなだけ勝手にエネルギーは生まれて、勝手に消えるんですよね。量子論者の考えた理論に都合のいいことしか不確定性は行わない。不確定性なのに、量子論者の弁に反することは一切行わない。量子論者の為の素晴らしい仕組みが自然には備わっているようだ。量子世界は量子学者の箱庭だ。その庭では猫だって量子論者の許しがなくては死ねないのだからかわいそうなことだ。

考察2 {エネルギー保存則が破られたことに通常世界が気づく暇がないことだ。}

量子世界は、エネルギーのやり取りをする時間があった。しかし、通常世界はそれに気づく暇もなかった。ご立派な量子世界は、無から通常世界の目を盗んで何でも借りるのに、鈍い通常世界は気づくことさえできないんだからばかだなあ。そういうのウドの大木っていうんだよね。通常世界さんも見張りくらい雇えばいいのに。

ところで、通常世界の何がどのような方法で、量子の世界のことを気づくのだろう。通常世界もヤッパリ神経があって脳みそで気づくのかなあ。

気づくなんてのは、生きもののやることで無生物のやることではない。

単に比喩表現であるのだろうが、科学は比喩表現を使ってはならない。ちゃんと科学的に説明しなくてはならない。比喩はごまかしを生むからだ。ここもごまかしの為に使っているのではないかと疑ってしまう。

通常世界のすべての物質で、電子は構成要素の一つである。その電子は{不確定性関係からエネルギーを借り、それを使って光子を生みだ}し、{それぞれの電子が「仮想」光子の雲に覆われているようであり}という状態になっているという。雲に覆われている状態が常なのだから、通常世界の電子もそれが通常になる。通常世界の物質の電子も{「仮想」光子の雲に覆われてい}る状態が通常なのだ。この本の比喩を借りれば、{通常世界が気づく暇}は十分あるということだ。

結論

不確定性関係から電子がエネルギーを受け取ったり返したりしていることを実証するまでは仮説にしか過ぎない。しかし、{通常世界が気づく暇がないことだ。}という理由で、通常世界の人間には気づく暇がないから観測することができないということにして、実証しなくてもいいということにするのだろう。なかなかうまい方法だ。サプリメントの宣伝にいいのじゃないだろうか。人道的見地から動物実験はしません。だけど効き目はあります。というようなものだ。どこで効くということが確かめられたのと聞くと、やはり人道的見地から確かめはやりません、でも科学的見地からは効き目があります、というわけだ。科学的見地には必ず実証が必要である。理由づけして肝心なことをやらないのは、ごまかしである。そういう人の大半はそんな現象がないことを知っているから言い訳を作り出してやらないのである。

自ら{「仮想」}と言っている。「仮想」ということは事実ではないということだ。だから、ごまかしの為に{通常世界が気づく暇がないことだ。}などと、ごまかして、実証しなくていいことにしてる。通常世界に、感覚器官や、脳みそがあるようなあほなことを言っている。