ブラックホールの写真目次
ブラックホールの写真は実像か

ブラックホールの画像に、なぜ、ジェットも降着円盤も写っていなかったのか

 

著者 田 敞

2019410日に国際研究チームが発表したブラックホールの写真には、予想されていた、ブラックホールからのジェットや、ブラックホールの降着円盤は写っていなかった。ブラックホールを取り巻く、光の輪と、真ん中の黒い円だけであった。

 なぜ降着円盤もジェットも写らなかったのだろう。

 ジェットは、M87銀河全体を写した他の望遠鏡の写真にははっきり写っている。また、これまでは、ブラックホール自体は輝かないけれど、その周りを取り巻いている降着円盤が光っているというのが一般的に認められている仮説だった。実際、銀河系の中心にあるブラックホール「いて座A*」が見えるのは、ブラックホールを取り巻く降着円盤が光っているのが見えているという考えだった。

 ところが、「M87」銀河にあるブラックホールの画像には、ジェットも降着円盤も写っていなかった。光っているのは降着円盤ではなくブラックホールを取り巻く物質が出している光がブラックホールの大きな重力で曲がって見えているということだ。なぜ、見えるはずのジェットも予想されていた高温で光っているはずの降着円盤も写っていなかったのだろう。そして、それらより光が弱いブラックホールを取り巻く物質が出す光だけが写っていたのだろう。不思議なことだ。これは、私だけではなく科学者も不思議がっていた。

 そこで、その理由を私なりに考えてみる。

 一つは

「M87銀河のブラックホールの画像」は、ブラックホールはこうあるだろうというシムレーションの画像とそっくりだった。研究者は、だからこの画像はブラックホールを見事にとらえているという評価をしていることだ。

 もうひとつは、

2つの研究班が、異なる画像処理プログラムで行った結果、ほぼ同じ画像にたどり着いたということで、これは間違いなく正しい画像に行きついたと述べていることだ。

このことから、3つの画像が同じであったということが分かる。だから正しいと研究者は言うことだろう。そうだろうか。考えてみる。

 ここに3つの画像が登場する。A研究班の画像、B研究班の画像、それと、それまであったシムレーションの画像である。

これらの画像はそれぞれ3つの画像処理プログラムで別々に処理されたということになる。それでも一致したのだから正しい画像である証拠になるというのが研究者たちの主張だ。しかしそうであろうか。その画像処理プログラムは、ブラックホールはこうなっているだろうという仮説に基づいて作られている。この仮説は同じはずだ。相対論に基づいたブラックホールの仮説がさまざまあるとは考えられない。定説になっているたった一つのブラックホール仮説だろう。おそらくブラックホールは黒く見える、周りの物質が光っている。その光は強い重力で曲がっている。というのは共通した仮説であろう。それに基づく画像プログラムは共通ではないだろうか。それらは正しいから問題はない、ということだろう。そうだろうか。

 すると、その仮説から導き出された画像プログラムは仮説通りの画像を作ることを目指しているはずだ。その正しい画像は、シムレーションで作った画像だ。研究者が、シムレーションと同じだから、できた画像は正しいと認めたように、ブラックホールの画像はシムレーション通りにでき上ったときがもっとも正しい画像になると考えているということだ。

 とすると、シムレーションと違った画像が出たときは、それを間違いだとして削除することになるだろう。実際、研究者たちが画像を作る作業をしている現場の様子が放映されていたが、その時のパソコンの画面には中心まで光っている画像が写っていた。この画像は発表された画像ではなかったから、仮説に合わないから間違いとして捨てられたのだろう。仮説ではブラックホールは光を出さないから中心は黒くなっているはずだからである。もちろん間違いだから捨てるというのは当然のことであろう。しかし、間違いだと決めた根拠はなんだろう。それはブラックホールの仮説に合わないということである。シムレーションの画像は完ぺきであるという前提があるから、それに一致するもの以外は間違いとして捨てることになる。

 そこで、望遠鏡で得たデーターの中から、仮説に合うデーターだけを取り上げ、仮説に合わないデーターを捨て、足りないところを補って最終画像を作りだしたのだろう。研究者も望遠鏡で得たデーターは足りないところがあるから、おぎなっているということを言っていた。だから2年もかかったということだ。

 同じ仮説に基づいている画像プログラムだから、違う画像プログラムといっても目標はシムレーションの画像である。似れば似るほど正しい画像に近づくのだから、研究者たちがシムレーションの画像にたどり着いたのは当然の結果である。

 この3つの画像に共通しているのは降着円盤も、ジェットも写っていないことだ。なぜだろう。それは、元になったブラックホールの仮説はブラックホール本体だけの仮説であったためではないだろうか。ブラックホール本体ではない降着円盤やジェットはそのプログラムの中に入っていないために、それを基にした画像プログラムにも降着円盤やジェットのプログラムが入っていなかったために、降着円盤もジェットも画像化されなかったのではないだろうか。

 シムレーションは当然ブラックホールだけを画像化する。だから、降着円盤やジェットの無い画像になる。他の二つは、望遠鏡で得たデーターの中から、画像プログラムで画像化するときに、そのプログラムに入っていない、降着円盤や、ジェットのデーターは余計なデーター、すなわち間違ったデーターとして消去されたのではないだろうか。

 これなら、3つの画像がほとんど同じになり、3者とも降着円盤やジェットが写っていないということも納得がいく。

 

結論

 写真は、データーそのものを、手を加えずに画像化しなければならないはずだ。気にくわないからといって、修正して、イケ面のスマートな写真にしたら、それはインチキというものだ。

 理想のブラックホールにするために、仮説に基づいて、データーを取捨選択したのでは、本物の画像とはいえないはずだ。手に入ったデーターを仮説で取捨選択するのではなく、ピンボケでも、仮説に合わなくても手に入ったデーターだけをそのまま画像にしなくてはならないのではないだろうか。せっかく世界の望遠鏡を動員して得たデーターなのに、仮説通りに削除したりないものを付け加えたりしては、世界の望遠鏡を動員した撮影の意味がなくなる。それなら、仮説のシムレーションで十分である。

 仮説どおりに修正した画像で、仮説どおりだから正しい、というのでは、何の新しい発見もそこには存在しないだろう。

 どんなへんちくりんな画像でも、ピンボケでも、写っていないところがあっても、望遠鏡の写したデーターどおりに画像化してこそ、望遠鏡を動員して写した意味があるであろう。イケ面の顔を作るソフトで修正した見合い写真のようなものを出してきて、それがいくら美しくてもそれは偽物にしかすぎない。写したものを写したものだけで画像化してこそ、事実としての価値があるのが科学ではないのだろうか。

 2年以上の歳月をかけて、たくさんの科学者がかかわって、結局ブラックホールのシムレーションと同じ画像を苦労して創作したのでは、まるきり労力の無駄というものだろう。そこには自分たちが思い込んでいるブラックホール以外のなにも存在しない。観測する意味は一つもない。